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In The Mirror  作者: 市尾弘那
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第15話(4)

「んー? ライブー?」

 芝浦のゲネスタは、広い。かなりの数のアーティストが使用しているらしく、スタジオも練習用の小さなものからブラスなどが入っても使えるような大きなスタジオまでいろいろある。2階には、ティールームまで完備されていて驚いた。

 佐山の先導でスタジオへ向かいながら、隣を歩く啓一郎に尋ねる。寝不足なのか、あくび交じりに一矢を見上げた啓一郎は、ひょこんと首を傾げて見せた。

「面白かった」

 啓一郎は昨日、司会をしている小さなライブイベント『バンドナイト』で知り合った、LINK Rと言うバンドのライブに武人と一緒に行ったはずだ。

「茜ちゃんが来てた」

「茜ちゃんて? 『バンドナイト』で一緒に仕事してるんだっけ」

「そうそう。モデルの人。すげぇ可愛い人」

「今度紹介してねん」

「そりゃあ、ウチのドラムですぐらいは紹介するだろうけどさ」

「その程度で済ます気?」

「その程度にしかならない」

 『MUSIC CITY』でのライブは、それほど枠をもらえるわけではないと言ってもいろいろな客層に見てもらえる良い機会である。デビューが決定してから初めての東京ライブと言うこともあり、真面目にゲネプロを行って構成や効果を検討することになっていた。路上ライブとはやはり、入る気合が違う。

 音を出しながら、立ち位置や見せ方、セッティングなどについて少しずつ打ち合わせを進め、13時も間近と言う頃になって一度休憩をすることにした。

「う〜ん、何かロータムの音が少したわんでる気がする……」

「もうちょっと張ってみる? でも側から聞いてるとそんなに違和感があるわけじゃないけど……」

「そう? ……っと、これは?」

「硬い」

「締め過ぎか……これは?」

 和希と藤野がコンビニへ弁当の買出しに出かけると、一矢がローディの田波と話している間に啓一郎がふらりとスタジオを出て行った。武人は床に転がって睡眠タイムに入ってしまったようだ。

「……じゃ、こんくらい」

「これ、いーんじゃない?」

「じゃあ今日はこんくらいにしとこうかな」

 それからまた少し田波とドラムセットの調整をしてひとしきり納得をすると、一矢もドラムセットから立ち上がった。入れ替わりに、一矢の音作りを覚える為かドラムセットに田波が座ると、一矢は武人のそばに足を運んで床に座り込んだ。

 とりあえずは、弁当待ちである。

(紫乃、ちゃんと起きれたんかな)

 あくびをしながら、昨夜のことを思い返した。

 あれからしばらく、紫乃と話し込んでしまった。

 と言っても話している内容は他愛のないものではある。

 如月のこともぽつりぽつりと聞いたし、飛鳥のことも聞いた。紫乃の母親のことや思い出話なども、少し聞いた。

 いつかの会議室で見かけた紫乃と如月の姿も、ようやく解を得ることが出来た。情緒不安定でぐちゃぐちゃだっただろう紫乃の心を最初に掬い上げたのが、神崎ではなく、何も事情を知らない如月だったと言うことが、微かに、一矢の胸を抉った。

 いずれも明確な回答を与えてやれる種類のことではないが、吐き出すことで紫乃がまた家でひとりで泣かなくて良くなれば、と思う。

 ――おかーさんのことで、心配だって言うのはもちろんあるけど、自分がどういう奴なのかってことを考え始めたら、止まらないよ……。

 気づけば朝を告げる鳥の声が聞こえ始め、仕事を控えている2人はそれぞれ眠ることに決めたのだが、ベッドに潜り込んでからもしばらく一矢は眠ることが出来なかった。紫乃は、あれからすぐ、眠ることが出来たのだろうか。

(啓一郎、どこ行ったんだ?)

 すーかすーかと寝ているとんでもない最年少の健やかな寝顔を眺めつつ、啓一郎が戻ってこないことに不審を覚えて立ち上がった。

 このゲネスタは初めて来るので、どこに何があるのか良くわからない。スタジオを出て防音扉を閉めると、田波が叩いているドラムの音がふつりと途切れた。

(とりあえず下に行ってみるかな……)

 ――如月さんに振られる前も、思ってた。あたしって勝手な奴だなって。……神田くん、あたしのこと好きだって言ってくれたじゃない?

 何となく階段の方向へ足を向けてみる。ワンフロア下りて、更に下りてみようかと思っていると、吹き抜けの階下から啓一郎の声が聞こえてきた。

 のみならず、啓一郎と話しているのは……。

(紫乃?)

 ――何で……?

「……回復に向かってるって言ってもまだ安心出来ないから不安で、ヒロセ、ちょっとローテンション」

 紫乃の昨夜の声と、今聞こえる現実の声がだぶって重なる。その言葉尻から、啓一郎に大方元気がないだの何だのと言われたのだろう。そう判断して、螺旋階段の上に立つと2階の手摺りから下を見下ろした。

「あーに、くだまいてんだよ」

 階段を下りきったすぐ脇にあるソファに、啓一郎と紫乃が並んで座っている。

「一矢」

「啓一郎が戻ってこねーと思ったらお前さんかい」

 何気なさを装っているつもりだが、紫乃もこのスタジオには一矢の部屋から出勤しているのだと思えば、どこか面映く照れ臭い。それが逆に、一矢の言葉を愛想のないものにさせる。全く、啓一郎が知ったら何を言われるかわかったものではない。

「あれ。何こんなとこに集まってるの?」

「君らのエサを買って来たよー」

「や、ただの偶然。さんきゅー」

 2人のそばへ向かって階段を下りていくと、やや離れた場所にある別の階段から和希と藤野の声が聞こえた。手に持っているビニル袋には『エサ』が詰め込まれているのだろう。こちらへ歩み寄ってきて、和希が爽やかに笑う。

「紫乃ちゃん、おはよ」

「おはよーございますううう」

 和希の笑顔に、背筋をびしっと伸ばして挨拶を返す紫乃の頭に、一瞬ツッコミを入れてやりたくなった。それはただのファン心理だと本人は言っているとは言え、何度目の当たりにしても他の男にハートマークをぶっ放している姿はむかつきもするのである。昨夜紫乃が泊まったことで、前よりまた少し近付いたような気がすればこそ一層だ。啓一郎も、完全に呆れ返った顔で紫乃を見遣っていた。

「かっこいいなあ、和希さん」

「……ミーハー」

 藤野と階段を上がっていく和希の背中を見つめながら呟く紫乃に、短く毒づく。ぼそりと言った言葉はしっかりと届いたらしく、昨夜のしおらしさはどこへやら、紫乃は一矢の足に蹴りを入れた。

「いてッ」

「あー立ち居振る舞いが紳士的だなあ和希さんて!! 誰かさんと違ってッ!!」

「誰のことだよ?」

「誰でしょねえええ」

 部屋に泊めた女の子に指一本触れなかった俺も立派に紳士的では?とは、啓一郎の前では言えない。

「和希の立ち居振る舞いが紳士的も何も、弁当持って通り過ぎただけじゃねーか……」

 結果、そう反論するのが精一杯である。

 久々といえば久々に絡み態勢に入った一矢に、思い切り紫乃がむきになった。

「それさえもかっこいい人がやればかっこいいんですうーッ」

 そう言えば以前武藤が言っていた。売り言葉に買い言葉――紫乃がその手合いにむきになりやすいのは実体験でも知っている。ついでに言えば、紫乃を相手にしているとこちらもついついむきになることもわかってはいる。

「あー、やだやだ。幻想。気の多い女」

「気が多いも何も和希さんのファンやってるだけっしょ!? 気の多さについてはあんたにだけは言われたくないもんねええ!!」

「……何だよ?」

「遊び人」

 その端的な言葉に、一瞬ぎくっとした。

 確かに紫乃はむきになりやすい。けれど、それだけだろうか。

 思わず返答に詰まって見下ろした紫乃の目付きに、何かが引っ掛かる。どこかむっとしているのは、一矢の悪態に対してだけではなさそうだった。

 よもやまさかとは思うが。

(…………………………神崎の奴ぅぅぅぅぅぅッ)

 何か言ったな?と紫乃の目付きを見て急激に悟った。

 昨夜、普段よりも縮めることに成功したような気がした距離は、神崎の攻撃によってあえなく突き崩されたらしい。

(ふーざーけーんーなああああ……)

「……お前さんに関係ないっしょー?」

 形無しである。

「関係あるんだったらとっくの昔にしばいてますううッ。大体くだまいてるって何ですか!? 酔っぱらいみたいじゃないよ」

「似たよーなもんでしょ……」

「似てない!!」

「そう言や広瀬は戻らなくていーの」

 完全に置いて行かれ、参戦する気もなさそうに呆れ顔をしていた啓一郎が、不意に思い出したように口を開いた。その言葉で毒気を抜かれたように、きょとんと紫乃が啓一郎を見返す。

「え? うん。まだ平気。啓一郎くんたちこそ、戻らないと、良いお弁当がなくなっちゃうよ」

「ああ、うん。……にしても」

 弁当の争奪戦に加わる気になったらしい啓一郎が、ソファから立ち上がりながら尚も呆れたような目線で一矢と紫乃を見比べた。

「君たち、いつの間にそんなに仲良くなったの?」

「は!?」

 思い切り紫乃が問い返す。仲良くなっていれば苦労はしない。ため息混じりに一矢は、啓一郎の肩にぽんと片手を置いた。

「……啓ちゃん。こういうのは『悪くなってる』って言うんだよ」

「そうかなあ。息があってんなと思って」

「どこがッ!?」

「どこがッ!?」

「……」

 これ以上口を挟む気がないように軽く肩を竦めると、階段の方へ足を向けながら啓一郎が紫乃を振り返った。

「んじゃ俺戻るわ。広瀬も頑張って」

「ああ、うん。ありがとう」

 階段を上り始める啓一郎の背中を追おうとして、一瞬紫乃に視線を戻す。それを見上げる紫乃の目線は、やはりどこかむっとしているように見えた。

「何か言われた?」

「何がですか」

「……何でもない」

 一矢に答える紫乃の言葉は、身も蓋もない。ここで追及するのも躊躇われて、吐息をつくと一矢も啓一郎を追って階段に向かった。

「ちゃんとメシ食いなさいよ」

 それだけ言い残して、紫乃のそばを離れる。離れながらも、内心は軽く神崎への呪詛が浮かんで来ようと言うものである。

(ばかやろぉぉぉぉ……)

 元を質せば自分の行動が悪いのは確かなのだが。

 恨みがましい気分で啓一郎の後を更にもうワンフロア分階段を上がっていると、不意に啓一郎が一矢を振り返った。

「何か、いー感じじゃん」

「……どの辺が」

「言いたいこと言い合える感じで」

 言いたいことを言い合えるのは、恐らく事実だろう。むしろ、言い過ぎのような気もしなくはない。

 もちろん紫乃が内情を吐露出来る相手でありたいと望んだのは一矢自身だし、それを嬉しく思う気持ちはあるが、それは多分紫乃が一矢を男として認識していないせいだと思えば、反面一概には喜べない。

 無言の一矢に、啓一郎が続けた。

「いつの間にそんな仲良くなったんだかって感じ」

「お前さんの目にはあれが『仲良く』映ったの?」

「映った」

「乱視」

 吐息混じりに返事をすると、今度は啓一郎がむきになったように食いついた。

「俺の視力は2.0!! 両目!!」

「え? そうなの? 今時ハタチ越えてその視力って凄いね。野生なの? ……って視力がいくつと乱視って関係ないんじゃない?」

「乱視もないもん。俺、本も読まないし、テレビも見ないし、パソコンもやらないし」

「感動的なくらい文化を取り入れてないのな」

「ミュージシャン!! 音楽は文化ッ!!」

 思い切り逸れている話題に今頃気がついたように、啓一郎は怒鳴ってからふうっと息をついた。語調を改めて、話を引き戻す。

「俺は言いたいこと言えるのっていーと思うけどなあ」

「……前に言ったっしょ。俺は彼女の望むものは与えてやれないの。永遠に」

「ああ……」

 そこで啓一郎は、短い沈黙を挟んだ。

「広瀬、片親なんだな」

「聞いた?」

「うん」

 そして、軽いステップで最上段に足を掛けると、その反動でくるっと振り返ってやや遅れる一矢を見下ろした。

「でもさあ、俺も前に言った。2人で考えることだと思うって」

「……」

「あれ、別に如月さんと何がどうってわけでもなさそーじゃん」

 啓一郎の言葉に、階段を上がる足を止める。一瞬何を指しているのかわからずに啓一郎を見上げ、それから啓一郎が例の会議室の一件を気にしているのだと気がついた。

「ああ。会議室」

「うん」

「気にしてたの?」

「気にしてた。……何笑ってんだよ」

 思わず小さく吹き出す一矢に、啓一郎が憮然としたような表情を浮かべる。

 無関係のはずの啓一郎が、如月と紫乃のことを気にしていたと言うのが、少しだけおかしかった。同時に、ありがたくもあった。

 それは、一矢の胸中を気に掛けていたことに他ならないのだから。

「だって、啓一郎には紫乃と如月さんがどうだろうが関係ないのに」

「そりゃそーだけどさ。理想論でも、みんなうまくいきゃいーなって思うからさ」

 階段を上がりきって、スタジオの方へと並んで歩き出す。

 啓一郎の言葉は本人の言う通り理想論で、そんなことはありえない。

 如月の想いが叶えば紫乃が泣き、紫乃の想いが叶えば一矢は傷つくのだろう。そして一矢の想いが叶ってしまえば、きっと京子がずたずたになる。

 けれど、啓一郎が本気でそう思っていることは、わかる。

 そうなれば良いに決まっているのだ。

 如月の想いが叶っても紫乃は泣かず、紫乃の想いが叶っても一矢は傷つかず、一矢の想いが叶っても、京子はずたずたにならない。

(どうすれば……)

 どうすれば、誰も彼もが幸せになるのだろう。

 誰もが、一方通行だ。

「……理想だね」

「理想だよ」

 ――何で、あたしなんか、好きになったの?

 複雑な思いを押し殺しているような啓一郎の横顔を眺めながら、昨夜の紫乃の声が再び、脳裏に過ぎった。











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