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20.

「まったく、アルカと来たらすぐにどこかに行く」


 シグラッドはホールを横切り、二階へ上がろうとした。だが、皇太后が進路に立ちはだかり、シグラッドの邪魔をした。


「シ――シグラッド! 待ちなさい。まずはブレーデンを助けて。あなたならなんとかできるでしょう!?」


 皇太后は、口から泡を飛ばさんばかりの勢いで迫った。シグラッドはうるさげにしたが、注意をむけた。


「なんとか、ね。代わりにあれを譲ってもらえるのなら考えます」

「あれというのは……」

「もちろん、先王の手紙です」

「なんて酷い。弟が苦しんでいるときに、おまえはそんなことをいうの?」

「“醜いな”」


 シグラッドは背後でうめいているブレーデンを一瞥し、冷たくつぶやいた。


「“二度と私の前にその醜い顔を見せるな”――城を去る私の母にいったのは、確か、皇太后、あなたでしたね」

「あ――あれは……今は関係ないでしょう」

「大いにありますよ。肉親が二目と見られない姿になる苦しみを、あなたに思い知って欲しかったものですから」


 シグラッドはうつくしい金の瞳を光らせて、残忍に笑んだ。いつの間にか瞳孔は縦に開き、爪がするどく伸びていた。首や手の甲には赤いうろこすら生え、炎に照り映えている。かすかにただよう竜涎香のにおいに誘発されて、竜の血の濃いシグラッドもまた竜化しているようだった。


「正直ね。こんな状況になったなら、手紙なんていらないんです。手紙もろとも館を焼いてしまえば済む話ですから」

「なん――ですって?」

「同情します、ブリューデル皇太后。息子の起こした火事で焼け死ぬなんて」


 シグラッドが一段、階段を上る。ブリューデルも青ざめながら、一段上る。シグラッドが上るたびに、ブリューデルも階段を上る。それを繰り返すうちに、ブリューデルは階段を上りきり、背が壁に当たった。


「し、シグラッド」

「この機会に悪臭の元を断ってやる。――二度と私の前に現れるな!」


 シグラッドの瞳の奥に金の炎が宿り、ブリューデルの姿が炎に包まれた。悲鳴を上げる間もなく、ブリューデルの身体はみるみる灰に帰す。一瞬にして人の姿が消え去り、イーズは絶句した。


「ふふ……久しぶりだな、この姿は」


 ブリューデルを燃やした炎をかぶっているはずだが、シグラッドは火傷一つ負っていなかった。服が焦げて使い物にならなくなっているのを見ると、自身を炎で焼く。うつくしい赤いうろこに覆われた身体が現れた。ブレーデンの不完全な変化とはちがう、完璧な半人半竜の姿だ。


 シグラッドはブリューデルの部屋を焼き払った。それから、何事もなかったように、床に婚約者を助けようと手を伸ばした。


 だが、人一人焼き尽くすような猛火を目の当たりにしたイーズは、少なからずシグラッドにおびえた。手すりの支柱にすがりつく。先ほどの炎で焼け焦げ、弱っていた支柱は重みに折れた。イーズは階下にむかって落ちていった。


「アルカ!」


 イーズは衝撃を予想して目を瞑ったが、来るはずの痛みは来ず、代わりに、身体の下でくぐもった声が上がった。


「大丈夫? アルカ」

「レギン!」


 病弱なレギンを下敷きにしてしまい、イーズは大いに慌てた。だが、レギンは無傷だ。シグラッドと同じく竜化し、たくましい手足は青いうろこにおおわれている。炎にもものともしない。


「シグラッド、その姿なら炎を操れるよね。この火事、なんとかできる?」

「消すのは得意分野じゃない」

「なら、早く出ようか。ブレーデンは……どうしようね」


 ブレーデンはまだ痛みに暴れていた。レギンが対処に悩んでいると、シグラッドが二階から身軽に飛び降り、ブレーデンの前に立った。問答無用で蹴り上げ、襟をつかみ、顔を殴りつける。さらに一発拳が当たると、ブレーデンはぐったりとして動かなくなった。


「これで竜化も止まるだろう」

「乱暴すぎるよ、シグラッド。竜化を止める方法、他にあるんだろ?」

「あるんだろうが、私は知らない。私は先王に選ばれて王になったわけではないから、すべてを受け継いでいるわけじゃない」


 シグラッドは静かになったブレーデンの襟首をつかむと、レギンに差し出した。


「レギン、こっち持て」

「ええ? 僕がブレーデンを運ぶの?」


 普段、ブレーデンに嫌がらせを受けているレギンは遠慮したそうにした。


「今ならレギンの方が力持ちだ」

「たいして変わらないよ」

「いーや。変わる。前に竜化したレギンを止めたとき、私は大変な思いをさせられたんだぞ」

「普段は暴走しているから――って、うわっ!」

「どっちが強いか、試してみるか」


 レギンは突き出されたシグラッドの拳をつかんだ。金の瞳をいきいきと輝かせて、シグラッドは拳を押し出す。レギンは拳をつかんで、必死に押し返す。周囲で燃え盛る炎を気にも留めず、二人は互いの力を試しあったが、長くはつづかなかった。


「喧嘩なら後でやれ、小僧ども! アルカが焼け死ぬだろうが!」


 いつの間にか火事場に入り込んでいたオーレックが、二人の頭に容赦なく拳骨を喰らわせた。


「ほら、早く出た出た。火は消しておいてやるから。まったく、後始末もできないなら火遊びなんてするな」


 オーレックはぶつぶついいながら、ブレーデンの身体を外にむかって放り投げた。シグラッドもレギンも、自身もそうされてはかなわないので、さっさと脱出する。


 三人が出た後、炎は一度紫色の炎に包まれ、紫炎が消えると火はなくなっていた。レギンはさすがと感嘆し、シグラッドは悔しそうにむすっとふくれた。


「アルカ様、ご無事で!」


 館から出てきたイーズに、シャールが駆け寄ってくる。大使も一緒で、レギンからイーズの身体を引き取った。少しはなれたところで、バルクは足元に捕縛したティルギス人の縄を持って立っている。救出と反撃は成功したらしい。


「すみません、ティルギス人だったので、まさか襲われると思わず。油断しました」

「無事でよかった」


 いいながら、イーズは遠慮がちに首領を見た。じろりとにらまれ、身を縮める。


「強かなやつだ」


 首領の男はそっぽをむいた。イーズにすっかりしてやられ、怒っているようだったが、これ以上暴れる気はないようで、仲間たちも静かにしている。竜王祭が終わればこうなると覚悟していたのだろう。


「彼らのことはアデカ王に報告して、処罰を仰ぎます。まあ、アルカ様に刃をむけ、軍師を殺したのですから、死罪は免れないでしょう。安心してください」


 実の父親を失ったイーズを慰めるように、大使はイーズの背をやさしく叩いた。が、イーズは杖を抱えてしばらく思案すると、大使にいった。


「大使。この人たちのこと、私に任せてもらえるよう、アデカ王にお願いできないかな」

「アルカ様にですか?」


 大使が目を丸くすると、首領の男は哂った。


「おまえ自ら私を殺すか。かまわん。覚悟はしていた」

「いえ、違います。殺したりなんかしません。イーダッドおじ様が死んだのも、あなた方がイーダッドおじ様を殺したのも、私の臆病さが招いた結果だと思うから」

「では、どうすると?」

「さっき、考えたんです。イーダッドおじ様なら、どうするかって。きっとこう考える。“死を死で購っても、それは何の益もない。彼らには生きて、死んだ者以上の益をティルギスにもたらしてもらおう”って」


 首領の男は意表を突かれたようだった。憎しみも恨みもなくただ自分を見つめてくる少女に、呆れたような、感謝するような、複雑な笑いをかすかに浮かべた。


「ごめんなさい。私、甘ったれていたんだね。そのことに気がつかせてくれてありがとう」


 首領の男は、にがい笑いを浮かべて、頭を垂れた。すまなかった、とかすかなつぶやきが聞こえた。


「しかし、彼らの目論見を阻止することはできましたが」


 シャールは視線を、焼け焦げた棟の前にいる皇帝にやった。シグラッドは腕組みをしてじっとイーズを待っている。竜王祭で笛を吹かせる気満々だった。逃げ場がない。


「練習の成果を見せていただきましょうか、アルカ殿下」

「ヴォータン夫人」

「それとも、あの話を進めましょうか。わたくしどもは歓迎しておりますよ」

「あの話?」

「アルカを僕のお嫁さんにするってお話だよ」


 アニーの横にいたレギンが、そっとイーズに右耳にささやく。


「とりあえずの話です。レギン様の元にいれば、身の安全が確保される上に、引きつづき高い教育が受けられ、さらには最高の治療も受けられる。三年様子を見て、アルカ様がまだティルギスに戻る気があれば戻れるように計い、ニールゲンにいてもいいと思うなら、そのままレギン様と結婚だとイーダッド様はお考えだったようで」


 左耳に、シャールが小声で耳打ちする。イーズは目を白黒させていたが、やがて、うん、と一つうなずくと、シャールに杖を預けて竜笛を握った。


「練習の成果をお見せします、ヴォータン夫人。でも、その前に一つだけ」

「なんでしょう」

「ブリューデル皇太后に私のケガを知らせたのは、あなたなんですか?」

「……その通りです。貴女は二度もレギン様の竜化を止めた。あなたがレギン様のおそばにいれば、きっとレギン様の支えになる。あなたを皇妃の地位から下ろすために、ブリューデルを利用いたしました」


 アニーは淡々と、しかし固い決意を秘めていった。アニーにとっては、皇太后も皇帝も恐れ敬うべき存在ではなかった。彼女はだれを犠牲にしてでもレギンを守る覚悟がある。


「いつでもお越しをお待ちしております、アルカ殿下」


 深々と頭を下げるアニーに、イーズは言葉を返せなかった。それは魅力的なお誘いで、はっきりと断るには惜しかったのだ。しかし腹を括って大使を促し、イーズはシグラッドへ近づいていった。


 その場に集まっている群衆は、皆、皇帝に跪いている。面を伏せる人々の間を、イーズは進む。燃えるように赤い髪、するどい爪、金にきらめく両眼、うろこにおおわれたシグラッドは、赤い竜の化身だった。代々の皇帝の中でも、シグラッドほど見事な竜化ができる者はそういないだろう。自分たちの主の威容に打ち震えながら、家臣や召使たちは静かに控えていた。


「……きれいなうろこだね。宝石みたい」

「無理するな。アルカにしてみれば、こんな姿、どうせ化け物みたいなものだろう」


 イーズは図星を指され、耳が痛くなった。が、怖くない怖くないと自分に言い聞かせて、そっと婚約者の頬にキスをする。シグラッドは頬を打たれたように驚いた。


「シグは私のことずっと守ろうとしてくれていたのに、逃げようとしてごめんね。助けに来てくれて、ありがとう。私の笛で竜王祭を始めてもいい?」

「いいさ。アルカの笛でなければ、私の祭ははじまらないんだ」


 シグラッドはイーズの右手を取り、赤い竜のかざりがついた手甲に口付けた。白く細くやわらかな身体を抱えあげ、その場にひれ伏している群集に咆える。


「さあ、何を呆けている! はじめるぞ! ぐずぐずするな! 今日は赤竜王が地に舞い降りた日! 赤い竜の咆哮を、今一度世界に響かせろ!」


 シグラッドの声が夜明けの空にひびく。朝日に赤く染まった空。何百年も昔、同じ時に、同じ場所に、赤竜王は大地に舞い降り、咆哮をひびかせた。竜化したシグラッドは、その化身のように勇ましく気高くうつくしい。家臣や召使たちは鬨をひびかせるような勢いで、自分の主の命令に応えた。


「さあ、祭りのはじまりだ!」


 若き赤竜の王は、回廊にともされた松明を勢いよく燃え立たせながら、広間へとむかって歩き出した。


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