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“深海のブリッグズ”

……………………


 ──“深海のブリッグズ”



 “深海のブリッグズ”が浮上したときに湧き起こった膨大な津波は、6隻の護衛艦を揺さぶり、一時的に内部にいた少数の船員たちが混乱した。


 一方、軍用AIと霊的存在は極めて冷静に事態に対応していた。


 浮上してきた“深海のブリッグズ”にコンマ秒で火砲が向けられる。


 “深海のブリッグズ”とは要は巨大なイカである。いわゆる、クラーケンと言われるもので、体長180メートルに及ぶ巨体を有し、戦略原子力潜水艦クラスの巨体を誇っている。そこから伸びる触手は護衛艦ならばいとも簡単に海中に引き摺り込めるだろう。


 その“深海のブリッグズ”は度重なる自分への攻撃に対して怒り狂っていた。何十発もの魚雷が自分の体を抉るのに怒りを撒きりらしていた。離脱し損ねた哨戒ヘリが触手によって海中に引き摺り込まれ、ローター音が掻き消される。


「なかなかの化け物ではないか」


 セラフィーネは本来ならば哨戒ヘリが駐機しているはずの後部デッキに立って“深海のブリッグズ”が哨戒ヘリを飲み込む光景を眺めていた。哨戒ヘリは完全に破壊され、食べれるものでもないだろうに“深海のブリッグズ”の牙の並ぶ口に運ばれて行った。


 それと時を同じくして、6隻の護衛艦が水上戦闘火力を全力で発揮する。


 艦砲の5インチ砲が連続して火を噴き、ランチャーからは90式SSM(艦対艦誘導弾)が発射される。それらはセラフィーネの指示なしでどこまでも的確に目標を捉え、既に数十発の魚雷によって傷ついていた“深海のブリッグズ”に打撃を与える。


 だが、それだけでは“深海のブリッグズ”は治まらない。


 触手をのたうたせて大暴れし、周囲にあるもの全てを海底に引き摺り込もうとする。既に1隻の護衛艦──シルバー・ハインド号には触手が伸び始めている。


「イカの分際で私の創造物に手を出そうとは舐めてくれる」


 セラフィーネはそう告げて折り畳み式警棒を触手を伸ばす“深海のブリッグズ”に対して向ける。それと同時に彼女が“悪魔食い(デーモン・グリード)”として得た魔力と魔女として“進化”したことによる魔力が10メートル近い電気伝導体に変換され、そこに魔力から発生した電力が流れる。


「“変換型電磁投射砲マギネティック・ランチャー”」


 セラフィーネの魔術のひとつであるレールガンの再現が火を噴いた。


 何と言ってもマッハ150の弾丸だ。それも今回は25x59BミリNATO弾ではなく、口径155ミリ徹甲弾による砲撃だ。威力は桁違いだ。


 水上にエジプトから脱出するモーセのように海を分け衝撃波が海面を切り開いていった砲弾は“深海のブリッグズ”に命中した。


 結果で言えば“深海のブリッグズ”は苦しむことも、自分が死ぬのだということも感じずに死んだ。セラフィーネから放たれた砲弾は衝突が音よりも早く訪れ、“深海のブリッグズ”の頭部に命中し、その巨体にびっくりするほどの大穴を開けて飛び去った。


「これでくたばっただろう」


『目標、活動を停止』


 軍用AIが無慈悲な通告を行い、死亡した“深海のブリッグズ”が海面に浮かび上がった。アンモニア臭が立ち込め、衝撃波を受けた護衛艦は未だに揺さぶられている。


「他愛もないな」


 セラフィーネは高圧電流の流れ去った後の高熱を感じながら、折り畳み式警棒を折り畳んで収納した。クルリと折り畳んだ警棒を回し、そのままその白い耐火性能のあるローブの中のホルスターの中に素早く仕舞う。


「流石は世界最強の魔女ですねえ。私が手を貸すまでもないもないと」


「いつ貴様に助力を頼んだ、フォーラント」


 フォーラントがヘリ格納庫の中から拍手を送るのにセラフィーネがそう返した。


「そうですよね。世界最強の魔女であるあなたは世界最強の勇者になる素質がある。ただ、このまますんなりと進むでしょうか?」


「何か知っているようだな」


 大悪魔たちは常に何かを画策している。


 人類を貶める行為か、あるいはある人間の望みを叶える行為か。


「今の時点では私は何も知りませんよ。なーにもです。けれど、けれども、このまま物事が進んでいくならば──」


 フォーラントはにやりと笑う。


「いつかは私の助力が必要になるかもしれませんよ?」


「戯けた話だな。この程度の戦争、この私が鎮圧しきれないとでもいうか?」


 フォーラントが告げるのに、セラフィーネが彼女を睨む。


「いえいえ。可能性の話です。“悪魔食い(デーモン・グリード)”のあなたでも、私のような大悪魔を食ったことはないでしょう。原初の大悪魔フォーラント、最悪の大悪魔ヴァル、三賢者の悪魔ラルヴァンダード、ホルミスダス、グシュナサフ」


 様々な悪魔の中でも、フォーラントの上げた5名は別格だ。


 正確にはフォーラントは3名いるので7名だが、どのフォーラントも似たり寄ったりの性格をしている。悪趣味で、残忍で、それでいて気まぐれな性格。


「確かにそんな大悪魔は食えない。食える人間もいるはずもあるまい」


「それがですね。いるにはいるんですよ。大悪魔を食べちゃう人。まあ、実際のところは世捨て人のような人ですけど」


「力を使わないなら価値はない」


 フォーラントがにやにやとした笑みで告げるのにセラフィーネが吐き捨てた。


「まあ、あなたにとってはそうでしょうね。さてさて、これから事態がどのように動いていくのか見ものではありませんか」


 フォーラントはそう告げるとヘリ格納庫の陰の中に消えていった。


「食えない女だ。何を企んでいるのか」


 セラフィーネはアベルほどはフォーラントを信頼していなかった。その魔女という種族として悪魔と関わることの多い彼女は、悪魔というものを信頼するつもりは欠片もなかった。悪魔はほぼ全てが嘘つきで、気まぐれで、露悪的だ。


「あいつ、何か知っているな。今、白状しないということは、何かあるということか」


 セラフィーネは顎に手をおいて考え込む。


「何かの介入の可能性、か。いや、考えすぎか」


 セラフィーネがそう告げた時、哨戒ヘリが上空から舞い戻ってきた。


 作戦は終結したのだ。


……………………


……………………


 6隻の護衛艦は揃ってノートベルクに帰投した。


「“深海のブリッグズは”? “深海のブリッグズ”は倒せたの?」


 6隻の護衛艦が海賊旗と旭日旗を掲げてノートベルクの港湾に入る。


 そして、港湾で待ちわびていた人々が群がってくる。


「“深海のブリッグズ”はくたばったと言いたところだが、如何せん判別する材料がなかった、故にここまで牽引してきた。これが“深海のブリッグズ”なのか確かめろ」


 旗艦であるゼーアドラー号にはワイヤーで体長が戦略原子力潜水艦並みの大きいさのある巨大なクラーケンを牽引してきていた。死体そのものはアンモニア臭を放っており、酷い悪臭を撒き散らしているが、セラフィーネはお構いなしだ。


「あーあ。このでかさは間違いなく“深海のブリッグズ”だね。当たりだよ」


「それは結構。無駄骨ではなかったようだな」


 マルグリットが大きく頷いて告げるのにセラフィーネがそう返した。


「フォーラントさんは?」


「消えた。あれはそういう女だ」


 マルグリットが周囲を見渡して尋ねるのにセラフィーネはそう告げる。


 フォーラントは神出鬼没の女だ。


 彼女がどこにいるかを知るのは彼女自身のみ。簡単に行方をくらませるし、それを追いかけることも困難だ。本来、越えることのできない多元宇宙を自在に旅する能力を持っているのはフォーラントだけなのだから。


 だが、それもこれまでの話。


 セラフィーネがアーデルハイド王女から多元宇宙の壁──異世界の壁を越える方法を手に入れれば、セラフィーネにもフォーラントの居場所が特定できるようになる。


「ところで、セラフィーネさん。お城の方で話があるんだけどどう?」


「何の話だ?」


「私たちの今後の話」


 マルグリットはそう告げるとセラフィーネを馬車で城まで案内した。


……………………


……………………


「セラフィーネさん。ずばり単刀直入に言うけれど、この国の盟主をやって」


「断る」


 マルグリットの城でマルグリットがそう告げるのに、セラフィーネがそう返した。


「まあ、そういうとは思ってましたよ。そう簡単には受け入れてもらえないとはね」


「当たり前だ。それに私にとって何のメリットがあるというのだ」


 セラフィーネは自分の利益を考える女だ。


 今回の“深海のブリッグズ”にかかわる戦闘も、己が勇者であるということを示すためのものに過ぎなかった。実際のところ、彼女はノートベルクが壊滅しようとどうしようと構わず、己の利益のためだけに動いた結果、ノートベルクも救われたに過ぎない。


 その点がセラフィーネとアベルとでは異なる。


 アベルは人々を救うこと──弱っちい連中を助けるために動いたが、セラフィーネにとって弱者はどうでもいいのだ。ただそこにある舞台装置には過ぎず、セラフィーネにとって有益ならば助けるし、そうでないならばあっさりと見捨てる。


 そういう打算で動いている人間にとって、善意など持ち合わせないし、弱者の状況を救ってやろうという思いも浮かばない。そうであるからこそ、セラフィーネにとって既にノートベルクには価値はなかった。


「なんと。今、北部都市同盟の盟主を行うと有益なことがあります」


「それはなんだ?」


 マルグリットが告げるのにセラフィーネが彼女を睨むようにして見た。


「この北部都市同盟は魔術研究が盛んな国家だったんだよね。魔導書もいくつも残されていて、それが何かしらのセラフィーネさんにとっての有益な情報になるかも?」


「かも、か。どこでそれを吹き込まれた?」


「いやあ。何のことでしょうー?」


 セラフィーネのため息混じりの言葉にマルグリットが視線を泳がせた。


「フォーラントの入れ知恵だな。あの女、そういうことには頭が回る」


 事実、マルグリットにセラフィーネの“弱点”について吹き込んだのはフォーラントであった。セラフィーネの弱点。それはすなわち知識欲。


 より強い魔女になるために彼女は知識を欲する。アベルが己の肉体を鍛えるように、ローラが優れた血統を取り入れるように、セラフィーネは知識を欲する。


 マルグリットの提案はそういうフォーラントの弱点を突いたものだった。


「フォーラントから他に伝言は?」


「ええっと。アベルって人がノルニルスタン王国で王女とともに活動を始めたそうです。相手は国を掌握したのにこれは負けてられないよねと言っておられました。アベルって人、あたしは知らないですけれどね」


「アベルが国を掌握したか……」


 セラフィーネが海でクラーケンと戯れている間にもアベルは着実に駒を進めたということである。こう見えて負けず嫌いのセラフィーネにとっては聞き逃すことのできない言葉であった。自分こそが英雄として名を刻むはずがアベルに先を越されるなど。


「分かった。盟主というもの、やってやろう。その代わり、だ」


「はいはい」


 セラフィーネが仕事を引き受けたのにマルグリットが笑みを浮かべる。


「私がくだらない書類仕事をやるつもりも、市民の意見陳述を聞く気もない。私はこの国を魔族の手から解放してやるが、それだけだ。残りのことは自分たちでしろ。私がやるのは今日のようなドンパチだけだ」


「え、ええー……。せっかく、盟主の仕事から解放……げふんげふん」


 本音が漏れかけるマルグリットであった。


「貴様が何を考えていたかは知らんが、私の受け入れられるラインはそこまでだ。より以上を求めるというのであれば、別を当たることだな」


「むぐ。求めません。求めませんので、どうかこの国をお救いください! ってな感じでお願いするといいんだよね?」


「知るか」


 マルグリットがいい加減な質問をするのに、セラフィーネがそう返した。


「とにかく、引き受けてはやる。以上の条件でな。それいいか?」


「まー。それでいいかな」


 というわけで、セラフィーネは北部都市同盟の盟主を引き受けることになった。


 彼女の狙いは名声と知識。それが得られるかどうかが今後の鍵だ。


 そして、そのころ最後の勇者であるローラはというと──。


……………………

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