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捨てられ貴族と山暮らしの少年  作者: 花鶏
§ 山と、村と、白樺の手紙 §
17/24

鹿の解体


 ラタは解体した鹿を何回かに分けて作業場に運ぶと言うので、カイルはひとりでゆっくりと小屋に戻った。


 久しぶりに長時間動いたカイルはぐったりと寝台に倒れ込む。

 疲労困憊とはこのことだ。


(だいぶ体力が落ちちゃってるな……)


 少しだけ休むつもりで目を閉じる。


 扉を叩く音にばっと身体を起こした時には、部屋は薄暗くなっていた。

 慌てて扉を開ける。


「ラタ、ごめん。俺、寝ちゃって――おぁあ!?」


 暗がりの中で、血塗れのラタが内臓を盛った金盥を抱えて立っていた。


「暖炉の前に置いといて」


 そう言って盥を差し出してくる。その盥にも、赤い斑点が飛んでいる。


 ごくりと生唾を飲み込む。


 両手で抱えるほどの盥に山盛りになった、ぬらつく柔らかそうな塊。

 生臭さに背筋が冷たくなっていく。


 手が、どうしても、それを受け取ろうとしない。


「……う……」


 分かった、という言葉が声にならない。


 しばらく盥を差し出していたラタは、カイルは受け取らないと判断して、それを地面に置いた。

 手のひらの血を上着で拭って、着替えを引っ掴んで出ていく。


 扉が閉まり、ラタの軽い足音が遠ざかる。


 カイルは後退り、寝台に座り込んだ。


 しばらくして、着替えを済ませたラタが戻ってきたときには、カイルは寝台の上で膝を抱えて小さくなっていた。


 ラタは濡れた髪を拭きながら厚みのある石を暖炉に放り込む。


「おまえ、臓物怖いの、忘れてた。大丈夫か」

「……」


 心底情けなくて返事もできない。


 ラタが作業場で血塗れになって解体をしている間、ぐうぐうと居眠りをしていたうえでの、この為体。


 内臓は傷みが早いらしく明日には捨てる。

 ラタは明日までずっと内臓だけ食べるらしい。


「……ちなみに、内臓って、美味しいの?」

「ちゃんと血抜きできて、いい感じに焼けたら、美味い」

「今日のは?」

「たぶん、ちょっと困るくらいまずい」

「……困るくらい不味いかぁ……」


 挑戦してみるべきでは、と囁く心の天使があっさりと顔を引っ込める。

 ラタの「困るくらい不味い」が、カイルに飲み込めるとは思えない。


 しっかり石が焼けると、ラタはその上に内臓と肉を並べた。


「金持ちは、長いこと臓物食べなくても倒れないのか?

 今度、うまいのが焼けたら、少し食べてみるか?」


 煙突に吸われ損ねた血の焼ける臭いが寝台まで届き、吐き気を催す。

 カイルは身体を低くして防衛した。


「……ごめん」

「なにが。おまえのおかげで、たくさん肉がとれた」


 その言葉は慰めなどではなく、きっとラタにとっては本心なのだろう。


「……俺のおかげじゃないよ。

 鹿に縄をかけたのも、引っ張り上げたのも、ラタじゃないか」

「鹿が軽くなったの、あれ、どういうこと?」

「縄を長く引いただろ。重さを長さに分散させたんだ」


 ラタは口をへの字にして、黒い目を何度か瞬き、難しそうな顔で黙り込んだ。

 口を尖らせたまま黙々と野草を刻む。

 カイルの言葉に納得がいかない様子だ。


「今度、ゆっくり説明するよ」


 ふと壁に立てかけてある黒い石板に目が留まる。

 毎日ラタと文字を綴っている、カイルにとっては思い入れのある石板。


 カイルとは何もかも違うこの少年と、共有できるものも確かにあるのだと思える時間。


 もしかしたら、これからはこの黒い石に、文字だけでなく数式も書かれていくのかもしれない。


「……ラタが、この石板で肉を焼かないでくれて嬉しいよ」


 冗談めかして言いながらカイルは指先で石板を撫でた。

 ラタが心外そうに眉を寄せる。


「そんなこと、するわけないだろ」

「だよな、ごめん」

「こっちの石の方が、旨く焼ける」

「だよな、ごめん、お前は凄腕料理人だもんな」


 鹿は素材が歩いているようなもので、捨てるところがないらしい。

 内臓は食べきらなければいけないが、肉は保存食にできる。

 冬毛が抜けた皮は扱いやすいし、角も骨も素材になる。

 筋も糸になるし、内臓周りからは脂が、蹄からは膠がとれる。


「良い脂がとれたら、軟膏でも作るか」

「なんこう?」

「知らない? 薬草を溶かした塗り薬。保存できるし、使いたい時にすぐ使えるし、効果も逃げない」

「……魔法?」


 理解を諦めた顔に、カイルは笑う。


「魔法じゃないよ。ちゃんと、面倒な手順がある」


 グランフォードの城では、母が祖母の秘伝のレシピで作っており、よくカイルにも手伝わせてくれた。

 そして家族が怪我をすると、不思議な香りのそれを優しく塗ってくれたものだ。


 じきにまた、ひとりでこの山で生きるラタを思って、カイルは目を細める。


「――面倒だけど、できれば、作って持ってて欲しいな。

 ラタが怪我した時に傷を守ってくれるものだ。

 今回は俺が作るし、作り方も書いておくから」


 山の生活は厳しい。

 医師などいないこの場所では傷の対処は命に関わる。


 カイルは、この厳しい場所で生きる恩人が元気で生きていけるよう、祈るしかできない自分がもどかしかった。



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