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屍たちの夜明け Dawn of the Past  作者: 星野彼方
12/28

2-3 夏休み前夜祭

 賑やかな喧騒の中で、僕と来栖は、丸い子供用ビニールプールの前に中腰で座り、行き交う人々を見つめていた。

 ビニールプールには、深さ全体の七割ほどに水が張ってあり、その上を、色とりどりの風船ヨーヨーが漂っている。

 風船ヨーヨーは中に水が入れられ、縛り口からはゴムが伸びている。

 縛り口とは反対側のゴムの端は輪となっており、そこに、針金を引っかけて釣る仕組みとなっていた。

 俗に言う、風船ヨーヨー釣りだ。


 夏休みの前夜祭。

 学校の運動場は、テントやダンボール箱によって作られた、様々な屋台によって、雑然とした祭会場と化していた。

 それぞれのテント周辺に設置された照明が、夜の闇を柔らかく押しやって、幻想的な祭の空気を漂わせている。


 生徒たちは私服姿で、自分たちのテントを交代で運営しつつ、他のテントを回ったりもする。

 学年によっては、運動場ではなく校舎を用いていたりもして、回るべきところは数多い。

 文化祭の夏祭りバージョン、といった感じの催しだ。


 周囲からは、焼鳥やウインナーの芳ばしい香りが、夏の夜風に混じり、匂ってきていた。

 安いよー、おまけするよー、美味しいよー、という呼びかけの声や、とりとめもない雑談を交わす声、

 遠くから友人の名を叫ぶ声、テンションが上がって夜空に向かって吠える声などが、無秩序に聞こえてくる。

 今頃学校には、近所から苦情の電話が来ているだろう。


 このイベントは、僕たちの学校の伝統行事であったのだが、近所迷惑など、諸々の大人の事情から、今年で最後の予定とされていた。

 だからこそ、少しくらいの羽目外しは許されるだろう、否、許されねばならない、という考えが、生徒全員を支配していた。


 僕と来栖はと言えば、特に騒ぐこともなく、プールに浮かぶ風船を、ぼんやり見つめていた。

 時折、客が来れば相手をするが、そこまで積極的に呼び込みは行っていなかった。

 普段の来栖なら、このようなイベントは、率先してテンションを急上昇させ、盛り上げているはずなのだが。

 事実、先程までの来栖は無駄に元気だった。


 あの電話の後からだ、と僕は内心思う。

 簡易ジムを出ようとしたとき、来栖の電話が鳴り、それに出て一言二言話してから、来栖は静かになった。

 日常の彼には似つかない、何か深く考え込んでいるような素振り。


「必要悪だよな」


 来栖が、風船の一つを指差していった。

 風船の中には、異常なまでに水を含んだものもあった。

 それを釣ろうとした人間は、あまりの重さに失敗し、一つも風船ヨーヨーを入手できずに、金だけ払うこととなる。

 たかだか百円ではあるが。

 そういった、罠、として用意された風船は、大概、来栖が作ったものだ。

 重い風船が存在しなければ、風船ヨーヨーは意外と簡単に釣られ、あっという間に、風船が足りなくなってしまう。

 そういう意味では、確かに、必要な存在だ。


「憎まれても憎まれても、あいつは秩序を守ってんだよ」

「何の話をしてる」


 僕は呆れ声を出しつつ、一箇所に集まってしまっている風船を、木の棒で掻き分け、広げる。

 水に透明な波紋が広がる。

 ずっと見つめていると、吸い込まれてしまいそうだった。


「三川は吸血症にかかった」


 来栖が言った。

 自然に切り出したので、理解するのに時間がかかった。

 理解しても、格別、心情に変化は訪れなかった。

 だが、来栖は違ったようだ。


「もう少し処置が早く施せたなら、吸血症にはならなかった可能性が大きいそうだ」

「自分を責めるな。あの場合は仕方なかった。見事な指揮だったよ」

「三川はそう言わねぇだろう。半永久的な不死を手に入れ、太陽の光を浴びることはできなくなった。そんな人間が、原因を作った俺に何を言う」

「それは違う。原因を作ったのは、僕たちが逃したあの男と、末期症状患者たちだ。それに、三川さんは自ら選んで、この仕事に就いたはずだ。来栖を責めるのはお門違いで、そう判断するくらいの分別は、持っている人だと思うけどな」

「俺は、秤にかけたんだ。あの状況で、仕方なかった。そして、三川の昼を奪った」

「来栖」

「こうやって、個人という価値は、ときに大雑把になる」

「考えすぎるなよ。身を滅ぼすぞ」


 木の棒を持つ腕を伸ばし、風船の一つを突いて、遠くに押しやる。


「今日は楽しい前夜祭なんだろ」


 来栖は、自嘲気味の笑みを浮かべて、風船を見つめていた。


「ああ、そうだな。そのとおりだ」


 光を吸収して反射する水面。

 風船が揺れながら漂う様は、不気味に美しく、涼しい。


「おー繁盛してるー?」


 頭上から声が降ってきて、僕は顔を上げた。


 最初に、よれよれの白衣が目に入った。

 続いて、眼鏡。

 変に癖のついた乱れ髪を掻き上げ、僕を見下ろしている。

 金糸雀だ。

 担当教科が理科の彼女は、いつも白衣を着ている。


「客ですか、先生ですか、それとも社長ですか」


 僕が言うと、慌てたように金糸雀は人差し指を唇に当てた。

 公務員が、他の企業に勤めており、しかも社長として運営しているとなると、これは大問題だ。


「相変わらず空気を読まない若者だね、タツヒラ君」


 金糸雀は、白衣に手を突っ込み、責めるように僕を見る。


「先生は空気を濁す達人ですよね」

「おやや。来栖君、この青年には棘があるぞ」


 やってみますか、と来栖が釣り紐を金糸雀に差し出す。

 釣り紐は、W型の針金の凸部分に薄い紙を通し、そのまま捻って紐にしたものだ。


 ふむ、と金糸雀が眉を動かす。


「それは挑戦か」

「挑発です」

「残念ながら百円玉を持ち合わせてないのだよ」

「つけときます」

「右手が痛いのだ」

「どうぞ、左手で」

「右手が痛いときは、左手も痛いのだ」

「そういうもんすか」

「残念だ。その気になれば、殲滅も可能なのに」


 大きな口を叩きながら、金糸雀はポケットから手を出そうとはしない。

 彼女は、人前で何かを失敗するのが、とてつもなく嫌いなのだ。

 特に、知っている人間の前では。


「それなら、ここに何しに来たんです」

「見廻り」


 金糸雀はようやく右手をポケットから出し、その手に握られた懐中電灯を振り回した。


「こんな行事を、今年も開催した学校の神経が分からないね。とてつもなく危険だ。何度も反対したのに。一教師の意見など、少しも聞いちゃくれない」

「危険?」

「危険だろ。夜に外で、これだけの人間が集まっているんだ。奴らの格好の的だ」


 金糸雀の言わんとすることが分かり、つい、周囲を見回した。


「それで、武器を用意させたんすね」


 と来栖。


 テントの骨組みの一つには、来栖の槍が、骨格と一緒に縛って隠してある。

 僕の十字弓も、テント内のケースに、しまってあった。


「そ。どうも嫌な予感がする。昨日のこともあるし、気は抜くなよ」

「やっぱり、空気を濁しますね。お祭り気分もどこへやら、ですよ」

「うるせぇな、刺々しい。いかんよ、タツヒラ君。若者は、もっとフレッシュでないと」

「教師は、もっと厳粛であるべきでは」

「誰が決めたよ、そんなこと。教師っていう人種が、この世に何人いると思ってんだ。ちょっとした変態教師がいて、何が悪い」

「先生、そろそろ見廻りに戻ったらどうですか」

「うわ。厄介払いかよ。戻る気なくなったわ」


 言うなり、金糸雀は腰を落として、居座ってやる空気を過剰に漂わせる。


「先生、寂しいんですか」

「彼氏いねぇもんだから」


 と来栖。


「あー、あー、分かった。お前ら私が嫌いなんだろ」

「そういうわけではないですが」

「何言うか。話すときには目も合わせず、胸ばっか見やがって」

「自意識過剰ですよ……」

「いいや、見てるね。食い入るように見つめてるね。このイカ野郎が」

「先生程度の胸のサイズは、今時、珍しくもないすよ」


 と来栖が口を挟む。


「程度と言ったか、この野郎。今ここで脱いだろか」

「いいです。それより、昨日の男ですが、どこの誰だか判明したんですか?」

「何それ。何その真面目な質問。優等生かよ」

「先生」

「まだだ」


 金糸雀は煙草を地面に押しつけ、立ち上がった。


「警察が調べてる。そのうち判明するだろ。とにかく、今日は少し警戒していてくれ」

「分かりましたよ」

「先生、寂しいんだったら、今度、お茶しますか」


 と来栖。


「余計な世話だ。じゃな。レッツ、エンジョイ」


 言い残して金糸雀が立ち去ると、来栖が首を振った。


「どう思う」

「来栖こそどう思う」

「可愛いとこあんじゃん、金糸雀」

「そうじゃなくて。奴ら、来ると思うか」

「金糸雀のことだ。何人か、社員を警備に回してるだろう。それでも、俺たちに忠告しに来たということは、万全な警備じゃないってことだ」


 どういうわけか、このとき心配したのは、自分の身ではなく、家に置いてきている、たった一人の未来のことだった。

 今日は僕がおらず、寂しい夜を過ごしているだろう。

 お腹を空かせているかもしれない。

 楽しくしてくれていれば良いが。


 過保護な思いを振り切る。

 未来に僕が必要なのか、それとも僕に未来が必要なのか。

 それを見失ってはいけない。


 背後のテント内、アタッシュケースを振り返る。


 何事も起きなければ良いのだが。

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