第8話 『イカれタバコ娘 Ⅰ』
「ん……」
冷やりとした風に当てられ目を覚ますと、アウラの体は汚れ一つない綺麗な白いシーツで包まれていた。どうやらナツメと話していたうちに眠っていてしまったらしい。
このシーツを掛けてくれたのはナツメだろうか、一瞬そう思考した後、それよりも重要な事を思い出しすぐに跳ね起きた。
「さて、あのポンコツイエスは何処だ?」
エスを探すため辺りを見渡すと、教会のあちこちで酒に酔った人間が節操も無く眠りこけていた。
「まったく……世界が終わったからって、人間としての尊厳まで捨てることもないだろうに」
独り言を言いながら教会を散策していると、端の方で大量のイエスが群がり小さな山のようになっている場所を見つけた。
『グーグー』
『スピー、スピー』
イエス達はヘッドライトを消灯し、寝息を立てて皆眠っているようだった。
この神の遣い達は、本当にパートナーの人間を守る気があるのかいささか心配になる。
「おいエス、起きろ」
イエスの群れの中から一番マヌケそうな個体を引き抜く。
長年の勘に狂いはなく、そのイエスはアウラの顔を見ると、無邪気な音声を発した。
『……ア!アウラ!起きたんだネー、オハヨー』
「本当呑気だなキミは……その神経、ある意味羨ましいよ」
その言葉にエスは『エヘヘ』と嬉しそうに照れた。
「褒めてはないからな」
『エッ⁉︎そうなノ⁉︎』
「まぁいい。今はキミとコントをしている時間もないんだ。もう行くぞ。自分で浮け」
そう言って手に持っていたエスを空中へと放り投げた。
空中でくるくると回転するその様は、まさに白色のフリスビーだった。
『エー、ココ楽しいのニー』
「楽しいもんか、ここにいたら私達はすぐにおじゃんだよ」
『おじゃんー?死んじゃうノ?』
「あぁ、ここでゆっくり眠りこけてたら時期にそうはなるだろうね」
何者かがこの皆が寝静まっている時間を利用して殺しに来るだろう事は確信していた。
根拠こそあまりないが、長い間この崩壊した世界で人間の闇の部分を見てきた本能が、危険だとそう告げていた。
「だから早く行ーー」
後方からの発射音。
それから少し遅れて、アウラの首筋を鉛の塊が掠めた。
赤い鮮血が首筋から滴る。
「あれ?外しちゃった?」
天井の方から、笑い混じりにそう話す声が聞こえた。
「僕、長距離射撃には自信あったんだけどなぁ」
その言葉の後、何者かが10数メートル上の天井から飛び降りてきた。
「あーあー、動いてる相手を狙うのは久しぶりだったとはいえ、腕が鈍ったなぁ……残念残念」
その人物は狂気じみた声を孕ませながら、ゆっくりと月明かりの元へと歩き、姿を晒した。
「やぁ……おはよう、お嬢ちゃん」
ナツメは、妖しく唇の端を釣り上げそう言って笑った。
「あぁ、おはようございます」
心の中で舌打ちをすると、ナツメを睨みつける。
ナツメの手には軍隊などで使うようなライフル銃が握られていた。
近距離相手なら身体強化のギフトを使う事で逃げ切れたかもしれないが、遠距離攻撃となるとそうもいかない。
「ハハッ、起きてるとお嬢ちゃんは狼みたいでやっぱり怖いねぇ。眠っている時は子犬みたいな顔で可愛かったのに」
残念だよ、とナツメはうな垂れた。
「にしても、あの食事や飲み物全てにはたっぷり睡眠薬を混ぜておいたから起きれないはずなんだけどなーーどうしてお嬢ちゃんは起きているんだい?」
そう言って小首をかしげるナツメに笑ってみせる。
「そりゃあそうさ、私はキミ達が用意したものに一口も口をつけてないからね」
「一口も……?」
「あぁそうさ、なんせーー私の大好きなピッツァが無かったんだから何も食べれなかったのさ‼︎」
「ピッツァが……なかった?まさかーーそんな」
呆気に取られたあと、しばらくしてナツメは腹を抱えて笑い始めた。
「アハハ‼︎そんな下らない理由で食べなかったって言うんだ。流石、お嬢ちゃんは面白いねぇ!」
「まぁ……それだけが理由ってわけでもないがな」
眉をひそめナツメを睨むと、付け加えた。
「君は酔っていると言っていたけれど、その割には全く酒の匂いがしたかったからね。演技なのは気付いていたよ」
その言葉で、ナツメはピタリと笑うのをやめた。
「ははぁん気付いてたのか。えらいねぇ」
怪しかったのは酒の匂いがしなかっただけではない。
あのシエラという女、それにこのナツメーーこの二人は一度たりとも食事には手をつけていなかった。
そこに違和感を感じ、アウラも食事には手をつけないようにしていた。
パーティーというのは、客人が食べやすいよう、主催者が先に手をつけるのが礼儀だ。
「それで、最期の晩餐はこれで何回目なんだ?」
その質問にナツメは宙を仰ぐと、
「さて、ね…毎回毎回参加者を殺すのに忙しくって忘れちゃったよ」
そう言って唇の端を妖しく釣り上げた。
「ちっ……イカれタバコ娘が」
親指の肉を噛み切り、そこから流れ出た血液を血器化させ、真紅の細剣を生成する。
「僕を殺してどうするってんだい?お嬢ちゃん。僕は世界を救うためーー人類の存続のためにただ人間を殺してるだけだよ?何も悪いことはしちゃいない」
それにさ。とナツメは付け加える。
「お嬢ちゃんも僕に人を殺してもらった方が、ゆっくり寝られて楽じゃないかい?」
随分と舐められたものだ。
ナツメのその言葉に思わず鼻がなった。
「たしかに、寝てたらいつのまにかメシアが殺されていて世界は元どおり……なんていうのは理想の話ではあるがーー」
剣の切っ先をナツメへと向けると、狂気を孕んだ瞳を睨みつけた。
「眠っている人間を殺すのを見過ごすなんていうのは、あまりにも寝つきが悪いからね」
「武士道精神ってやつかい?ククッ、流石お嬢ちゃんはえらいねぇ」
「でも……」とドスの聞いた声でナツメは続ける。
「その真っ直ぐさーーこの曲がってしまった世界じゃ逆に歪だよ‼︎」
ナツメはそう叫ぶと、ライフルをこちらに向かって投げつけてきた。そしてすぐ、自身の右腕に巻きつけられたワイヤーの端を強く引っ張る。
すると細いワイヤーはギリギリとナツメの肉を千切り、そこから流れ出た血液が大量の銃弾と、黒い二丁の拳銃となった。
ナツメはその二丁拳銃を両手に構える。
「キミーーちゃんと銃の使い方を習った方がいい!それは投げる物じゃない‼︎」
投げられたライフルを剣ではじき、ナツメに向かいそう叫ぶ。
「遠距離攻撃って点は、一緒だろう‼︎」
笑い、ナツメは二丁拳銃の血器でガトリングガン顔負けの幾千の銃弾を発射させる。
ライフルに気を取られていたせいで別方向から飛んでくる銃弾への反応が少し遅れ、脇腹に数発の銃弾がめり込み肉を抉った。
「ぐっーーくそっ!」
肉を抉られる感覚に体がよろめき、倒れそうになるのを必死に耐える。
「これでも僕、けっこう強いんだ」
そう言ってナツメは笑うと、視界から一瞬にして姿を消した。
「ーーなに⁉︎」
透過のギフトか?それとも空中に飛んだか?
迷う事が許されたのは一瞬の間だけだった。
姿の消えたナツメは、いつのまにか背後へと一瞬で移動していた。
「後ろがガラ空きだよ、お嬢ちゃん‼︎」
ただならぬ殺気を背中で感じ、瞬間、上体をずらし頭部への弾を避けた。
だが不意をつかれたため避けきれず、肩へと銃弾を数発喰らう。
「くそ、早い‼︎」
重い鉛の弾に体を吹き飛ばされる反動を利用し、ナツメとの距離を取る。
だが息つく間もなく「まだまだ‼︎」とナツメは笑い混じりにそう叫び、一瞬にして目の前に姿を現すと銃を額へと当てた。
「瞬間移動なんて、随分と便利なギフトだな‼︎」
床を蹴りあげ、バク転するように跳躍し、弾を避けた。
「ーー⁉︎ははっ、流石お嬢ちゃん、僕の見立て通り強いねぇ」
空中を舞うようにして飛び退くアウラの様を、まるで花火でも見るかのようにうっとりとした表情でナツメは見つめていた。
「キミもなかなか悪くないよ。私の見当違いだ、見くびっていたよ」
着地すると、そう軽口を叩いてみせた。ナツメに焦りを悟らせないために。
「ははっ、それはありがとね。戦闘要員としての冥利に尽きるよ!」
そう叫ぶと、ナツメは教会の天井まで跳躍し体を翻拳銃をアウラへと向けた。
「だからーー僕を輝かせるため、さっさと死んでよお嬢ちゃん‼︎」
ナツメがトリガーを引くと無数の銃弾が降ってくる。
「防御はあまり得意じゃないんだかな‼︎」
言って、アウラは右手に持った剣で自身の左腕を貫いた。
吹き出した大量の鮮血は、地面に落ちることなく宙を舞うと、アウラの周りを囲い、巨大なドーム型の盾となった。
無数の銃弾は金属音を鳴らしながら盾型の血器に全て弾き返されていく。
その隙に、自傷した右手にギフトを使う。
ギフトの能力により、ぱっくりと開いた傷口は見る見るうちに塞がっていき、元と変わらない状態まで回復した。
「ははっ!殻にこもるなんて寂しいじゃないか!」
ナツメは盾の上に着地すると、ポケットから取り出したナイフで、左腕の太い血管を切り裂いた。そしえその血液を硬化させ、血器を生成する。
「さぁお嬢ちゃんーー」
半透明になっている盾の内部から、ナツメの血器が見えた。
長い銃身、そして大きく開かれた銃口ーーその血器はテレビで見た事のある『バズーカ砲』に酷使していた。
「出てきてもっとーー遊ぼうよ‼︎」
ナツメがバズーカのトリガーを引くと、爆音と共にナパーム弾が発射され、硬い血器の盾を粉々に粉砕した。