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屍たちの夜明け Dawn of the Past  作者: 星野彼方
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13/28

2-4 乱獲

「やほー、隊長ー、竜平君ー」


 手を振りながら、やって来たのは小鳥遊だった。

 血塗れのシャツを着て、頭には三角頭巾を着けている。

 そう言えば、小鳥遊はお化け屋敷の班だと言っていた。


 隣には、尾瀬の姿もあった。

 尾瀬は、何やら怪獣の格好をさせられているようだった。

 頭の部分は脱いでいるため、尾瀬だということが確認できる。


「暑そうだな、尾瀬。小鳥と同じ班か?」

「はい。街を破壊し尽くす怪獣の役です」

「小鳥」

「ほいさ」

「お前んとこのお化け屋敷は、どういう設定なんだ」

「あたしは、尾瀬君怪獣に殺された、女の怨念なんだよー。呪うよー。呪い殺すよー」

「あの、南さんは」


 尾瀬が僕と来栖を交互に見て、聞いた。


「今日は来てねぇんだよ。誰かさんと昨日、喧嘩したせいじゃねぇの」


 皆の目線が、僕に向けられる。


「な、何だよ」

「電話しろ。祭に誘え」


 来栖に言われ、皆からの集中視線を浴びながらも、僕が躊躇っていると、


「誰に電話するの?」


 背後で声が聞こえ、振り向いた。


 浴衣姿の南が、巾着を手に、立っていた。

 頭には、花の髪飾りも添えてある。


「ごめんね、準備に手間取ったの」


 着物の袖に沈んだ手を肩まで上げて、南が歩み寄ってきた。


「下駄って歩きにくいわね。嫌になっちゃう」


 そんな南に、自然と見惚れていると、


「痛っ!」


 思わず声を上げる。

 来栖が、南からは見えない位置で、僕の脇腹をつねっていた。

 同時に小鳥遊が、やはり南から見えない位置で、僕の尻を蹴る。


「何す――」


 感想を言え、と来栖が、声を発さず口だけ動かすのが分かった。

 小鳥遊もしきりに頷いている。


 溜息。


「あー、その、南」


 僕は頭を掻きながら、目を彷徨わせ、南に向けて止める。


「似合ってる。その、つまり、綺麗に見える」


 南は、少しぽかんとしてから、ぷっと吹き出した。


「あんたって、褒めるの苦手なのね。意外な弱点発覚だわ。ありがとう。本当に。嬉しい」


 なら良かった、と僕は相変わらず頭を掻きながら、意を決して続ける。


「南。昨日は言い過ぎた。大事な幼馴染に、酷いことを言ったと思う。謝る」

「ううん、私も悪かった。親しき仲にも礼儀あり。これからも大親友でいましょ」


 南の微笑。

 その柔らかな笑みに救われるような気持ちになりながらも、どこか後ろめたいものが、自分の中を渦巻いているのは否定できなかった。


 幼馴染の南。

 彼女になら、良いのではないか。

 僕のことを、未来のことを、話しても良いのではないか。

 そう思うのだが、幼馴染だからこそ、話せないという矛盾した気持ちもあった。


 ――自分が何をしたか分かってるの?


 あの人と、同じような反応を示すのかもしれない。

 だから、南には話せない。


 僕は怖いのだ。

 幼馴染の南さえ、自分自身さえ、信じられない僕は。


「ナミちゃん、ナミちゃん、」


 小鳥遊が嬉しそうに僕たちに近づいた。


「後でお化け屋敷に来てね」

「うん、分かった」


 南が笑顔で頷く。

 その笑顔の向こうに、小鳥遊が視線を動かし、ひゃあっと声を上げた。


「どうしたの、小鳥?」


 小鳥遊は、首をふるふる振りながら、南の影に隠れてしまった。

 覗き見えるツインテールが、ぴこぴこ動く。


 僕たちが南の背後に視線をやると、小鳥遊の憧れの先輩が歩いていくところだった。

 近くで見るのは初めてだが、すらっとした背格好で、顔も確かに悪くない。

 頭も良さそうだ。


「声かけてこいよ」


 来栖の提案に、小鳥遊は首を横に振る。

 にゃー、にゃー、と猫のように縮こまっている。


 そのとき、ごそごそ、という大きな音が聞こえた。

 続いて、


《あー、あー、マイクテス、マイクテス、》


 という声が響く。


《あ、皆さん、楽しんでます? あはは。放送部の竹橋です。これから、恒例の告白タイムを始めますよ。参加するという勇者の皆さんは、どうぞ屋上まで来て下さい。あ、僕が今いるところです。第一校舎。見えます? ライト設置してるんで明るいでしょ?》


 校舎の屋上を見上げる。

 確かに光が灯っており、制服姿の男子生徒が一人立っている。


「行ってきたらどうだ、小鳥」

「にゃ、にゃあー」

「人間語を喋りやがれ」

《あんまり騒ぐと怒られるので、必着七名に限りますよ。この機会に、どうしても想いを告げたい人は、お早めに。告白された方は、できれば名乗り出て、御返事をお願いします》


 放送部の男子生徒は、光の中心で、マイクを持たない方の手を上げる。


《それでは、今――っ》


 声が途切れた。


 皆、何事かと屋上を見上げた。


 放送部員の身体が、信じられないことに、宙に浮いていた。

 顔を仰け反らせ、足を痙攣させながら、少し身体を浮かせているのが、下から見ていても分かる。

 手品か、という声が上がり、拍手が巻き起こった。


 僕は拍手に参加せず、屋上を見据える。


 心臓が高鳴っている。

 違和感があった。

 予感があった。

 確信があった。


 拍手が、少しずつ、消えていった。

 何が起きているのか、理解が伝播し始めたのだ。


 放送部員の後ろには、何者かが立っていた。

 その人物が、哀れな男子生徒の身体を持ち上げ、その首に噛みついているのだ。

 放送部員の影に隠れ、ライトの当たらない位置。


 誰かが叫んだ。

 悲鳴だった。


 屋上で、放送部員を放した男は、その両腕で、近くに置いてあったライトを叩き壊した。

 屋上が闇に包まれた。

 男の姿も見えなくなる。


 辺りは一気に騒然となった。


 第一校舎の中から、悲鳴が聞こえ始めていた。

 一室一室、校舎内の電灯が、消されていく。

 ほぼ全室から明かりが漏れていたはずの校舎の窓が、今や半分は闇に包まれていた。

 残りの半分も、どんどん暗転していく。

 同時に、悲鳴も加速する。


 窓が開き、運動場に向かって飛び降りてくる生徒たちの姿があった。

 窓の奥、闇の底から、低く響く唸り声と甲高い金切り声が、同時に聞こえてくる。


 混乱状態だ。


 アタッシュケースに駆け寄る。

 鍵を開けて、中から十字弓を取り出す。

 矢は、十本、持ってきていた。

 慎重に使わなければならない。

 一本目を、すかさず装填する。


 来栖も、テントの骨組みを縛っていたビニールテープを解き、自らの槍を解放する。


 屍の群れは、既に運動場にも現れていた。

 明かりが、一つずつ壊されていく。

 闇が近づいてくる。


 小鳥遊が、シャツの下から拳銃を取り出した。

 南も、テント周辺に設置してあった電気ランプと、その隣の探知機を手に取る。


「尾瀬君は避難して」

「え、でも」

「あんたは戦えないでしょ!」


 渋る尾瀬を押しやり、下駄を脱ぎ捨て、南が光を掲げる。


 テントが次々に倒されていく。

 闇の中で、唸り声が響き渡った。


 混乱と、恐怖と、苦痛の悲鳴が、夜を切り裂く。

 人々が走り回り、屍を見分けるのも一苦労だった。

 見つけたとしても、逃げ惑う生徒が射線上にいる。

 とても撃てない状況であった。


 すぐ近くで屍の唸りが聞こえる。

 十字弓を構える。

 屍は、両腕を振り回し、生徒たちを薙ぎ払いながら突き進んでいく。

 僕は十字弓を構え、それを追い続けるが、引き金を引くチャンスがない。


 何体の屍が侵入してきているのかも分からない。

 困った状況だ。


 誰かが雄叫びを上げる。

 振り向くと、小鳥遊の憧れの先輩が、フライパンで屍を殴りつけたところだった。

 屍はものともせず、先輩を突き飛ばす。

 地面に倒れ伏した先輩を、怪物は踏みつけ、奇声を発した。


 小鳥遊の拳銃が火を噴いた。

 瞬きをせず、目もそらさず。

 小鳥遊は、進み出ながら屍に弾丸を叩き込んだ。

 先輩は、両手を地についたまま、口を開け、小鳥遊を見上げている。

 撃たれた屍は、よろめき、もたつきながら、仮面を売っているテントに倒れ込んだ。

 屍が動かなくなると、小鳥遊は一瞬、先輩に目を向け、


「に、逃げてー……」


 と照れまくりの一言を残し、次の敵を探し始めた。

 先輩は誰にともなく頷くと、駆け出した。


「助けて!」


 振り向く。

 十字弓を構える。

 射線上に、駆け寄ってくる女子生徒の姿が見える。

 そのすぐ後ろに、高速で走ってくる屍の姿があった。


「頭を下げて!」


 叫ぶと、女子生徒は、両手で頭をかばいながら、地に伏した。


 屍を限界まで引きつけ、矢を発射する。

 屍は矢に胸を貫かれ、勢い良く後ろに倒れ込んだ。

 来栖が歩み出て、槍を屍に突き刺す。


 そうしている間にも、少し先のところで、屍が一体、男子生徒の身体を持ち上げているのが見えた。

 首筋に噛みつき、しばらくすると、生徒を放り投げて、次の獲物を探す。


 周囲の生徒は、大声で混乱を叫びながら、こちらへと逃げてくる。


 十字弓を上に向け、流れに逆らって歩いた。

 逃げ惑う生徒たちと身体がぶつかる。


「伏せるんだ! 伏せろ!」


 怒鳴りながら、人の波を掻き分け、前へと進む。


「おい、こっちだ!」


 屍の注意を引く。

 屍の顔がこちらへ向けられる。


 十字弓を構える。

 慎重に狙いを定める。

 外したら終わりだ。


 屍が跳躍してくる。


 引き金を引く。

 矢は屍の脳天を貫き、屍は苦悶の叫びを上げながら、地を転がった。


 来栖がとどめを刺している間に、次の矢をセットする。

 一度用いた矢は、屍の身体に根深く刺さっているため、現段階での再利用は不可能だ。

 残る矢は八本。


 そこへ、見知った顔の女性国語教師が、血相を変えて走ってきた。


「君たち、それはいったい――何をしてるんです!」


 来栖が、血塗れの矢を屍から引き抜き、上目遣いに教師を見る。

 僕は矢の装填を終えると、十字弓を構えて言った。


免許(ライセンス)は持っています。先生は避難してください」

「教員に指図するのはやめなさい! 生徒のあなたたちは――」

「奴らを倒せますか、あなたに」


 索敵しながら、ちらっと女性教師に目をやる。


「僕たちは専門家です。言うことを聞きなさい、先生。今すぐ生徒たちを先導して、避難させるんです。このままじゃ被害は拡大する一方だ。明るいところ――体育館にでも集めて、立て篭もるんです。僕たちがすべて倒し終わるまで。いいですね」


 女性教師は気圧されたように、僕と来栖を見比べてから、何度か頷いた。


「警察には――」

「呼んでも無駄ですよ。未だに地元警察は、銀の弾を常備していない。末期症状患者の前では、非力です。足止めもできないでしょう。いるだけ邪魔です」

「分かりました。き、気をつけて」


 ズボンの中で、振動とともに、携帯電話が鳴った。

 金糸雀という表示を確認すると、来栖と小鳥遊に援護を頼み、通話ボタンを押す。


《タツヒラ君、現状を》

「敵の数は不明。ざっと見て、運動場には残り五匹ほど。生徒に多数、被害が出てます」

《中庭にも数匹、出ている。他の社員に始末してもらっているところだ》


 接近してきた屍に、来栖が槍を突き刺す。

 視界の隅で、小鳥遊が発砲するのを確認する。


《今まで、こんなことは起きなかった。これほど大勢の人間がいるところを、感染者が襲うなどということは。奴らにも本能で、危機察知能力くらいはあるからな》

「記録に残りますね」

《奴らを操る頭脳が背後にいると見て間違いない。君たちが昨日出会った奴かもな》

「身元は割れたんですか」

《現場に残された指紋等から、警察が突き止めた。後でお前たちに顔を確認してもらう。男の名前は九条(くじょう)和人(かずと)。銀行で働いていたようだが、二年前に、突然やめている》

「攻撃しても良いんですか?」

《駄目だ。正当防衛以外で、我々が手を出すことはできない。会社としては、可能なのはあくまで生け捕りだと言う他ない。頭脳は背後で手綱を握っているだけだからな。こちらから攻撃する正当性が少な過ぎる。ともかくは、運動場の手駒を全滅させろ》

「了解」


 交信を絶つ。

 十字弓を構え直すと、来栖に今の話を伝える。


「おーけい、片付けるとしよう」


 頷いた来栖の隣で、小鳥遊が発砲した。

 走っていた屍が、つんのめって地に倒れ伏す。


 既にほとんどの生徒は散り散りとなって運動場の外に逃げており、倒れている者を除けば、数は少なくなっていた。

 屍も同様だ。

 姿が見えない。


「どうする」

「どうもしないね。俺たちの仕事は運動場の敵を殲滅することだ」


 来栖が周囲を見渡す。


「ここで待機して、敵を待ち受ける」

「現れなかったら」

「現れるさ。そうでなけりゃ、筋が通らねぇ」


 来栖は首を傾けて振り向いた。


「もし昨日の奴が今回の犯人なら、狙いは俺たちだ。あるいは、俺たちへの警告か」

《頭が良いな》


 スピーカー越しの声がして、僕たちは一斉に空を見上げた。

 第一校舎の屋上、放送部の用意したマイクスタンドの前に、人影があった。

 見覚えのあるシルエットだ。

 昨日と同じ、闇に浮かぶ影のような、黒いスーツを身につけている。


「九条直樹か?」

《その身元は、もはや意味を持たない。私は、夜を生きる、吸血鬼の一人だ》

「真夏の夜のホラーごっこか? 怪物にしちゃ、あんたはクールすぎる」


 来栖が槍を持って進み出る。


「今日は何の用だ? 俺たちは、祭を楽しんでたんだよ」

《夜は我々の縄張りだ。我々の時間だ。君たちは、》


 九条が、僕たち一人一人を指差していく。


《贅沢だということが分かっていない。我々の孤独も知らず、夜を過ごし、》

「何だ」


 思わず僕は言った。


「あなたは、祭に参加したかったんだ」


 未来を祭に連れて来れば良かった、とぼんやり思う。

 九条が声を上げて笑った。


《違うね。違う。分からせてやりたかったのさ、楽しそうな連中に。そこに倒れてる連中を見ろ。目覚めれば、吸血症患者の苦悩を、身をもって知ることとなる》

「まるで子供だ。何でも言うことを聞いてくれる強力な玩具を手に入れて、面白がっている。大層な意志や野心があるわけでもない。遊んでいるだけなんだ」

《遊んでいるのはどっちだ。ホラーごっこをしているのはどっちだ。吸血鬼退治だと宣って、寝ている人間の胸に杭を突き刺す。連中は何だ。あれが人間か》

「そういう類は犯罪者だ。警察が取り締まる」

《手を抜いているさ。警察も思っているんだ。吸血症患者は恐るべき悪魔だ、死んだ方が良い存在だ、とな。そういう世の中なんだ、今は》


 君たちも同罪だ、と九条。


《末期症状患者を殺す理屈は何だ? 他の人間を襲う? それなら連続殺人犯は? 現行犯で躊躇いもなく殺すか? 病気の人間を、病気であるが故に殺すのか?》

「末期症状患者を救う術は今のところない。被害を最小限に食い止めるためには、彼らを排除する必要が、どうしてもある。他に代案があるか?」


 来栖が屋上の男に向かって言い放った。

 声が、夜の闇に響く。


《我々は》


 しばしの沈黙の後、九条が口を開いた。


《歳をとらず、成長せず、楽に死ぬこともできない。戸籍の年齢と実際の外見には、やがてずれが生じ始め、人と会うこともなく忘れられていく。そうして、吸血鬼狩りに怯えつつも夜に出かけ、誰かの血を吸う。そうしないと、生きていけないからだ》


 未来を思う。

 安全のためと諭し、家に閉じ込めている未来を思う。


 そう。閉じ込めているようなものだ。

 一歩も外に出ず、日々を孤独に暮らす未来。


 外は危険だと、僕が考えているから。

 僕もまた、社会を信用していないから。


 来栖が反論する。


「血液を売っている企業もある」

《どうやって金を手に入れる。家族も友人もいない患者は、どうやって血液を得る》


 九条の声に怒気が混じる。


《どの会社も、表向きには何も言っていないが、実際には、吸血症患者というだけで不採用となる。就職先などどこにもない。我々はな、世間じゃ、つまはじき者なんだ》


 声が暗く響き渡る。


《普通の生活だって、ままならない。血液を買う金など、あるはずもない》


 これは大きな社会問題だ。

 それなのに、社会は無視をする。


《吸血症患者の人数は、世界の全人口に対して、未だ極端に少ない。だから社会は、真剣に取り組まない。増加する二酸化炭素にも、進行する環境破壊にも、ろくに取り組んでこなかった連中だ。我々に何をしてくれる。何もしてくれやしないさ》

「どうするんだ」

《吸血症患者の数を増やすさ。社会が無視できなくなるまで。増やし続けるんだ》


 他に代案があるか、と九条。

 黙り込む来栖。


《今は相容れぬさ。分かり合えるようにしてやる》


 九条の言葉とともに、建物の影から、屍が現れた。

 一体、二体、続々と増える。


《立場が異なれば意見も思考も異なるのが人間なら。立場を統一すればいい》


 九条が、月を背景に手を広げた。


《歓迎するよ、我々の呪われた血に》

「遠慮しとくわ」


 南が進み出た。

 光を掲げる。

 浴衣姿が闇に浮き出ている。


 屍の群れがたじろぐ。

 全部で七体。

 九条の姿は、既に無い。


「南先輩!」


 誰かの声とともに、眩しい光が闇をつんざいた。

 尾瀬が、大きなスタンドライトを抱えて立っていた。

 運動場倉庫から引っ張ってきたのだろう、背後には長いケーブルが続いている。


「どうして戻ってきたの!」


 南の叫び。

 負けじと尾瀬もライトを掲げてみせる。


「僕も何か――」


 言いかけた尾瀬を、背後に忍び寄っていた屍が捉えた。

 尾瀬の悲鳴。

 揺れる照明。

 別の屍が、尾瀬の後ろに続く貧弱なケーブルを引き千切ると同時に、目眩に似た残像を残して、スタンドライトの明かりが消えた。

 屍が尾瀬の首筋に噛みつくと、尾瀬の喉元から、恐怖の叫びが漏れた。


 僕が十字弓を構えるのを見て、屍は尾瀬の身体を脇へと放り捨て、背後に下がった。

 尾瀬は、意識を失ったのか、地面に叩きつけられても、声一つ上げなかった。


 僕らを取り囲む七体の屍。


 小鳥遊が一体を撃ち倒すと、周囲の屍は半分ずつに分かれ、南の放つ光の周囲を囲んだ。

 一斉に襲いかかってくる。


 素早い動き。

 時が止まったかのような錯覚。


 十字弓を屍に向ける。

 反射的に引き金を引いている。

 屍が、光から闇へと弾き飛ぶのが見える。


 端から、別の一体が飛び出して、つかみかかってきた。

 十字弓で防ぐ。

 屍に押し倒され、地を転がる。

 尻に鈍い痛みが走る。

 気を引き締める。

 屍の顔が、すぐ近くにある。

 目の前で、屍の歯が噛み合わされる。

 十字弓を屍の顎に押し当てるようにして、必死で距離を保つ。

 屍の唾液が、飛び散ってくる。

 歯の噛み合う耳障りな音が、目前で聞こえる。

 屍の歯が、どんどん近づいてくる。


 唸る。

 下から突き上げるように、膝蹴りを食らわす。

 怯む屍。

 ここぞとばかりに、十字弓を一端引き、一気に屍の顎を打つ。

 後ろ側に倒れ込む屍。


 急いで矢を装填する。


 他の仲間を確認している暇がない。


 倒れていた屍が、勢い良く跳ね起きる。

 焦りが、喉元まで迫り上がってくる。

 叫び出しそうになるのを堪え、狙いを定める。

 矢を放つ。

 屍の身体が、地へと固定される。

 素早く歩み寄り、腰から抜いた銀のナイフを突き立てる。

 絶叫。

 屍が痙攣し、やがて動かなくなる。


 振り返る。

 来栖が、向かってくる屍に槍を突き刺すのが見える。

 小鳥遊が、暗闇に向かって発砲している。


 一瞬、反応が遅れた。

 闇を裂き、屍が突進してくる。

 真っ直ぐ、僕を目指して。


 身を背後にずらし、間一髪、屍の攻撃を避ける。

 バランスを崩す。

 倒れるな、倒れたら終わりだ、

 足に全力を注ぎ、己のバランス感覚を総動員させる。

 左足を勢い良く引く。

 靴が地面を削って、躓きそうになる。

 堪える。


 十字弓を構える。

 矢を装填していないことを思い出す。

 舌打ち。


 迫り来る屍の姿が、突如、目前から消え失せる。

 屍は何者かに撃たれたのだ、それで弾け飛んだのだ、と認識する。

 一体誰が、と振り向く。


 闇の中、散弾銃を構えた三川が、後ろに数人を従えて歩いてくる。


「任せろ」


 三川の低い声。


「光は邪魔だ。撤退してくれ」


 三川の言葉に、来栖が頷いた。

 僕たちに、撤退命令を下す。


 暗闇に向かって、三川が射撃した。

 屍の悲鳴が響き渡る。


 吸血症患者は、闇の中でも視界が効く。


 順調に屍を殲滅していく三川の団体から離れると、金糸雀が歩いてくる。


「先生、これは一体」

「なかなか妥当な社会的解決策だろ」


 金糸雀は言った。


「初期症状患者を雇って、危険な夜での末期症状患者退治を担当してもらうことにした」


 なるほど、と思う。

 初期症状患者は、既に感染者なのだから、末期症状患者に噛まれたところで問題はないし、暗闇の中での戦いにおいて、不利でもない。

 そして何より、初期症状患者は、職に就くことができる。


「初期症状患者の社員が増えれば、俺たちは失業だな」


 と来栖。


「でも、あの人たち、同じ感染者を撃つことに抵抗はないのかしら」


 南が問うと、金糸雀は不思議そうな顔を、南に向けた。


「それでは、君も、同じ人間を撃つことに抵抗を感じているのか?」


 目を見開く南。

 何も答えることができない。


「さあ」


 金糸雀が手を打ち合わせた。


「侵入してきていた末期症状患者は、ほとんど退治した。もう安全だろ。被害に遭った生徒たちを、救急車まで運ぶ。手伝ってくれ」


 言われて、僕は闇に包まれた運動場を見渡す。

 人が、折り重なるようにして倒れている。


「尾瀬君!」


 南が、倒れたまま動かない尾瀬に駆け寄る。


 今夜。

 大勢の生徒が襲われた。

 彼らに何の罪もない。

 こんなことが、正しいはずはない。

 ないのだが。


 どこか満足な笑みを浮かべそうになる自分が、内にいる。

 これでいい。

 これで世界は変わる。

 もう、未来がこそこそと生きていく必要のない、優しい世界がそこまで来ている。


 罪を犯したのは、僕だけではない。

 九条という男の何かが、僕を安心させる。

 ぬるま湯に浸かるような、肌寒い温かさ。


 呑まれるな――。

 そう呟いてみても、最早、言葉は説得力を持たない。


 僕は、他人の無事を気遣う余裕もないまま、倒れている生徒たちに駆け寄った。

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