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最終話:独白。そして

「私たちは、テオスゲノスの民の筆頭神席であると同時に、エツ・ハダアトという革命組織を運営しています」

「人間と、AIが……?」


 加治木の口から、困惑が言葉となって漏れ出た。


「ええ。全ての始まりは、二〇〇八年でした。私は、赤ん坊でした。ユダヤ人の血が八分の一と、日本人の血が八分の七流れている、混血児」


 だからと言ってどうということはない、と乃那は言った。


 IT企業を経営していた父と、医師の母を持った乃那は、世間から見れば裕福な家庭と言えた。二〇〇八年に、北新宿で連続殺傷事件が起こるまでは。


「あの事件で、父親が死にました。私は、それ以来、母に育てられてきた。

 母は、それほど強い人間ではありませんでした。父の死は、母にとって大変な衝撃でした」


 乃那の母は、夫の死を嘆き悲しんだ。

 その悲哀は、次第に、醜悪な憎しみへと変わっていったのは、致し方ないことであった。


 犯人への憎しみ。それが、乃那の母の、生活の原動力となっていた。


 乃那の母は事あるごとに、呪詛を吐いた。精神障碍者を悪辣に罵った。

 普段は優しい母が、ときに修羅のように豹変する姿を、乃那は目の当たりにしてきた。


「私は、母が怖かった。人間の悪意というものが、怖かった」


 母はひたすらに、犯人の死を望んだ。命に見合うのは命だけであると思っていた。


 二〇一五年。


 最高裁判所で犯人に下された判決は、心神喪失による、無罪判決だった。


 母は絶望した。生きる意味を失った。判決後間もなくのことである。


「母は死にました。家で、首を吊って。母を最初に見つけたのは、私でした」


 乃那は、悲しそうな顔をした。


「母は、自分の中で膨らんだ憎しみに耐えられなかった。

 可哀想な人でした。もし、母が、誰かを憎むことが無かったら、きっと、私は、今でも母と一緒に居られたはずです。

 なによりも、もし犯罪が起こらなければと……そう考えずにはいられませんでした」


 乃那は、七歳にして両親を失った。


「その後、私はアメリカに住む父方の祖父母に引き取られました。血を吐くくらいに、本を読んだ。

 どうしたら、人は犯罪を犯さずに済むのか。

 

 現行の法制度が示すように、刑罰だけでは、犯罪を完全になくすことはできません。

 ルールには限界があるのです。

 そのとき、私が出会ったのが、チャールズ・ダーウィンと、フランシス・ゴルトンでした。


 人類は、進化する必要がある。小さな私は、真っ先にそう考えました。

 ダーウィンは、ガラパゴス諸島における生物の進化から、生物は生存環境を生き延びる個体によって、形質を変化させていくと述べていました。


 人類から犯罪がなくならないのは、このせいだと私は思いました。

 悪い人間が生き残る様に、世界はできているのです。


 そう思うと、答えは簡単に見つかりました。


 優しい人間だけを残していくのです。

 優しく、優秀な人間が種を残していくことで、人間はより優しく、より賢い生物に進化を続けていく。

 

 それが、私の思想の原典でした。

 その実現に当たって、私はもう一つの壁にぶつかりました。

 

 優れた人間を選択する難しさです。


 悪性の人間を選択するのは簡単です。犯罪の履歴がある人間を、削除していけばいい。

 だが、優れた人間を選択するというのは、大変難しい。


 何故なら、例えばハロー効果といった認知バイアスひとつとっても、人間は人間を正しく評価できないからです。

 人間は、感情を持つがゆえに、合理的な判断ができないのです。


 ならば、答えの先に見つかったのは、感情を廃した合理的な判断ができる存在でした。

 当時は、人工知能の黎明期と言っていい時期でした。

 私は、常に合理的に、理性的に物事を判断できる存在を作った。それが、ダアトです。

 

 こうして、私の元に、方針とアイテムが揃いました。

 悪人を排除する。

 善人をダアトによって選定する。


 ただ、私には、その計画を実行する力が無かった。


 だから、私は宗教を作ったのです。

 善意を最大の教義とする信徒を集め、善意のみの世界を夢見ることができる人たちを、必死で集めました。

 そして、その中からさらに、ダアトと一緒になって、優秀な人間を集めていった。


 革命組織『エツ・ハダアト』の誕生です。


 『エツ・ハダアト』とは、アダムとイブがエデンの園で口にした禁断の果実……智慧の樹のこと。

 智慧の樹が、羞恥をも知らぬ原初の二人を人間へと進化させたように、私たちこそが、人類を再び、進化させる。

 

 エツ・ハダアトの人間にだけは、私の最終的な目的を告げました。

 その目的に同意できる人間だけが、この組織の中で活動が許されるのです。


 私たちは、大きな矛盾をはらんだ存在でした。


 優秀で優しい人間の社会を作るために、自分たち自身が、悪辣な人間にならざるを得ないという矛盾です。

 この問題の解は、比較的すぐ思い浮かびました。


 細胞の自死機構です。アポトーシスという。

 悪性となった細胞が、自ら死ぬことで組織全体を健全に維持するという物でした。

 これを、人間社会に適応すればよかったのです。


 私たちは、暴力と犯罪によって、優秀で優しい人間の社会を実現する。

 そして、その目的が叶った暁には、我々は自壊するのです。


 我々が自壊することで、誰の手を汚すこともなく、世界は優秀で優しい人間の社会を実現できる。

 そのためには、目的達成の過程での悪をいとわない。


 そうして、エツ・ハダアトは拡大を続けました。

 革命の日のために、多くのことを実行に移してきました。


 最初の一段階は、自衛でした。公安警察の人間を、味方に引き入れることです。


 我々の行為が、右翼的活動として抑制され、摘発されてしまえば、我々は行動できません。

 幸いにも、我々が目論んでいる優秀で優しい人間の社会というスローガンは、エリート意識の高い公安警察に、良く馴染みました。


 こうして我々は、後ろ盾を手に入れた。


 次に考えたのが、我々の理念を実現できる社会の構築に、何が必要かという事です。

 我々は、現政府を打倒しなければならなかった。

 腐敗した政治家を廃して、優秀で善良な政治家に国政を担ってもらう必要があった。


 そのときに、ちょうど朝鮮戦争が発生しました。これは、大変な好機でした。


 国民感情をあおったのです。


 難民を追い出す活動家にデモを誘発させることで、難民に財政を裂く現行政府への不満を煽りました。

 物価高騰の局面においても、政府の対応の不備を拡散した。


 そして、刑務所の放火です。


 これには、二重の意味がありました。

 悪性の人間を排除することと、世論を味方につけることです。

 生活の苦しい人々を装い、受刑者は生活苦など感じることが無く、税金で生かされてると誇張して、批判的な世論の情勢を行いました。


 いわゆる生きるに値しない命、というレッテルを、受刑者に対して張っていったのです。


 ここまでは、上手くいっていました。

 ところが、やはり、生来から悪性の人間というのはどこにでもいるものなのです。


 大杉克樹。

 彼は、我々組織における悪性細胞でした。


 極右団体の人間で、雄弁家として民衆の人心掌握を行うために、取り入れた人間だったのですが。

 この大杉を取り入れたことで、彼は、彼のもとに右翼勢力を形成してしまった。


 私の本来の目的が、達成できなくなる恐れがありました。


 だから、私は大杉を目立つように殺害しました。

 大杉が、左翼勢力によって殺されたという情報操作により、大杉が形成した右翼勢力を、取り入れるためです。


 彼等には、極右勢力として、現行政府のクーデターを行う駒になってもらわなければなりませんから」


 乃那は、訥々と、彼女の策略を語った。


 加治木はただ、唖然として聞いていた。


「……なぜ、こんな話を、私に」


「ダアトが選んだのです」


 乃那は言う。


「あなたは、善意の人だ。優秀な人材だ。そういう人間が、新しい世界を作るためには必要なのです。

 私と一緒に、その手を血で汚して、一緒に死んでくれませんか。

 新しい人類のために。より素晴らしい世界のために」


 加治木は無意識に、拳銃を持った手を、乃那に掲げていた。


 乃那は、その銃口を見つめながら、瞬いた。


「私を、撃ちますか。それでもいいでしょう。私がいなくとも、ダアトがいます」


 加治木の中に、不意に天穂の顔が浮かんだ。


 妹が生きていれば、あんな姿かもしれないと思った。妹は、何というだろうか。

 大悪を罰するために、小悪を見逃せと言うだろうか。

 大善を成すために、小悪を犯せと言うだろうか。


 加治木は、拳銃の引き金に、震える指を掛ける。


 乃那は、優しく微笑んだ。


 それはまるで、赤子をあやすような、笑みだった。


「将来死ぬかもしれない沢山の人のために、あなたは今、私を殺せますか?」 


 加治木は、震える指先に力を籠め――


 


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