第一話 「根性論の老害」と呼ばれた男
「【忍耐】の二文字がすべてを解決する――と教えたらしいな?」
S級探索者が多数所属する大手クラン『ストライド』。
その最高意思決定権者である真田誠は、目の前の俺に冷酷な視線を突き刺した。
「ダンジョン攻略の最前線知識ではなく、昭和の根性論しか語れないのは、貴様自身が最前線を知らない万年B級探索者だからか?」
真田のバリトンボイスが、本部の広大な司令室にビリビリと響き渡る。
俺――粕谷泰は、無言を返事にした。
四十二歳。黒髪にはチラホラと白髪が混じり、酷使された中年の疲労が滲んでいる。
「まあ、当然だな。最前線で利益を出し続けるS級探索者には、新人を手取り足取り教えている暇などない。だから、貴様みたいな半端者が教壇に立っている」
「……」
「だんまりか。それも【忍耐】の実践というわけか? だが、ここではそれが何の解決法にもならないと教えてやろう」
真田は手元の端末をピッピッと操作した。
「今、講師契約の解除通告を送付した。電子署名しておけ」
『ストライド』探索者育成プログラムの非常勤講師を拝命して十年。
その十年間の蓄積が、電子メールの通知音ひとつで消え去ろうとしている。
――S級でもない底辺探索者が何を教えられる?
――最前線を攻略したこともない者が何をのたまうのか?
講師になってから、何度も浴びせられてきた嘲りだ。
反論なら、いくらでもある。モーツァルトを育てたのは天才音楽家ではなく、彼の父だ。プレイヤーとしての有能さが、指導者としての適性とイコールではないと。
それに――ダンジョンという理不尽な死地において、若者たちを最初に殺すのは「技術の不足」ではない。
「心の崩壊」だ。
挫折、恐怖、パニック。
才能ある若者たちが、焦りから判断を誤り、あっけなく命を散らしていくのを何度も見てきた。
最新のスキルを詰め込む前に、まずは己の心と向き合い、死の淵で踏みどどまる強さを教えなければならない。
それが、二十年間ダンジョンの底辺を這いつくばってきた俺の、血を吐くような経験則だった。
だが。
常に「前へ駆け抜けること(ストライド)」を至上とし、効率と速度だけを求める真田にそれを説いたところで、「入学者減少の責任逃れか」と切り捨てられるだけだろう。
結論ありきの面談で言葉を費やすのは、それこそ無駄な労力だ。
俺は短く息を吐き、静かに頭を下げた。
「……十年間、お世話になりました」
「まさかとは思うが、ウチのノウハウを活かして、私塾でも開いて自分の手で生徒を集めようなどと意気込んではいないだろうな?」
立ち去ろうとした背中に、真田の嘲笑が投げかけられる。
「……」
「だとしたら無駄だぞ。大手クラン『ストライド』の講師という肩書がない貴様の話を、誰が聞くのだ?」
「……」
「S級はおろか、最前線を知りもしない万年B級探索者の、カビの生えた根性論など誰が聞きに来る? 貴様のくだらない精神論に時間と金を払う物好きなど、この世界のどこにもいないのだよ」
真田は、俺のプライドをへし折るように言葉のナイフを深々と突き立てた。
「思い上がるなよ、粕谷。貴様がかつて育成に関わった五人のS級探索者――彼ら全員がこの『ストライド』を見限り、独立していったのが何よりの証拠だ。天才である彼らは気づいたのだよ。貴様のような底辺の『忍耐』など、自分たちには不要だったと」
真田の言葉に、俺はピタリと足を止めた。
私塾を開く気など、最初からない。
ただ、「忍耐」や「信念」といった根性論が、誰にも届かずに消えていくのは、少しだけ寂しかった。
それに、真田の言を正したいことはまだある。
あいつらが見限った? 違う。
俺が追い出したのだ。効率と利益だけを搾り取るこのクランが、あいつらの才能を使い潰してしまう前に。
胸の奥底で渦巻く感情をぐっと呑み込み、俺は何も言い返さずに踵を返す。
背中に突き刺さる真田の冷笑に耐えながら、俺は司令室の重い扉を開けた。
❖
本部のエントランスに向かう長い廊下には、クラン『ストライド』が輩出した歴代の英雄たちの巨大なホログラムポスターが飾られている。
その頂点に並ぶ五人の顔を見上げ、俺は少しだけ目を細めた。
日本のダンジョン攻略を一手に担う『剣聖』。
魔力結界でひとつの都市を丸ごと守り抜いた『大魔導師』。
単身、攻略不能と言われた深層ダンジョンの主を討伐した『暗殺者』。
どいつもこいつも、十年前は「才能がない」「忍耐が足りない」と周囲から見放され、俺の補習クラスで泣きべそをかいていた落ちこぼれたちだ。
『先生! 今日もダンジョン行きましょう!』
『先生の教え通りに耐えたら、魔法が完成したんです!』
かつての懐かしい声が耳の奥で蘇るが、俺は自嘲気味に首を振った。
あいつらは今や、分刻みのスケジュールで世界の最前線を飛び回る雲の上の存在だ。
俺のような、昭和の根性論しか語れない万年B級の冴えないおっさんの顔など、もうとっくに忘れているだろう。
それでいい。
教え子が師匠を踏み越えていくのが、正しい教育のあり方だ。
「さて。明日からどうやって飯を食うかな」
俺はホログラムに背を向け、十年間通ったビルを後にした。
この時の俺は――そして、俺を無能と切り捨てた真田も、知る由もなかった。
S級探索者となった彼らが、今でも毎日欠かさず俺の教えを実践し、独立した今なお『粕谷泰』という一人の男を絶対的な指針としていることを。
そして、彼らの恩師がクビになったという情報が、この数日後に世界を震撼させる大事件の引き金になるということを。
❖
翌日。
家賃七万円のボロアパートの一室で、俺はスマホのカメラと向き合っていた。
ダンジョンとは関係のない仕事に就こうと求人サイトも眺めたが、結局、自分には講師業十年の経験値しかないと思い直したのだ。
とはいえ、真田の言う通り、B級探索者の自分が私塾を開いたところで誰も来ないのは目に見えている。
そこで選んだのが、元手ゼロで始められる無料の動画配信だった。
まずは少しずつ視聴回数を増やし、収益化のバッジを獲得できれば御の字だ。
「えっと、B級探索者の粕谷泰です――」
元『ストライド』の探索者育成プログラム講師、という肩書を口にしかけてやめる。
(……いや、あの肩書はもう捨てたんだったな)
「今日は、ダンジョンにおける心構えの重要性をお話したいと思います」
話しながら、なんと説得力のないことを言っているのだろうと我ながら不安になる。
画面の隅に表示されている同時接続数(視聴者数)は、開始からずっと『0』のままだ。
(やっぱり、ただのおっさんの精神論なんて誰も見ないか……)
自嘲しつつ、それでもカメラに向かって語り続けようとした、その時だった。
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