第2話「測定不能の少年」
翌朝の教室は、昨日より少しだけ騒がしかった。
理由は単純だ。転入生が二人いるからだ。俺と、神代レナ。
俺は「昨日からいるだろ」って思うんだけど、ここの連中は一日で慣れるほど他人に興味がないくせに、こういう時だけ一斉に視線を寄越す。面倒くさい。
席に座ると、前の席の男子が振り返った。
「天城だっけ。昨日の測定、やばかったな」
短い髪。姿勢がいい。腕の筋が浮いてる。たぶん近接タイプ。そういう身体だ。
「普通にやっただけだよ」
「普通であれ出るの、普通じゃねえだろ」
そう言って笑う。悪意はない。だから俺も適当に笑って返す。
「じゃあ俺が普通じゃないってことで」
「認めるの早いな」
「否定するほどこだわりもない」
会話をしながら、教室全体をざっと見た。
このクラスは、能力よりも空気がバラバラだ。目立ちたい奴、隠れたい奴、評価に飢えてる奴、完全に無関心な奴。
ミレニアの学園は、能力で集めた人間を同じ箱に入れる。結果、こうなる。
俺の斜め後ろの席に座ってるのは、やたら愛想がいい女子だ。すぐに話しかけてきた。
「天城くんって、元どこ?」
「別地区。聞いても面白くない」
「面白いよ。転入組ってだけでポイント高いもん」
ポイント高い。何のポイントだよ。
その隣で、黒縁メガネの男子が黙ってスマホを操作している。授業前に端末いじってるやつは、大体情報屋か、ただの依存症だ。
俺が視線を向けると、メガネの男子は一瞬だけ目を上げた。
「……昨日の測定ログ、欠けてるって噂、知ってる?」
早い。まだ朝だぞ。
「欠けてる?」
「機械がエラー吐いたってさ。危険値ギリギリ。担任が顔ひきつってた」
「見てたのかよ」
「見てた。見るでしょ」
見るのが当たり前みたいに言う。こいつは、たぶん情報屋の方だ。
「名前」
「俺? 霧島クロノ」
クロノ。時間みたいな名前だな。わざとだろ。
「……いい名前だな」
「嘘つくの下手」
クロノは笑わない。淡々と言葉を刺す。嫌いじゃない。
もう一人、真横から肘が入った。
「おい天城! 俺のことも紹介しろよ!」
声が大きい。髪を明るく染めてる。動きが軽い。ムードメーカー枠。
「勝手に名乗れ」
「冷てえ! 俺は真鍋ハル。よろしくな。お前、俺のこと踏み台にして有名になってもいいぞ」
「踏み台が自分で踏まれに来るな」
「踏まれてからが人生だろ」
意味がわからないのに、勢いで押し切られる。こういうやつがいると、クラスの空気は少し楽になる。少しだけ。
その瞬間、教室の視線が一斉に別の方向へ向いた。
神代レナが入ってきた。
昨日と同じ、無駄のない歩き方。表情のない顔。けど、その無表情が冷たいわけじゃないのが、逆に厄介だ。何を考えてるかわからないから。
レナは自分の席に座る。視線だけがこちらに向いた。
見ている。
見ているというより、確認している。
昨日、屋上で聞いた言葉が脳内で反響する。
また、死んでほしくないから。
あれ以来、俺の中で何かがずっと引っかかっている。爪の先が皮膚に触れて、かすかに痛い感じ。気にしなきゃいいのに、気づくたびにそこにある。
担任が教室に入ってきて、黒板に予定を書いた。
「今日は実技訓練。模擬戦をやる」
ざわっと空気が変わる。ここの連中は、座学より実技が好きだ。結果がわかりやすいから。
俺は嫌いだ。目立つから。
なのに、なぜか胸の奥が少しだけ熱くなる。身体が勝手に準備を始めてる。指先が落ち着かない。戦うのが好きなわけじゃない。ただ、やると決まったら、身体がそれに合わせてしまう。
それが一番気持ち悪い。
訓練場は体育館より広い。床に円形のラインが描かれていて、壁際には安全フィールドの装置が並んでいる。
班分けは適当だった。真鍋ハル、霧島クロノ、あと女子が一人。名前だけ聞いた。日下部ミナ。能力は遠隔干渉系らしい。
「天城、俺とやれよ!」
真鍋が拳を握って言う。
「なんで」
「勝てない相手に挑むのが青春だろ!」
「青春をここで消費するな」
クロノが横から口を挟んだ。
「真鍋、天城に負けたら言い訳する?」
「する」
「清々しい」
会話してる間に、レナが別の班に移動するのが見えた。上級生が何人か、レナをじろじろ見ている。強そうな奴らだ。教官役の上級生だろう。
俺の班は最初の模擬戦。相手は別班の二人。片方は氷系、片方は衝撃波系。
氷系の男子が笑う。
「転入組、どっちも派手だな」
「派手じゃないって言いたいけど、黙ってた方がいい気がする」
俺がそう返すと、真鍋が「もう派手だろ!」と笑った。
開始の合図。
衝撃波が先に来た。空気が押しつぶされる。耳の奥がきゅっと締まる感覚。床の粉塵が跳ねた。
俺は一歩横にずれる。避けたというより、そこに立つのが嫌だったから動いた。動いたら、結果的に衝撃波の中心線から外れていた。
「え」
相手の声が漏れる。
次に氷が伸びる。床が白くなる速度が異常に速い。足元を固めて転ばせるつもりだ。
俺は足を引く。凍結ラインがつま先のすぐ前で止まった。止まった、というより、俺が止めたわけじゃないのに、そこで止まるのが当然みたいに思えた。
危ない。
この感じは良くない。
俺は力を抑える。抑えるというより、出さない。出さないまま、間合いだけで勝つ。
衝撃波の男子がもう一発、今度は横から撃ってくる。俺は半身を引いてかわす。風圧が頬をかすめた。肌が乾く。
「動き、速っ」
真鍋が叫ぶ。
「お前の声が一番うるさい」
返しながら、俺は衝撃波の発生源に向かって踏み込む。距離を詰める。相手は引く。引いた分だけ、距離が詰まる。俺の足が勝手に、最短の線を選ぶ。
拳を振るう直前で止めた。殴ると危ない。ここは模擬戦だ。
代わりに、相手の手首を軽く叩く。衝撃波の発生が途切れる。相手の指が痺れたように開く。
「うそ」
相手の衝撃波使いが声を漏らした。
氷系が慌てて床を凍らせて距離を作る。けど、俺は凍結の端を踏んで、滑りながら前に出た。膝がほんの少し軋んだ。痛みが来る前に、身体が先に重心を整える。
氷系の顔が引きつる。
俺は手を伸ばして、相手の肩に触れるだけで止めた。
「終わり」
教師の笛が鳴る。勝敗が決まった。
周囲がざわついた。いつも通りだ。これが嫌だ。
俺は手のひらを見た。指先が少しだけ震えている。昨日より、ほんの少しだけ大きい。
真鍋が背中を叩いてくる。
「なあ、今の見たか? 俺、天城と同じ班でよかった!」
「俺はよくない」
「なんでだよ!」
「面倒だから」
「友達の勝利に面倒とか言うな!」
「友達になった覚えはない」
「今なった!」
勝手に決めるな。
クロノが俺の横に立つ。視線が俺の手元に落ちた。
「震えてる」
「見んな」
「見えるから」
クロノはそれ以上言わなかった。言わないのが逆に嫌だ。何か知ってるくせに、言葉を選んでる感じがする。
次の模擬戦で、訓練場の空気が一段階変わった。
レナが出る。
相手は上級生。教官役の選抜だろう。三人いる。近接、遠距離、拘束系。バランスがいい。普通の一年なら秒で終わる。
開始の合図。
上級生の拘束が先に走る。光の鎖みたいなものが床を這い、レナの足を狙う。遠距離の上級生が弾丸状の魔力を散らす。近接が正面から圧をかける。
レナは動かなかった。
動かなかった、というより、動く必要がないみたいに見えた。
拘束が足元に届く瞬間、レナの腰のあたりで薄い光が揺れた。六枚の輪が角度を変える。ほんの小さな変化。けど、その瞬間、拘束が一拍遅れた。
遅れた隙間に、レナは一歩だけ入る。
次の瞬間、近接の上級生の横にレナがいる。
剣が抜かれた音はしなかった。いつ抜いたのかわからない。空気だけが裂けた。刃が通った場所の温度が、少しだけ下がった気がした。
近接の上級生の制服の袖が、遅れて裂ける。
「……は?」
上級生の声が漏れる。
レナは顔色ひとつ変えずに、剣を収める。収めた瞬間に、遠距離の弾丸が遅れて届く。けど、弾丸はレナの髪に触れる直前で軌道をずらして、床に突き刺さった。
レナは視線も向けない。
拘束系の上級生が息を呑み、もう一度鎖を走らせる。今度は複数。床を這う光が増える。
レナは一歩、二歩、三歩。
鎖が足元に追いつけない。鎖が遅いわけじゃない。レナの動きが速いだけでもない。追いつくはずのタイミングが、ほんの少しだけずれている。
まるで、レナだけ別の時間を歩いているみたいだ。
俺の喉が乾いた。
レナが最後に、剣先を軽く振った。風が切れる。拘束の光が、途中でぷつりと切れた。
上級生三人が動きを止める。教師が笛を鳴らす。
「終了。ここまで」
ざわめきが爆発する。
「やば」
「何今の」
「上級生相手に一瞬で……」
俺は笑えなかった。
あの動きは、強いからできるんじゃない。強さの種類が違う。
レナは、俺の方を見た。
視線が刺さる。
その目が「お願いだから、調子に乗らないで」と言っている気がした。口に出さなくても、そういう圧がある。
訓練が終わって更衣室に向かう途中、廊下の角で足が止まった。
職員室の前だ。
ドアの隙間から声が漏れていた。誰かが会議している。俺は盗み聞きする趣味はない。ないはずなんだけど、足が勝手に止まる。
「天城ユウのログが欠けてる。測定装置の方が耐え切れてない」
「数値が振り切れてるだけでは説明がつかない。ノイズパターンが……例の計画に近い」
「口にするな。上が聞いたら面倒になる」
例の計画。
その言葉で、背中が冷えた。
俺は意識して一歩引いた。足音を立てないように。自分の心臓の音がやけにうるさい。
何だよ、それ。
俺は普通に生きてきた。普通に転入してきた。なのに、教師たちは俺を「何か」に重ねている。
昨日、路地裏で見えた黒い紋章が脳裏に浮かぶ。
胸の奥が、ざらつく。
更衣室で着替えていると、真鍋がシャワーの蛇口を全開にして「お湯が出ねえ!」と騒いでいた。誰かが「そりゃ水だろ」と突っ込む。クロノは黙っている。俺は、その騒ぎに乗り切れなかった。
放課後、校門を出たところで、レナが俺の前に立った。
タイミングが良すぎる。待っていたのかもしれない。
「帰るの?」
レナが言う。昨日と同じ、簡潔な声。
「ああ」
「……一人で?」
「基本そうだろ」
レナは少しだけ視線を落とした。何か言いたいのに、言葉が出てこない顔。
「危ない」
「それ、今日何回目だよ」
俺が軽く言うと、レナは笑わない。目だけが揺れる。
「本当に危ない。あなたは、目立つと引き寄せる」
「何を」
レナは答えなかった。答えられないのか、答えないのか、わからない。
代わりに、レナは俺の前に一歩近づいた。距離が詰まっただけで、空気が変わる。冷たい、というより張り詰める。
「もし危ない目にあったら、私が全部どうにかする」
俺は一瞬、言葉を失った。
「……騎士みたいだな」
冗談にして逃げた。そうしないと、胸が変な方向に締まる気がした。
レナは真顔のまま、頷いた。
「そう。私は、そうする」
その言い方が、軽くない。
決意が重い。石みたいに重い。
俺は笑ってごまかす。
「じゃあ俺は姫か。似合わねえ」
「似合わない」
即答。ひどい。
「おい」
「でも、守る」
それだけ言って、レナは視線を俺から外した。校門の外、街の方を見る。まるで、見えない何かを警戒しているみたいに。
俺はその横顔を見て、昨日の屋上の言葉を思い出した。
また、死んでほしくない。
この女は、俺が知らない俺を知っている。
それが怖いわけじゃない。怖いと言うほど単純じゃない。胸の奥が、じわじわ熱くなる感じがする。怒りとも違う。焦りに近い。
家までの帰り道、ミレニアの夜は派手だ。
広告ホログラムが空を彩る。人の流れが途切れない。路地裏には警備ドローンの赤い点が揺れる。
俺は歩きながら、制服の袖を引っ張った。汗が冷えて、肌が少しだけ粟立っている。
ふと、街の景色が一瞬だけ歪んだ。
ネオンの線がぶれる。ビルの輪郭が砂嵐みたいに崩れる。視界の端で、画面のノイズが走ったような、そんな感覚。
たった一瞬。
次の瞬間には、何事もなかったみたいに街は元に戻る。
周りの人間は誰も気づいていない。笑って歩いてる。スマホを見てる。屋台で買い食いしてる。
俺だけが、立ち止まった。
喉が乾いた。舌が上顎に張りつく。
さっき職員室で聞いた「ノイズパターン」という言葉が、頭の中で浮かぶ。
世界そのものが、どこかおかしい。
俺が普通じゃないのか。
世界が普通じゃないのか。
どっちでも、嫌な話だ。
家の前の道路に着いた時、背後で誰かの足音が一瞬だけ重なった気がした。振り返っても、誰もいない。
風が吹いて、電線が鳴る。
胸の奥のざらつきが、少しずつ形を持ち始める。
俺は何かを忘れている。
そしてそれは、忘れていい種類のものじゃない。
そう思った瞬間、目の前の街灯が一瞬だけ瞬いた。
まるで、世界が目を閉じたみたいに。
俺は、嫌な予感を飲み込むしかなかった。
――また、同じ明日が来る気がした。




