第十八話:追及 ~加治木捜査官~
すべての準備を終え、加治木はその場所にやってきた。
リーガルパレス東京のスイートルーム。
何十人もの人間が集まるパーティまで可能かと思われるほどの広さの部屋で、加治木とその相手は、対面するソファに座っていた。
高級なソファに座りながらも、その柔らかさに身を委ねられるほどの余裕は、加治木には無かった。
「少し長い話になりますが、聞いてもらえると有難いです。テオスゲノスの民の幹部、大杉克樹の殺害について。その犯人が分かったんです。
まず事件の概要を、振り返らせてください。
大広間の演台に立っていた大杉克樹が演説を終えた直後、事件は起こりました。
手を上げた大杉に二発の銃声。倒れたところに、もう一発の銃声です。
大杉は、胸を撃たれて即死でした。私が助けに行ったときには、既にこと切れていた……。
大杉の体内からは、一発の銃弾が見つかり、三発の内、一発が大杉を殺害した。
最初は、そう思っていました。
だがこれは、よく考えてみれば、大杉を狙ったものだとしたら、起こるはずのない事件なんです。
全ては、現場の環境です。
聴衆の席は薄暗く、照明は演台を照らしているのみでした。大杉の周り以外には、十分な照度が無かった。
こんな環境で拳銃を発砲すれば、発砲時の火花で、すぐに犯行がバレてしまう。
そのうえ、現場は中継カメラによって、日本全国にある支部にも中継されているという。
聴衆だけでなく、カメラにも残ってしまいかねない犯行は、かなりのリスクを伴うはずです。
そう考えると、なぜわざわざ、大例会を狙って大杉の殺害を企んだのか、理解に苦しみます。
なにか、合理的な理由があったのではないか。
元々の事件の姿とは、大杉の殺害を目的としたものでは無かったのではないか。
その疑問を発した途端、ようやく事件の全容が見えてきました。
なぜあの瞬間に、事件が起こったのか。
あのタイミングでなければならなかったのか。
あの大例会は、一体何が特別だったのか。
その答えは、すぐに見つかりました。
我々、公安の存在です。
公安捜査官が潜入していたこと、それが、あの日だけのスペシャルだったんです。
そう考えると、疑問だった一つの謎が、すぐに解けました。
中継カメラと会場注意事項の矛盾です。
大広間の入場前、そして大例会の開催前にも、かなり厳重に、録画録音機器の持ち込み禁止が警告されていました。
その一方で、中継カメラが支部に中継を行っている。
もし、支部の誰かが録画や録音をしてしまえば、大広間でいくら持ち物検査を行ったところで、まったく意味がありません。
矛盾が生まれたのは、どちらかが後付けだからなのです。
会場での信徒の話で、中継が初めての試みであったことを訊きました。
公安とカメラ。
この二つが偶然にも、あの日、あの場に揃うことになった。
そんな偶然が、ありえるでしょうか。
私は、あり得ないと思いました。
中継カメラは、他ならぬ、公安捜査官を補足するために設置されたものだった、というのが、私の仮説です。
すると、もう一つの事実も浮かび上がってくる。
少なくとも、教団の幹部は、あの大例会に公安捜査官が潜んでいるという事実を知っていたのです。
しかしながら、カメラを置いただけで公安の捜査官が誰かを判断する術はありません。
その程度で公安と気付かれてしまうほど、公安の人間の潜伏能力は低くない。
教団としても、それくらいは考えたでしょう。
となると、公安の捜査官をどうにかして、カメラの前に引っ張り出す必要がある。
そこで考えられたのが、この銃撃事件だったのです」
対面するものは、ただ、黙っている。
加治木は、唾を飲み込んで乾いたのどを潤し、話を続けた。
「銃撃騒ぎを起こして、公安捜査官を吊り出す。それが教団の作戦でした。
これは、幹部である大杉も把握していたことでしょう。
自分が死んでもいいから公安を吊り出そう、などと思う訳はありませんから、銃撃騒ぎは、あくまで騒ぎで、演技のつもりだった。
そうです。あれはもともと、大杉の演技だった。
そこまでが分かれば、更なる謎も、紐解くことができます。
まず、見つからない弾の行方です。
演技であるならば、弾が見つかるはずはない。
公安捜査官や聴衆に、銃撃騒ぎが起きた、と思わせればいいだけですから、さしずめ、発砲音は録音だったのでしょう。
発砲時の閃光が無かったことからも、録音の可能性は高い。
実弾は勿論、空砲でも閃光と煙は避けられませんからね。銃を布などで隠すよりも効率的だ。
三度の銃声は、偽物だった。
では、一体いつ、大杉は死んだのか。
そのタイミングは、たった一度きりだったと思います。
そして、そのタイミングをコントロールできた人間は、あの場でただ一人でした。
演技で倒れている大杉に近づき、悲鳴を上げ、聴衆が混乱したそのタイミングで、照明を点けさせる……。
その場に、人のいい公安捜査員が慌てて駆けつければ、明るい照明のもとで、ばっちりと公安捜査員をカメラに捉えられたわけです。
その本来の銃撃偽装計画に、犯人は巧妙に殺人を混ぜ込んだんです。
本物の銃声を悲鳴で掻き消し、発砲時の閃光を、照明の点灯ですっかり紛らわせてしまった。
暗順応した目には、照明の点灯自体が閃光のように見えました。
これらをコントロールできたのはあなただけです。司会のコウサカさん——いえ、神宮司乃那さん」
乃那の、色素の薄い赤みがかった瞳が、微かに揺れた。
その表情は一分の隙も無い彫刻のように、じっと、こちらを見つめている。
口角が、微かに上がった。
「お人が悪いですね。公安の方だったなんて」
「とんでもない。あなたは分かっていたんじゃないですか? 私が大例会に行くことを」
「仮に私が……あなたのいう、犯人だとして。どうしてそう思うんです?」
嫣然とした笑みを浮かべ、乃那は首を傾けた。
「簡単ですよ。もし、普通の公安の人間なら……あの場を見過ごしたかもしれない。潜入捜査を優先するために」
「日本の公安警察の方というのは、随分薄情ですのね」
「その時になってみないとわかりませんけどね。現場を見過ごした可能性は、私よりは高いでしょう」
「善意志の人、というわけ」
「何に対する善意か、だけの違いですよ」
そう、と言って、乃那はほっそりとした顎の先に指先を当てた。
「仮に、そうだとして。三つほど疑問が出てきますわね。
一つは、なぜ私は、あなたが来ることを知っていたのか。
二つ、なぜあなたが公安捜査員だと分かっていたというのに、カメラにまで捉えようとしたのか。
三つ、そもそもなぜ私は、大杉さんを殺さなくてはならなかったのか」
加治木は、大げさに肩を竦めて見せた。
「そこがね、降参なんです。特に最後の一つはね。
前者の二つについては、選択肢が限られます。
私が、どうにも身体が動いてしまう性分であることや、あの日潜入することを知っていた人間は、片手で数えるだけしかない。
その人たちから漏れたとしか思えません。
二つ目の疑問ですが、私を公安捜査員だと知っているのは、教団の中であなただけだった、とすれば何ら問題はない。
教団の他の人間には、公安捜査員が来るそうだ、という情報だけを流しておけば、公安をあぶり出す作戦には賛成するでしょう。
となれば必然、三つ目の動機もおおよそ推測できるんです。
あなたは、教団の幹部に銃撃偽装の話を持ち掛けられるほどの権力を持っていたと言える。
要するに、権力を高めつつある大杉が目障りだったんです。
だからね、私はこう思うんですよ」
加治木は、身を乗り出した。
柔らかな笑みを浮かべている乃那を、じっと見つめる。
「あなたこそ、テオスゲノスの民の頂点——筆頭神席その人だ」
彼女は――
——うふふ。
笑っていた。
少女のように無邪気で、残酷に。
乃那は笑っていた。
「ふふ。こんな、小娘を捕まえて……。悪い冗談ですね」
「冗談だったらよかったんですけどね。……外に、刑事を待たせています。
警察署まで、同行いただけませんか?」
公安の中に教団関係者がいる可能性がある以上、加治木が救援を求めたのは、古巣の捜査一課だった。
「断ると言ったら、どうなるのでしょう?」
「面倒ですが、捜査令状をお持ちしますよ」
その時、部屋の外で物音がした。何かがぶつかる、大きな音がする。
加治木は、拳銃を構えて、扉に向けた。心臓が高鳴る。
念のため、前野から拳銃を調達させておいたのが、奏功した。
加治木たちから扉までは、十メートルほど離れていた。扉が、ゆっくりと開いていく。
「前野……」
扉から、どさり、と人影が崩れ落ちた。
「おい、前野!」
扉から半分ほど身体を出して倒れているのは、前野だった。返事は、無かった。
人影が、瞬く間に扉から飛び出してきた。
「待ちなさい」
乃那の声で、その人影は動きを止める。目にも止まらなかった姿を、加治木はようやく視認できた。
「皆藤兵輔……」
加治木の口から、喘ぐような声が漏れた。
そして、加治木はその男が、つい先ほどまで公安に監視されていたなどと、知る由もなく。
ただ予想外の人物の登場に、思考を乱したばかりだった。
屈強な皆藤が、構えた拳銃の銃口は、正確にこちらを向いている。
「何かありましたか?」
乃那が口を開いた。その顔から、笑みは消えていた。
「いえ。怪しい男が扉の前にいましたので、制圧しただけです」
「……そう、助かりました。拘束して、扉の外で待機していてください」
「了」
皆藤は、前野を乱雑に抱え起こして、扉の奥に消えていった。
「これが私の作り上げた組織です。そして、テンドウの死をもって、一応の完成を迎えた、と言っていいでしょう」
「やはり、君が、筆頭神席……」
加治木の声は震えた。
構えた拳銃を、乃那に向ける。喉が無性に乾く。
乃那は、ゆっくりと首を横に振った。
「いいえ、違います」
「何を、言い逃れを……。あの男は、君の指示を聞いていたじゃないか!」
「私だけではありません。筆頭神席はエリシャという——」
心臓が、煩いほどに高鳴る。
乃那の、一挙手一投足を見逃さぬように、見つめる。
その口元が、艶めかしく言葉を紡いだ。
「——その名前は、私たちの総称です。私と、私が作った汎用人工知能——ダアトとの」