友達
その後、小屋に戻るまでの道のりのことはよく覚えていない。
頭の中で何度も言葉を組み立てては己の身勝手さに絶望し、足元だけを見ながらなんとか足を動かしていた気がする。
小屋に戻り、ラタは袖の裂かれた、血のついた上着を脱いだ。
褐色の、必要なだけの筋肉が詰まった身体。
前腕を覆う青灰色の鱗。
それを見て初めて、一部屋しかないこの小屋で、彼がカイルの前で着替えたことがなかったと気づく。
傷は浅く、もう血も止まっているようで、少しほっとする。
着替えたラタはいつものように淡々と火を熾し、湯を沸かした。
薬草茶のカップをふたつ机に置く。
「どうするんだ」
呆然としていたカイルは突然の問いにびくりと肩を揺らした。
「えっ……何が……」
黒曜石のような黒い目が真っ直ぐにこちらを見ている。
「出てくのか? 山狗は良くても、鱗持ちはだめなんだろ。
山を降りるなら村の男を呼んでこようか」
カイルは一瞬、頭が真っ白になった。
「――違う!」
憤る様子もなく淡々と別れの選択肢を出されたことに心が抉られる。
(……、俺に、傷つく資格なんか、あるのか)
カイルは握りしめた拳を震わせ、何が正解かも分からないまま言葉を紡ぐ。
「……正直、今でも、人に鱗があるなんて怖いと思う。
ずっと、鱗持ちは俺たちとは違う生き物だと思ってて――」
幼い頃からの刷り込みはそう簡単には消えない。
ラタの腕を見た瞬間の、あの心臓が縮むような感覚を、なかったことにはできなかった。
それでも、とカイルは顔を上げ、ラタの黒い瞳を真っ直ぐに見返す。
「でも、ラタ、お前のことは怖くなんかない」
矛盾している。
だがそれがカイルにとって精一杯の真実だった。
「じゃあ何を落ち込んでるんだ」
「……鱗なんか気にならないって、……言えない」
他でもないラタに、そんな上辺だけの嘘はつけない。
この場所で、この少年と共に過ごしたいと言う資格が、まだ自分にあるのだろうか。
息を詰めるようなカイルの懺悔に、ラタは口をへの字にする。
「……それが?」
よく分からない、という風に暖炉の火に照らされた顔で眉を寄せる。
「べつに、いいだろ」
「い、いいわけないだろ!」
「なにが」
「なにがって……」
ラタはしばらくカイルの答えを待っていたが、やがて諦めて困った顔をした。
「金持ちの言うことはよく分からないな。
おまえは、おれに鱗があったら、触ったら袋叩きにするのか」
「そんなことするわけないだろ」
「じゃあ、いいだろ」
淡々とした声。
それが単なる確認でしかないと悟り、カイルは下唇を噛む。
そこには初めから、カイルには見えない断絶がある。
いつも勝手に足を滑らせて、勝手に傷ついて、悲しい思いをしてしまう。
深く関わらなければいいのだと、理性は告げる。
だけど。
「……俺は、……ちゃんと、お前の友達になりたい……」
カイルにはもう、彼を心の外に置くことは、できそうになかった。
「友達になるって、どういうことだ。いたことないから分からない」
その質問は残酷なほどにラタのこれまでの人生を物語っている。
カイルは出来るだけ飾らない、本当の言葉を探して答えた。
「……俺にとっては、一緒にいて楽しかったり、困ってたら助けたり、
……立場が違っても、離れていても、対等で、無事を願えるような相手かな」
「ふうん」
ラタは頬杖をついて暖炉に視線を向けた。
薪がぱちりと爆ぜる音が室内に響く。
何度か瞬きしてから、カイルに視線を戻す。
「よく分からない。好きにしろ」
「えっ……」
あまりに呆気ない承諾にカイルは聞き返してしまう。
「それ、友達でいいってこと?」
「別に、不都合ない気がする」
カイルはラタの鱗に動揺するような人間なのに、ラタは気にならないのだろうか。
それに、友達は、都合でなるものではないはずだ。
カイルにも都合がいいから結んだ友誼はある。
だがカイルの中では、それは友人ではあっても友達ではない。
もしかして意図が伝わっていないのだろうか。
「ほんとにいいの? 説明、ちゃんと聞いてた?」
「いい」
「あとから、やっぱり嫌だはナシだからな?」
「ん」
軽い相槌にますます理解しているのか怪しくなる。
「とっ……友達は、冬でも助けないといけないんだぞ!?」
「それは無理」
「即答!?」
ラタはおそらく友達など欲していない。
そう思いはするが、遠慮して手放すには、捉えた言質がなんとも惜しい。
協議の結果、『冬は助けない友達』で合意がとれた。
なんだそれ、という冷静な自分のツッコミを、カイルは気づかないふりで黙殺した。




