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一番嫌いで、一番好きな君を救うために、俺は何度でも世界をやり直す  作者: 妙原奇天


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第1話「君だけが、なぜか俺を知っている」

 目覚ましが鳴るより、ほんの少し早く目が覚めた。

 天井の白い染みを見上げた瞬間、「今日はここで起きる」と知っていた気がした。知っている、という言葉は大げさかもしれない。ただ、身体が先に起きてしまったみたいな、そんな感じだ。

 枕元のスマホはまだ沈黙している。秒針もない部屋で、俺の呼吸だけが妙に目立つ。

 起き上がってカーテンを開ける。朝の光が、いつもの角度で床に落ちた。向かいのマンションのベランダに干された白いタオル。電線にとまる鳥の影。遠くの交差点から聞こえる、早朝の配送車のアイドリング音。

 全部、「いつも通り」だ。

 なのに俺は、次に何が起きるかを言い当てられそうな気がしていた。たとえば今、台所の水道をひねれば一拍遅れて水が出る。冷蔵庫のモーターが唸るのはその直後。洗面台の鏡には、俺の寝癖が右側だけ跳ねた顔が映る。

 実際にそうなった。

 ……気持ち悪い。

 いや、気持ち悪いってほどじゃない。こういうのを、デジャヴって言うんだろ。寝起きが悪い日によくある、脳のバグみたいなやつ。俺は自分にそう言い聞かせて、制服のシャツに腕を通した。

 鏡の中の俺は、黒髪の中に白い毛が混ざっている。染めた覚えはないのに、ところどころ色が抜けてノイズみたいになっている。前からだ。理由は知らない。気にしてもどうにもならないから、放置してる。

 ネクタイを結ぶ手が、いつもより早く動く。結び方を覚えたのは中学の頃のはずなのに、手順を考えるより先に指が勝手に形を作る。まるで、何度もやったことがあるみたいに。

 靴ひもを結んで、玄関を出る。

 廊下の角を曲がるタイミングで、上の階の住人がドアを開ける。会ったこともないのに、足音でわかる。「この人、いつも七時十二分に出てくる」と俺の中のどこかが言う。

 さすがに笑った。

 俺は予言者じゃない。単に生活音のパターンを覚えてるだけだ。たまたま当たっただけ。

 エレベーターが一階に着いた瞬間、外の空気が鼻の奥を冷やした。学園都市ミレニアの朝は、普通の街より少しだけ金属の匂いがする。空に浮かぶ交通レーン、ビルの壁面を走るホログラム広告、道路脇の充電ステーション。全部が「便利」でできてるのに、どこか無機質だ。

 通学路の角を曲がると、上空で広告映像が切り替わる。

 派手な色の文字が空に溶けた。「新型異能補助デバイス、今なら学園生割」。視界の端で、ドローンが二機、巡回ルートを描くように旋回している。

 ミレニアでは、異能は日常だ。

 俺たち学生にとっては、運動神経がいいとか頭がいいとか、それと同じカテゴリに入ってる。能力を持つことは特別だけど、珍しくはない。珍しくない、というより、珍しくないことにされている。

 信号の前で足を止めた。

 赤。あと三秒で青。

 根拠はないのに確信して、俺はつい歩き出しそうになって、慌てて止まった。危ない。

 信号が青になって、人の流れが動き出す。俺もその中に混ざる。

 横断歩道を渡りきる手前で、路地の方が騒がしくなった。

 視線を向けると、制服姿の少年が壁に手をついてうずくまっていた。肩が震えている。周囲には同じ学校の生徒が数人、距離を取って様子を見ていた。

 少年の背後の空気が、ゆがんでいた。

 熱気が歪むみたいに、空間が波打っている。次の瞬間、その歪みが弾けて、路地の床が一瞬で白く凍った。氷の霧が爆ぜて、人の足元に伸びる。

 暴走だ。

 異能が本人の制御を離れると、こうなる。ミレニアでは「よくある」と言われてる事故。教師も警備も、そのために存在してる。

 上空から警備ドローンが二機、急降下してきた。赤いランプが点滅し、路地に警告音が響く。ドローンの腹部から、光の網みたいな拘束フィールドが展開され、少年を包み込む。

 少年が呻いた。凍っていた床が、ぱきぱきと音を立てて崩れる。凍結が止まった。

 周囲の生徒たちは息を吐き、誰かが「またかよ」と小さく呟いた。

 俺も、たぶん同じ顔をしていた。

 見慣れている。なのに、胸の奥がざらつく。

 路地の奥の壁に、一瞬だけ黒い紋章が見えた。誰かがスプレーで描いた落書きみたいな、円と刃の形。風で揺れる広告光の反射で、消えたようにも見える。

 気のせいかもしれない。

 けど俺は、それを見た瞬間、胃の底が冷えた。

 理由はわからない。わからないのに、知っている気がした。

 俺は視線を切り、歩みを早めた。

 学園都市の中心に近づくにつれて、人の数が増える。制服の色も、学校ごとに微妙に違う。ここは異能者の教育都市だ。つまり、未来の軍事、治安、研究、全部の人材が集められている。

 その中心にあるのが、国際異能学園。

 門はいつ見ても無駄にでかい。金属フレームに埋め込まれた発光ラインが、朝の光に負けずに淡く光っている。門の上には校章。半円に星、そして剣。いかにもって感じだ。

 校門前には、人の波ができている。俺はその中をすり抜けようとして、真正面から誰かとぶつかった。

 硬い。

 というより、相手が細いのに、やけに芯がある。

 肩に当たった衝撃で、俺の鞄が傾く。中の教科書がずれ、紙の角が手のひらに当たって痛い。

「わりぃ」

 反射で謝りながら顔を上げて、俺は言葉を止めた。

 銀髪だった。

 長い髪が、光に溶けるような色をしている。銀なのに、淡い水色が混じって見える。瞳は瑠璃色で、中心に金の輪がある。近くで見ると、目の奥に何かを閉じ込めているみたいだった。

 制服も、うちの学園の規定と同じ形のはずなのに、彼女が着ると別物に見える。黒と白のコントラストが強い。肩にかかるケープ風の短いマント。腰のあたりで、光が薄く揺れていた。見間違いかと思うほど淡い、六枚の輪。

 ホログラム? アクセサリー? そんなものを制服の上からつけるやつは普通いない。

 彼女は俺を見て、瞬きもせずに口を開いた。

「……また会えた」

 小さな声だった。

 周囲の雑踏に溶けるくらいの音量。だけど、俺の耳には妙にくっきり届いた。

「は?」

 間抜けな声が出た。

 彼女は一瞬だけ、何かを飲み込むように唇を噛んだ。そして、すぐに表情を整えた。無表情に近い、でも冷たくはない、どこか遠い顔。

「失礼。転入生の神代レナです。今日から、この学園に編入しました」

 まるで、最初からそう言うつもりだったみたいに。

 俺は一拍遅れて頷いた。

「天城ユウ。……ああ、転入ね。よろしく」

 よろしく、なんて言いながら、頭の中では「また会えた」の単語が何度も反復していた。

 こいつ、俺のこと知ってるのか?

 いや、そんなはずない。俺は有名人でもないし、特別な血筋でもない。転入生が、初対面で「また」って言う理由がない。

 なのに、さっきまで感じていたデジャヴのざらつきが、急に現実味を帯びた。

 レナは俺の顔をじっと見ていた。見定めるというより、確認しているみたいに。目の奥に、何か深いものが沈んでいる。

 周囲で誰かが「銀髪やば」と囁く声がした。別の誰かが、スマホを少しだけ上げる。撮影は禁止のはずだけど、校門前はグレーゾーンだ。

 レナはそれらを気にする様子もなく、俺の横をすり抜けて校門へ向かった。

 その瞬間、腰のあたりの光輪が、ほんの少しだけ角度を変えた気がした。

 俺は気づかないふりをして、流れに乗って校内へ入った。

 新学期の空気は、どの年も似ている。廊下のワックスの匂い、掲示板に貼られた時間割、誰かの靴音。そこに混ざるミレニア特有の、電子機器の熱。

 教室に入ると、ざわめきが一段階上がった。転入生効果だ。

 レナは黒板の前で担任に紹介され、簡潔に頭を下げた。

「神代レナです。よろしくお願いします」

 それだけ。

 普通なら、何かしら愛想を振りまく。趣味とか、前の学校の話とか。だけどレナはそれをしなかった。やる気がないというより、「余計なことを言わない」癖が身体に染み付いているような感じだ。

 担任の先生が咳払いをして、話題を切り替える。

「では、恒例の異能適性テストから始める。新学期初日、気持ちよく現状把握しておけ」

 教室から移動した先は、能力測定室。体育館みたいな広い空間に、計測用の装置がずらりと並んでいる。床には刻まれた円形のライン。壁際には安全フィールドを展開する装置。

 俺たちは順番に、決められた測定項目をこなす。出力、持続、制御精度、反応速度。やり方は毎年同じだ。だから俺は、あまり気にしていなかった。

 レナは測定していない。転入生の手続きがあるのか、担任と別の教師に呼ばれて一度外に出ていた。

 俺の番が来る。

 円形ラインの中心に立つと、足裏から微かな振動が伝わってきた。フィールドが起動する音。装置のランプが青に変わる。

「天城。出力は抑えろよ。ここで張り切って壊すな」

 担任が冗談っぽく言う。クラスが笑う。

 俺も笑って、肩をすくめた。

「わかってる。ほどほどで」

 ほどほど。そう言いながら、俺は自分の「ほどほど」が信用できないことを知っていた。

 俺は、自分が強いことを、薄く自覚している。

 理由はわからない。訓練を積んだ覚えもないのに、いざという時に身体が勝手に動く。反射で回避できる。初見の攻撃も、直感で読める。

 だから俺は、いつも力を抑える癖がある。目立つと面倒だし、変に期待されるのも嫌だ。

 測定装置の前に手をかざす。意識を集中する。

 胸の奥に、熱い何かがいる。そこに触れると、世界が少しだけ遠のく感覚がある。耳の奥がきゅっと締まる。

 俺は、ほんの少しだけ力を流した。

 ぱち、と空気が鳴った。

 装置の画面に数値が走る。上昇。上昇。上昇。

 俺は「あ、やばい」と思って力を引っ込めた。

 遅かった。

 画面が一瞬、白くノイズを走らせた。砂嵐みたいなランダムな点。次の瞬間、警告音が鳴りかけて、途中で止まる。装置のランプが青から赤に変わって、また青に戻った。

 教室が静かになった。

 担任が眉をひそめて画面を覗き込み、ため息を吐いた。

「……危険値ギリギリの最上位。お前、ほんとに抑えろって言っただろ」

 俺は頭をかいた。

「いや、抑えた。これでも」

 嘘じゃない。俺にとっては抑えた。けど結果がこうなら、俺の基準がズレてるだけだ。

 クラスがざわつく。誰かが「またかよ」と言う。誰かが「天城やっぱやべぇ」と笑う。担任は「お前は後で別メニューだ」と言って、次の生徒を呼んだ。

 俺は測定室の端に移動しながら、自分の手を見た。

 指先が、ほんの少しだけ震えている。

 笑い飛ばすほど大げさじゃない。でも、意識すると確かに震えている。

 俺は拳を握り、震えを握りつぶした。

 窓ガラスに、自分の顔が薄く映る。黒髪の中の白いノイズが、照明の反射で増えたように見えた。錯覚だと思うことにした。

 測定が終わる頃、レナが戻ってきた。教師と一緒に、測定室の入り口から現れる。

 レナの視線が、俺の方に向いた。

 目が合う。

 その瞬間、俺の背中に冷たいものが走った。

 レナは何も言わない。ただ、ほんの少しだけ眉が動いた。怒っているのか、焦っているのか、判断できないくらいの微細な変化。

 教師がレナに向かって説明している。

「転入生は今日の測定は免除だ。後日、個別にやる」

 レナは頷いた。

 そのまま、俺の横を通り過ぎる。

 すれ違いざま、レナが小さく言った。

「……控えて」

 俺は思わず足を止めた。

「何を?」

 聞き返すと、レナは答えない。歩みを止めずに、そのまま通り過ぎた。

 俺の中で、何かがずっと引っかかっていた。

 昼休み。俺は弁当を買いに行くのが面倒で、屋上に行った。屋上は風が強いけど、静かだ。人が少ない。考えごとをするにはちょうどいい。

 扉を押すと、金属が軋む音がした。

 屋上の空気は冷えていた。フェンス越しに見えるミレニアの街並み。空に浮かぶ交通レーンの光。遠くで巡回ドローンのランプが点滅している。

 フェンス際に、先客がいた。

 銀髪。

 レナだ。

 俺は「なんでここに」と思ったが、口には出さず、適当な距離を取った。近づくと面倒が増える気がした。なのに足が止まったのは、レナが俺の名前を呼んだからだ。

「天城ユウ」

 呼び方が、妙に慣れている。

「……何」

 俺はぶっきらぼうに返した。

 レナはフェンスから手を離し、俺に向き直った。風で髪が揺れる。銀と水色が混ざり、光が流れるみたいに見える。

 近くで見ると、目の中心の金の輪がはっきりわかる。見つめられると、こっちの呼吸まで見透かされそうだった。

「測定で、出しすぎた」

「抑えたって言っただろ」

「あなたの抑え方は、ずれてる」

 断言だった。

 俺は言い返そうとして、言葉が詰まった。理由は単純で、レナの言い方が「初めて会った相手」に向けるそれじゃないからだ。

 まるで、昔から知ってるみたいに言う。

「……お前、俺のこと何なんだよ。さっきも『また会えた』とか言ってたし」

 レナの睫毛が、わずかに揺れた。

 その揺れだけで、レナが今、何かを必死に抑えているのがわかった。表情は変わらないのに、身体の内側が揺れている。

「あなたは……」

 レナは言いかけて止まった。

 唇が、ほんの少しだけ開く。吐き出したい言葉があるのに、それを噛み砕いて飲み込むみたいに、喉が動く。

 風が強くなり、フェンスが微かに鳴った。

 レナは視線をずらした。俺の肩のあたり、少し後ろを見るようにして、言う。

「危ないから、力を控えて」

 さっきと同じ言葉。

「理由は?」

「……聞かないで」

 俺は苛立った。言いたいことがあるなら言え。忠告だけして消えるな。そんなの、訳がわからない。

「お前が変なこと言うからだろ。俺の何が危ないんだよ」

 レナは一瞬、拳を握った。指先が白くなる。すぐに力を抜き、手を制服の裾に隠した。

 その動きが、やけに生々しく見えた。

 レナは、しばらく黙っていた。

 そして、俺には聞こえないくらいの小ささで、言った。

「……また、死んでほしくないから」

「……え?」

 俺は聞き返した。今のは、聞き間違いだろ。

 レナは顔を上げ、俺を見た。瑠璃色の瞳が、揺れている。怒りでも悲しみでもなく、もっと深い、言葉にできないものが沈んでいる。

「何でもない」

 レナはそう言って、屋上の扉へ向かった。

 俺は追いかけようとしたが、足が動かなかった。

 「死んでほしくない」。

 そんな言葉を、初対面の相手に言うか?

 冗談にしては、声が真剣すぎた。怒鳴るでも泣くでもない、ただ事実を置いただけみたいな言い方だった。

 俺は、背中に冷たい汗が滲むのを感じた。

 風が頬を打つ。冷たいのに、頭の中が熱い。

 屋上の扉が閉まる音がして、俺はようやく息を吐いた。

 俺の中で、ずっと「デジャヴ」として片付けていた違和感が、別の形を取ろうとしていた。

 俺は、何かを忘れている。

 そして、レナはそれを知っている。

 それだけは、確かだった。

 ――なぜか。

 理由はわからないのに、俺はその確信を、最初から持っていた。


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