一日目 〜死の始まり〜
一日目
長い長い夢を見る。いつも私に向けられる、あの優しい微笑みは大きな衝撃とともに一瞬にして砕け散る。
そして私の体はもう動かない。
まるで冷凍庫で固められているかのように。
[1]
「かよちゃん、かよちゃんてば!」
ドラ○もんをちょっと高くしたような声が何度も何度も“かよ”というどこか聞き慣れた名前を呼ぶ。
「うー…?」
「がよ゛ぢゃ゛ん!!」
「うわっ!!」
こんなものすごいダミ声をこんな耳元で叫ばれて、飛び起きない人なんてこの世に存在しないと思う。あたしはこの声の主の思惑通りにこの現実へ引き戻されたようだ。
「ほら、はやく起きて!今日もたっぷり仕事があるんだから」
その声の主は、声に似合わずとても可愛らしい姿をしていた。色はまっしろ、形は人魂(?)のようで、頬…と思われる部分はピンク色に染まり、まつげの長い可愛らしい大きな目と、可愛らしい小さな口がついている。そして驚いたことに空中でふよふよ浮かんでいた。
「な、な、な、なによあんた!?」
1テンポ遅れて、あたしはこの状況に焦った。どこの国に人間語を話す人魂に起こされる人間がいる?そんなの空想や夢の中であるにしても現実にはありえない。でもこいつは夢の中のあたしを現実世界に引き戻した張本人なのだ。
「何って…。僕はかよちゃんのパートナーじゃないか」
「僕って!?あんたオスなの!?その顔で!!?」
いやいや、そんなことに驚いている場合じゃない。
『かよはいつもずれてるよな』よくあいつに言われたっけ。
…あいつ?あいつって誰だっけ?
…………。
ほらまた全然関係ない所に思考が飛ぶ。それどころじゃない。そんなことより今はこの状況を把握しなければ。
「あのさぁ、パートナーって一体何のパートナーなのよ?」
「何ゆってるの。仕事のパートナーに決まってるじゃないの」
「仕事?あたしまだ学生で仕事なんて…」
「…もしかしてかよちゃん記憶喪失になったんじゃない?学生っていうのは生前の事でしょ?今は死神の仕事に就いてるじゃないか」
[2]
・私はすでに死んでしまっていて霊体になっている。
・死神試験という、ものすごい難関試験を通過し、今やバリバリ仕事をこなすキャリアウーマン。
・死神には、仕事を伝えるマネージャー的立場のパートナーがいる。それがこの人魂で、私のパートナーはフヨという名前である。
この人魂の内容を簡単にまとめると、つまりこういう事らしい。
信じたくない。信じられるはずがない。
でも信じるしかなかった。だって、あたしの体はもう物に触れる事ができなかったから。話しかけても誰も振り向いてくれなかったから。
普通はこんな風に思うと思う。
でもあたしは普通じゃなかった。全然ショックをうけなかった。その現実を『はい、そうですか』と、すんなり受け入れていた。
なんでだろう?
この時、失った記憶の奥底でほっと安心したような気持ちになったことを、この時のあたしはまったく気づいていなかった。
「記憶喪失ならしょうがないよね」
そう言って、フヨは本棚から10cm程厚みのある、薄汚れた本を持ってきた。ここは死神としてのあたしの部屋で、起きた時もあたしはここに寝ていた。女の子らしいものは何もなく、それどころか、あるのは古い木でできた最小限必要な家具類だけだった。どれもこれも、今にも壊れてしまいそうな程古く見える。部屋全体が薄暗く、ちょっと動くと、積み重なった何十年分かの埃が部屋の中を自由自在に舞う。
この部屋は生きている人が住む普通のマンションの一室で、入るにはちょっとコツがいる。適当な場所で適当な合言葉を言わなければならない。その合言葉は、《自由を我らに!》だったが、何の活動をしているのかまったく分からない。
フヨが持ってきた本は“死神の基本&応用知識”と書かれていて、同じように埃を被っていた。 この本を使っていたのはいつなんだろう?あたしってそんな昔に死んでたのかしら?
「さ、それ全部覚えなおして」
「は!?この本全部!?」
「当たり前でしょ。知識がなかったら仕事なんてできないんだから。一時間くらいあればいけるよね?」
「無理だよ!あたし勉強大嫌いなんだから!本だってマンガしか読まないんだよ」
そうだ。あたしは勉強とは無縁の女だった。成績だっていつも中の下くらいで、『勉強しろ』と先生に口うるさく言われたものだ。そんなあたしが厚さ10cmの本を一時間で覚えられるはずがない。頑張っても目次を覚えるので精一杯だろう。本当に死神試験に合格したのかと自分を疑ってしまう。
「あたし勉強より実践派なの。本読まなくても、フヨがああしろこうしろって言ってくれたらできるから、もう仕事始めようよ」
「え〜…」
「できるって。一回覚えてちゃんと仕事してたんでしょ?やってるうちに記憶も戻ってくるかもしれないよ」
「……。ちょっと待ってて」
そう言ってフヨは消えてしまった。パッと一瞬のうちに。現実生物じゃないって分かっていても、こういうのはやっぱりドキッとさせられる。
「OKだよ。ほんじゃあいこっか」
「ぎゃあっ!」
フヨはいきなり、消えた位置とは違う、正反対の位置に現れた。ちょうどあたしの真後ろに。まだ慣れてないんだから、そういうことはほんとちゃんとわきまえてほしい。
[3]
キーンコーンカーンコーン。
どこの学校でも同じ、その馴染み深いメロディーは、あたしをとても懐かしくせつない思いにさせた。
白い校舎は、同じ場所で長い間ずっと学生達の成長を見守り、自分自身もずいぶん老け込んでしまっている。まるで、疲れを取り除き、そして労るかのように、春の日差しはその老校舎を優しく包んでいる。その日差しは、あたしにも、同じように優しい温もりを与えてくれようとしているのに、その温かみを感じることができないというのは、何とも悲しく申し訳ない。
ざわざわ。
「今日さぁ、あの現国のハゲのカツラがさー、」 がやがや。
「なぁ、数?の宿題やった?あれって提出いつだっけ?」
ざわざわ。
ちょうど下校時刻だったようだ。何人かのグループになった学生達が、今日起こった様々な出来事を友達に報告し合いながら、正門の傍にある花壇の縁に座っている、あたしとフヨの前を楽しそうに通り過ぎて行く。
あたしからは見えているのに、彼らからは見えていない。とても不思議で奇妙で、そして新鮮だ。
あたしは近づいて、彼らの前で手を振ってみたり、彼らの体を通り抜けたりしてみた。何度もやってみて、あることに気がついた。見えていないはずなのに、不自然に辺りをキョロキョロ見渡したり、感じられるはずもないのに、あたしが通り抜けると、鳥肌が立ったり寒気をうったえる人がいる。きっとこれが霊感なんだ。でも、ほとんどの人がそんな様子もなく平然としていて、相変わらずおしゃべりをしながら、楽しそうに下校していく。
ふっと生前の記憶が頭をかすめた。あたしにもこんな時があった。毎日がとても幸せで、とても充実していたんだ。
戻りたい。
もう一度生きたい。
そう思わないこともない。だけど、何か大きなものがその思いを邪魔する。
戻れない。
戻ってはいけない。
絶対に。
そんな気持ちになる。
でも結局は、戻りたいと思ったとしても、戻れるはずがない。だって、あたしはもう死んでるんだから。
あたしが死んだ時、みんな悲しんでくれただろうか?ちゃんとお葬式に来てくれたんだろうか?親友のユキ、担任の佐藤、そして…、そして…… 。
『かよはいつもずれてるよな』
あれは…あの低くてダルそうな、それでいて優しいあの声は……。
「かよちゃん!あれだよ!あの男の子だよ!!」
「え?」
フヨが指指す方向には、確かに、校舎から出て来て一人でこちらに向かって歩いてくる男の子がいた。男の子といっても、高校生なんだから、あたしと年は変わらない…はずなのだ。なのにその男の子は、まるで波乱万丈な人生をおくった年寄りのように、妙に落ち着いていた。そこだけ空気が違うのが、遠目からでも分かる。これは死神の力なのだろうか。
「あの人もう死ぬの?」
「うん、三日後だね」
あっさりとフヨが言う。
「死神がとりついてから、ちょうど三日後に死ぬんだよ」
「とりつくって?もうとりついてるの?」
「ううん。あの人の体に触れて、初めてとりつくことができるんだ」
「触れるって…!?あたしさっき思いっきり触れちゃったよ!触れるどころかもう通り抜けてたよ!!どうしよう!なんでもっと早く言ってくれなかったわけ!?あたしみんなにとりついちゃったよ!!大量虐殺だよ!!!!」
「まあ、虐殺ではないよね。確実に」
フヨさんは普通に間違いを正してくれた。
「ちょっと!そんなこと本気でどうでもいいよ!ちゃんと質問に答えてよ!!あたし人殺しになっちゃうじゃん!」
「まあそれ、死神だから当たり前だよね」
フヨ様はしっかりとおかしな点を見つけてくれる、とても親切な生き物らしい。
「あんたあたしのことからかってんの!?絞め殺すよ!?」
「いや、ボク死ぬとか以前に生きたことないし」
「コロス…!!!!」
「ぎゃあ!うそうそうそ!許してェ!!」
何が嘘なのか不明だったが、あたしがものすごい形相でフヨのしっぽ(のように見える場所)を掴み、手で力いっぱい引きちぎろうとしたのが効いたらしく、泣きべそをかきながらやっと答えてくれた。
「ぐすっ…、あのね、死神だってこの世界にいるんだよ?ここで仕事するんだよ?仕事してる時にわざわざターゲット以外に触れないように避けてたらキリないし、疲れるし、ちゃんと仕事できないよ。ぐすっ…」
「じゃあ大丈夫なのね?みんな死なないのね?」
「うえっ、ひっく…、うん、死なないよ。ボクたちマネージャーは、死神界にあるターゲット表を見て仕事を選ぶんだ。ターゲットを決めたら書類を書くんだけど、その書類を書かないと、例えターゲット表に載ってても殺すことができないんだ。ひっく…、もし自分以外の死神が書類を提出してたとしても、ボクたちには殺すことができない。ボクたち自身が書かないと無理なんだよ。ちなみに、一度書類を書かれた人は、ターゲット表に二度と載らないことになってるんだ。つまり、一回書類書いちゃえば、その人間は書いた死神専属のターゲットってこと。そういうわけで、かよちゃんには今一件しか仕事とってきてないから、ターゲット以外に触れても何にも関係ないってわけ」
「え?じゃあさ、このままあの人に触れなければ、あの人はずっと生きられるんじゃ…」
「だめだめ!そんなことできないように、ちゃあんと最終確認があるんだよね。殺したっていう書類も書かなきゃいけないし、すぅぐばれちゃうよ」
そしてフヨは、意図的なのか、それとも話続けて疲れたのか、ふぅとひと息ついてから言った。
「それにね、あの人を殺すのは必然なんだ」
「?」
「だって運命の輪が乱れてしまうもの。あの人がここで死ぬ事は運命なんだ。初めから決められた、ね。だからターゲット表に載ってるんだよ。ここであの人を生かすことはそんなに大したことじゃない。だけど、違う人が入る予定だった大学に入学する。違う人と一緒になるはずだった人と結婚する。本当はいるはずのなかった子供が産まれ、その子供も結婚する。そうやって誤差はどんどん大きくなっていき、輪の乱れもどんどん大きくなっていくんだ。わかる?ボクの言ってること」
そしてフヨは、聞き取れないくらい小さな小さな独り言を言った。
「中には、その運命の輪を乱す、やっかいな死神もいるんだけどね…」
ちょうどその時だった。あたしは『それどういう意味?』という、フヨの独り言に対する追求をしようと、口を開いた瞬間だった。
「俺を迎えに来たのか」
低い声が響いた。
振り向くと、そこに彼が立っていた。
「俺は響。よろしく」
そう言って、今時の若者には珍しく、握手を求める手を差し出してきた。状況が掴めず、開いた口を閉じることも忘れ、呆然としたあたしがやっと気がついた時、既に反射的に手を差し出した後だった。冷たくも暖かくもない彼の手は、とても印象的だった。
幽霊のあたしが、どうして人間に触れることができるのか、そんな疑問も浮かばない程に。
そして次の瞬間、開いた口が更に大きく開かれた。
この瞬間から“死”が始まった。




