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In The Mirror  作者: 市尾弘那
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第16話(2)

「危ないと思うなら投げないでくらさい」

「あ、つまり神田くんの『おししょーさま』なんだッ」

 2人のやり取りを眺めていた紫乃が、突然ポンと手を叩いた。その言葉に、一矢と明弘のいずれも全身から力が抜けた。

「紫乃……」

「だって!! 神田くんだって『R18』じゃないのさ〜」

「おッ。広瀬紫乃ッ。お前、話のわかる女じゃないか。まあ飲めよ。どうせ一矢の奢りだ」

「うん。そのつもり」

「……あなた方ねぇ……」

 一矢が言い返す気力をなくしてがっくりしていると、そこへ新しく店に客が入ってきた。これまた顔見知りだ。カウンターの一矢と明弘に笑みを覗かせ、ひらひらと手を振りながら入り込んでくる。

「ちーっす。お、明弘、久しぶりじゃねえ?」

「おう。まあそこに座れよ。紹介するよ、俺の新しいオンナ」

「初対面だと思うですが!?」

 明弘がすっかり紫乃の隣に腰を落ち着け、一矢が紫乃を餌付けするエサをこしらえている間に、着々と増えた常連が次第に明弘に引っ掛かっていく。知らぬ間に、その隣の紫乃も、しっかり巻き込まれていく。

(こうなると思ったんだよ……)

「うあー。やっさんのこの指の動き、超気持ち悪いけど大丈夫ッ!?」

「馬鹿、お前この技を習得するのに何年かかったと思ってんだよッ」

「習得しようと思う方も思う方じゃんッ!?」

 すっかり溶け込んでいる紫乃に言葉をかける気もなくしていると、テルが隣で囁いた。

「一矢。彼女、取られちゃうんじゃないの?」

「……」

 ふわふわに焼けた卵でチキンライスを綺麗にくるみ、デミグラスソースをかける。合間に作ったサラダを添えて無言で紫乃の前においてやると、その周囲にたかっていた奴らまでが「おおー」と声を上げた。

「一矢、紫乃ちゃんだけじゃなくて俺にもオムライス」

「俺もー」

「やったあ、いっただきまーす」

「俺もオムライス、オーダー」

 てめえら……である。

「俺、今日、お客さんなんれすけろ」

「あ、テルさん、お宅の店員こんなこと言ってますけど」

「反抗期?」

「悪いね一矢。後でワイン1本持って帰って良いから」

「……こいつのメシとビール代でチャラにして下さい」

 仕方なく増えたオーダーに対応して、なし崩しに働くことになっているようだ。

 紫乃自身も別段、退屈している様子は微塵もないから、良いと言えば良いのだろうが。

(何してんだ? 俺……)

 そこが悩みどころである。

 結局匂いにつられて増えた3人分の調理を強いられながらため息をつき、横から茶々を入れる客たちに笑い声を上げながら食べる紫乃をちらりと見る。けれど、その様子を見て、「まあいーか」と思い直した。

 いつ見ても素直に自分を出す、無邪気な姿は、こちらの気持ちを和やかにする。

 そして、一矢にとって自分の居場所と思える場所で、自然にその場に溶け込んでいける姿を見れば、つい「自分の彼女だったらな」という考えが過ぎらずにいられなかった。

(だからそーゆーこと考えるなっつーのに……)

「はいよッ。おまちどおッ」

 ラーメン屋の主人のようにどかどかどかッとカウンターの上に出来上がったオムライスの皿を並べてやると、客が各々自分で皿を受け取りに来た。

「いつからこの店、セルフになったんだよ」

「客に働かせてんだから、そのくらいやってくらさい」

「コレも店員なんじゃないの?」

「あぁ? うるせぇよ、俺は店員じゃねぇよ」

 テルは先ほどからずっといるカウンターの男の相手をしてやっているし、明弘は紫乃にちょっかいをかけるのに忙しいらしい。

 ようやく片がついてカウンターの内側を綺麗に片付けていると、こちらもオムライスを綺麗に片付けた紫乃が、そこだけ嫌にきっちりと両手をあわせた。

「ごちそうさまでしたッ。おいしかったッ。すっごい。あたし、尊敬したッ」

「……あ、ああ、そう? そりゃ良かった」

 久しぶりに紫乃が一矢の方へ戻ってきたような気分がする。

 火をつけた煙草を咥えたままで紫乃の前から皿を下げると、ついでに空いたグラスも片付ける。新たなビールグラスを置いてやると、紫乃がくしゃっと笑った。

「ありがとうッ。いーの?」

「いーのも何も飲む気だろ」

「飲む飲む」

「紫乃って、ぜってぇ家で料理とかしねぇタイプ」

 すっかり名前で呼び捨てになった明弘が、一矢につられたように煙草を咥えながら、こちらも空いたグラスを押し出した。「だから俺は客だっつーの……」と呟きながらも、結局明弘にも新しいビールを注いでやる。

「はあ? しっつれいな。するっつーの」

「へえ? トースト焼いてバター塗るとか? カップラーの蓋開けてお湯注ぐとか?」

「まさかッ。パスタ茹でてソースを温めるくらいはするよッ」

「……その程度かよ」

「あっきーだってしない!! 絶対しない!! ……え、すんの、まさか」

 こちらもいつの間にか、『あっきー』になっている。

「馬鹿言え、何で俺が家で料理なんて非生産的なことしなきゃなんねぇんだよ」

「……料理って、すっげえ生産的だと思うですけど。それ、ヒロセ的間違いですか」

「ってゆーか、生産する人間によって、それが生産的な行為か非生産的な行為かが決まるんじゃないですか」

「どゆイミ?」

「明弘や紫乃がやると、それは非生産的どころか破壊的行為になるってことなんでしょうなあ」

「……ぶっっっっコロス」

 他のギャラリーがオムライスあたりから別の方向へ意識がそれたので、ようやく明弘と紫乃の3人と言うところまで落ち着き、やがて紫乃が手洗いへと席を外した。

 テーブルに頬杖をつき、空いているストゥールに片足を掛けながら、明弘がビールグラスを指先で弾く。

「ふうん」

「……何。『ふうん』って」

「いや。……イイオンナ、なんじゃねえ?」

「げほッげほッげほッ……」

 煙草の煙にむせ返る。

「……何れすか。それ」

「惚れてんじゃねぇの?」

 適切な返答を見つけられず、黙って煙草を灰皿に押し付けた。明弘は、特にからかっているつもりがあるわけではないらしい。淡々とした表情で、入れ替わりに煙草を咥えた。ため息をつきながら、ライターの火を差し出してやる。

「イイオンナ、って何よ」

「『空気が読めるオンナ』って奴だろ」

 あっさり言った明弘に、一矢は沈黙してライターの火を消した。代わりに立ち昇る煙を眺める。

「『男の顔を潰さないオンナ』つーか」

「はああ? 誰があ? あいつがあ?」

「お前の居場所に来て、そこにいる人間を不愉快にさせない。気を使わせない。『いい奴』だと思えば、あのコを連れて来たお前への評価にもなる。毒にも薬にもならない女は山ほどいるが、抵抗なく場に馴染める女はそうはいない」

「……」

「無意識なら、尚更だ。……そういうの、イイオンナって言うんだと思うぜ」

 何も知らない紫乃が、店の奥から戻ってくるのが見えた。

 誰に何を言われても好きだと思うようであれば美しい。けれど、社会的生き物である男にとって、周囲の……それも、親しい友人の評価は良いに越したことはない。自分が惚れた女をそう評されて、悪い気がするはずもなかった。

「そうですかね……」

 灰皿に煙草を押し付けながらの一矢の回答が、戻って来る紫乃の耳に入ったらしい。

「何があ?」

「何でもねーよ……」

「紫乃ちゃんが面白ぇって話」

「……何か喜べるか悲しむところか、どっちにすべき?」

「喜んどけ」

 自分の座っていた場所まで戻って来た紫乃が、背中をばしっと気軽に叩く明弘に顰め面を見せる。それを眺めながら、一矢は寄りかかっていたカウンターから体を起こした。

「そろそろ行きませんか」

「あ、うん。そうだね。……神田くんて何も食べてないけど、それはいいの?」

「それはいいの。……んじゃあ、テルさん。俺、行くね」

「おう。……あ、ワインいいのか?」

「あれ? 相殺じゃないの?」

「いーよ。持ってけば?」

「らっき。んじゃ今度持ってくから、絶品のを取り寄せておいて」

「……俺はお前にやる為にわざわざ取り寄せるのか?」

「じゃね、明弘」

 テルのぼやきと明弘の挨拶、そして先ほど紫乃にちょっかいを出していた客の面々の声を背中に店を出る。

「あーおいしかったッ。あたし、ホントに尊敬した、そこだけ」

「そこだけゆーな。……ま、ご満足戴けたのならそりゃあ何より……」

「ん。何か、いつもと違う神田くんを見た気がする」

「……そーれすか」

 単車を停めてある店の裏に足を向けながら、紫乃に問いかける言葉を探す。

 別に、今日紫乃に会いたかった目的は『listen』でタダメシを食わせてやる為ではない。いや、それはそれで良いのだが、肝心なのはそこではない。

 先日紫乃が、不機嫌だった理由である。

 『listen』に来る前に、神崎に何か妙な知識を植え付けられたらしいことは、ちらりと聞いた。

 けれどそれが具体的に何なのかは、まだ聞き出せていない。

 そもそも神崎が何か植えつけるとしたら例のビデオ屋で小耳に挟んだ一件くらいしかないだろうが、おもむろに「ところでそれは昔の話で」と切り出すのも妙である。

 それに、「別にあたしには関係ないですけど」と言われてしまえばそれまででもあり、どうにも切り出しにくいが誤解は解きたい。

「あのさ……」

「神田くんさあ」

 ともかくも話し始めてみようと口を開くと、ちょうど同じタイミングで紫乃が口を開いた。思わず同時に口を噤んで、顔を見合わせる。

「……何?」

「……何でしょーか」

「……」

「……」

 単車の傍まで来て、足を止める。

 紫乃の言葉を待つ一矢に、紫乃は改めて口を開いた。

「前、女の子と遊んでるとか言ってたじゃん」

「……はあ。言いましたっけ? そんなこと」

 記憶にない。

 半ヘルを手渡しながら首を傾げると、紫乃が唇を尖らせて上目遣いに一矢を睨みつけた。

「言ったッ。あたしが神田くんを殴った時」

「……ああ。あんたが俺を殴った時」

「そこ、繰り返さなくて良い」

「あなたがそういう言い方したんでしょー?」

「わかりやすいでしょッ。違うッ、テーマはそこじゃないッ」

「テーマはあんたが俺を殴ったことじゃないわけね」

「繰り返すなっつのッ」

 むくれる紫乃にくすくす笑いながら、何となくここで立ち話になりそうな空気を察して煙草を咥える。火をつける一矢を何も言わずに、紫乃が見つめる。

「んで?」

「今も、遊んでんの? そうやって」

「……そうやってって、どうやって?」

「だだだからさッ。デートしたりとかッ。えっちなことしたりとかッ」

「げほげほげほげほッ……」

 今日は良く煙草の煙にむせる日である。

 それから、思わず紫乃に呆れた視線を向けた。

「あんたも直球勝負な人やねぇ……」

「うるさいな。どうやって?って聞くからっしょ?」

「そりゃ聞いたけどさ……」

 呆れつつ、片手で財布をつなぎ止めるチェーンに一緒にくっついている携帯灰皿を、指先で弾き出す。いつだか女の子にもらったお洒落な物で、誰に貰ったかはうろ覚えだが物だけは気に入って使っている。

「してないよ」

「え?」

「え?じゃねぇだろ。あんたのご質問に回答したんですけど。……何で? 神崎くんが、何か言ってた?」

 携帯灰皿に灰を落とすと、その仕草を眺めていた紫乃が頷いた。

「言ってた。近付くなって」

「はは……」

「危ないからって」

「俺は危険物かい」

 神崎の野郎。

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