2-4 乱獲
「やほー、隊長ー、竜平君ー」
手を振りながら、やって来たのは小鳥遊だった。
血塗れのシャツを着て、頭には三角頭巾を着けている。
そう言えば、小鳥遊はお化け屋敷の班だと言っていた。
隣には、尾瀬の姿もあった。
尾瀬は、何やら怪獣の格好をさせられているようだった。
頭の部分は脱いでいるため、尾瀬だということが確認できる。
「暑そうだな、尾瀬。小鳥と同じ班か?」
「はい。街を破壊し尽くす怪獣の役です」
「小鳥」
「ほいさ」
「お前んとこのお化け屋敷は、どういう設定なんだ」
「あたしは、尾瀬君怪獣に殺された、女の怨念なんだよー。呪うよー。呪い殺すよー」
「あの、南さんは」
尾瀬が僕と来栖を交互に見て、聞いた。
「今日は来てねぇんだよ。誰かさんと昨日、喧嘩したせいじゃねぇの」
皆の目線が、僕に向けられる。
「な、何だよ」
「電話しろ。祭に誘え」
来栖に言われ、皆からの集中視線を浴びながらも、僕が躊躇っていると、
「誰に電話するの?」
背後で声が聞こえ、振り向いた。
浴衣姿の南が、巾着を手に、立っていた。
頭には、花の髪飾りも添えてある。
「ごめんね、準備に手間取ったの」
着物の袖に沈んだ手を肩まで上げて、南が歩み寄ってきた。
「下駄って歩きにくいわね。嫌になっちゃう」
そんな南に、自然と見惚れていると、
「痛っ!」
思わず声を上げる。
来栖が、南からは見えない位置で、僕の脇腹をつねっていた。
同時に小鳥遊が、やはり南から見えない位置で、僕の尻を蹴る。
「何す――」
感想を言え、と来栖が、声を発さず口だけ動かすのが分かった。
小鳥遊もしきりに頷いている。
溜息。
「あー、その、南」
僕は頭を掻きながら、目を彷徨わせ、南に向けて止める。
「似合ってる。その、つまり、綺麗に見える」
南は、少しぽかんとしてから、ぷっと吹き出した。
「あんたって、褒めるの苦手なのね。意外な弱点発覚だわ。ありがとう。本当に。嬉しい」
なら良かった、と僕は相変わらず頭を掻きながら、意を決して続ける。
「南。昨日は言い過ぎた。大事な幼馴染に、酷いことを言ったと思う。謝る」
「ううん、私も悪かった。親しき仲にも礼儀あり。これからも大親友でいましょ」
南の微笑。
その柔らかな笑みに救われるような気持ちになりながらも、どこか後ろめたいものが、自分の中を渦巻いているのは否定できなかった。
幼馴染の南。
彼女になら、良いのではないか。
僕のことを、未来のことを、話しても良いのではないか。
そう思うのだが、幼馴染だからこそ、話せないという矛盾した気持ちもあった。
――自分が何をしたか分かってるの?
あの人と、同じような反応を示すのかもしれない。
だから、南には話せない。
僕は怖いのだ。
幼馴染の南さえ、自分自身さえ、信じられない僕は。
「ナミちゃん、ナミちゃん、」
小鳥遊が嬉しそうに僕たちに近づいた。
「後でお化け屋敷に来てね」
「うん、分かった」
南が笑顔で頷く。
その笑顔の向こうに、小鳥遊が視線を動かし、ひゃあっと声を上げた。
「どうしたの、小鳥?」
小鳥遊は、首をふるふる振りながら、南の影に隠れてしまった。
覗き見えるツインテールが、ぴこぴこ動く。
僕たちが南の背後に視線をやると、小鳥遊の憧れの先輩が歩いていくところだった。
近くで見るのは初めてだが、すらっとした背格好で、顔も確かに悪くない。
頭も良さそうだ。
「声かけてこいよ」
来栖の提案に、小鳥遊は首を横に振る。
にゃー、にゃー、と猫のように縮こまっている。
そのとき、ごそごそ、という大きな音が聞こえた。
続いて、
《あー、あー、マイクテス、マイクテス、》
という声が響く。
《あ、皆さん、楽しんでます? あはは。放送部の竹橋です。これから、恒例の告白タイムを始めますよ。参加するという勇者の皆さんは、どうぞ屋上まで来て下さい。あ、僕が今いるところです。第一校舎。見えます? ライト設置してるんで明るいでしょ?》
校舎の屋上を見上げる。
確かに光が灯っており、制服姿の男子生徒が一人立っている。
「行ってきたらどうだ、小鳥」
「にゃ、にゃあー」
「人間語を喋りやがれ」
《あんまり騒ぐと怒られるので、必着七名に限りますよ。この機会に、どうしても想いを告げたい人は、お早めに。告白された方は、できれば名乗り出て、御返事をお願いします》
放送部の男子生徒は、光の中心で、マイクを持たない方の手を上げる。
《それでは、今――っ》
声が途切れた。
皆、何事かと屋上を見上げた。
放送部員の身体が、信じられないことに、宙に浮いていた。
顔を仰け反らせ、足を痙攣させながら、少し身体を浮かせているのが、下から見ていても分かる。
手品か、という声が上がり、拍手が巻き起こった。
僕は拍手に参加せず、屋上を見据える。
心臓が高鳴っている。
違和感があった。
予感があった。
確信があった。
拍手が、少しずつ、消えていった。
何が起きているのか、理解が伝播し始めたのだ。
放送部員の後ろには、何者かが立っていた。
その人物が、哀れな男子生徒の身体を持ち上げ、その首に噛みついているのだ。
放送部員の影に隠れ、ライトの当たらない位置。
誰かが叫んだ。
悲鳴だった。
屋上で、放送部員を放した男は、その両腕で、近くに置いてあったライトを叩き壊した。
屋上が闇に包まれた。
男の姿も見えなくなる。
辺りは一気に騒然となった。
第一校舎の中から、悲鳴が聞こえ始めていた。
一室一室、校舎内の電灯が、消されていく。
ほぼ全室から明かりが漏れていたはずの校舎の窓が、今や半分は闇に包まれていた。
残りの半分も、どんどん暗転していく。
同時に、悲鳴も加速する。
窓が開き、運動場に向かって飛び降りてくる生徒たちの姿があった。
窓の奥、闇の底から、低く響く唸り声と甲高い金切り声が、同時に聞こえてくる。
混乱状態だ。
アタッシュケースに駆け寄る。
鍵を開けて、中から十字弓を取り出す。
矢は、十本、持ってきていた。
慎重に使わなければならない。
一本目を、すかさず装填する。
来栖も、テントの骨組みを縛っていたビニールテープを解き、自らの槍を解放する。
屍の群れは、既に運動場にも現れていた。
明かりが、一つずつ壊されていく。
闇が近づいてくる。
小鳥遊が、シャツの下から拳銃を取り出した。
南も、テント周辺に設置してあった電気ランプと、その隣の探知機を手に取る。
「尾瀬君は避難して」
「え、でも」
「あんたは戦えないでしょ!」
渋る尾瀬を押しやり、下駄を脱ぎ捨て、南が光を掲げる。
テントが次々に倒されていく。
闇の中で、唸り声が響き渡った。
混乱と、恐怖と、苦痛の悲鳴が、夜を切り裂く。
人々が走り回り、屍を見分けるのも一苦労だった。
見つけたとしても、逃げ惑う生徒が射線上にいる。
とても撃てない状況であった。
すぐ近くで屍の唸りが聞こえる。
十字弓を構える。
屍は、両腕を振り回し、生徒たちを薙ぎ払いながら突き進んでいく。
僕は十字弓を構え、それを追い続けるが、引き金を引くチャンスがない。
何体の屍が侵入してきているのかも分からない。
困った状況だ。
誰かが雄叫びを上げる。
振り向くと、小鳥遊の憧れの先輩が、フライパンで屍を殴りつけたところだった。
屍はものともせず、先輩を突き飛ばす。
地面に倒れ伏した先輩を、怪物は踏みつけ、奇声を発した。
小鳥遊の拳銃が火を噴いた。
瞬きをせず、目もそらさず。
小鳥遊は、進み出ながら屍に弾丸を叩き込んだ。
先輩は、両手を地についたまま、口を開け、小鳥遊を見上げている。
撃たれた屍は、よろめき、もたつきながら、仮面を売っているテントに倒れ込んだ。
屍が動かなくなると、小鳥遊は一瞬、先輩に目を向け、
「に、逃げてー……」
と照れまくりの一言を残し、次の敵を探し始めた。
先輩は誰にともなく頷くと、駆け出した。
「助けて!」
振り向く。
十字弓を構える。
射線上に、駆け寄ってくる女子生徒の姿が見える。
そのすぐ後ろに、高速で走ってくる屍の姿があった。
「頭を下げて!」
叫ぶと、女子生徒は、両手で頭をかばいながら、地に伏した。
屍を限界まで引きつけ、矢を発射する。
屍は矢に胸を貫かれ、勢い良く後ろに倒れ込んだ。
来栖が歩み出て、槍を屍に突き刺す。
そうしている間にも、少し先のところで、屍が一体、男子生徒の身体を持ち上げているのが見えた。
首筋に噛みつき、しばらくすると、生徒を放り投げて、次の獲物を探す。
周囲の生徒は、大声で混乱を叫びながら、こちらへと逃げてくる。
十字弓を上に向け、流れに逆らって歩いた。
逃げ惑う生徒たちと身体がぶつかる。
「伏せるんだ! 伏せろ!」
怒鳴りながら、人の波を掻き分け、前へと進む。
「おい、こっちだ!」
屍の注意を引く。
屍の顔がこちらへ向けられる。
十字弓を構える。
慎重に狙いを定める。
外したら終わりだ。
屍が跳躍してくる。
引き金を引く。
矢は屍の脳天を貫き、屍は苦悶の叫びを上げながら、地を転がった。
来栖がとどめを刺している間に、次の矢をセットする。
一度用いた矢は、屍の身体に根深く刺さっているため、現段階での再利用は不可能だ。
残る矢は八本。
そこへ、見知った顔の女性国語教師が、血相を変えて走ってきた。
「君たち、それはいったい――何をしてるんです!」
来栖が、血塗れの矢を屍から引き抜き、上目遣いに教師を見る。
僕は矢の装填を終えると、十字弓を構えて言った。
「免許は持っています。先生は避難してください」
「教員に指図するのはやめなさい! 生徒のあなたたちは――」
「奴らを倒せますか、あなたに」
索敵しながら、ちらっと女性教師に目をやる。
「僕たちは専門家です。言うことを聞きなさい、先生。今すぐ生徒たちを先導して、避難させるんです。このままじゃ被害は拡大する一方だ。明るいところ――体育館にでも集めて、立て篭もるんです。僕たちがすべて倒し終わるまで。いいですね」
女性教師は気圧されたように、僕と来栖を見比べてから、何度か頷いた。
「警察には――」
「呼んでも無駄ですよ。未だに地元警察は、銀の弾を常備していない。末期症状患者の前では、非力です。足止めもできないでしょう。いるだけ邪魔です」
「分かりました。き、気をつけて」
ズボンの中で、振動とともに、携帯電話が鳴った。
金糸雀という表示を確認すると、来栖と小鳥遊に援護を頼み、通話ボタンを押す。
《タツヒラ君、現状を》
「敵の数は不明。ざっと見て、運動場には残り五匹ほど。生徒に多数、被害が出てます」
《中庭にも数匹、出ている。他の社員に始末してもらっているところだ》
接近してきた屍に、来栖が槍を突き刺す。
視界の隅で、小鳥遊が発砲するのを確認する。
《今まで、こんなことは起きなかった。これほど大勢の人間がいるところを、感染者が襲うなどということは。奴らにも本能で、危機察知能力くらいはあるからな》
「記録に残りますね」
《奴らを操る頭脳が背後にいると見て間違いない。君たちが昨日出会った奴かもな》
「身元は割れたんですか」
《現場に残された指紋等から、警察が突き止めた。後でお前たちに顔を確認してもらう。男の名前は九条和人。銀行で働いていたようだが、二年前に、突然やめている》
「攻撃しても良いんですか?」
《駄目だ。正当防衛以外で、我々が手を出すことはできない。会社としては、可能なのはあくまで生け捕りだと言う他ない。頭脳は背後で手綱を握っているだけだからな。こちらから攻撃する正当性が少な過ぎる。ともかくは、運動場の手駒を全滅させろ》
「了解」
交信を絶つ。
十字弓を構え直すと、来栖に今の話を伝える。
「おーけい、片付けるとしよう」
頷いた来栖の隣で、小鳥遊が発砲した。
走っていた屍が、つんのめって地に倒れ伏す。
既にほとんどの生徒は散り散りとなって運動場の外に逃げており、倒れている者を除けば、数は少なくなっていた。
屍も同様だ。
姿が見えない。
「どうする」
「どうもしないね。俺たちの仕事は運動場の敵を殲滅することだ」
来栖が周囲を見渡す。
「ここで待機して、敵を待ち受ける」
「現れなかったら」
「現れるさ。そうでなけりゃ、筋が通らねぇ」
来栖は首を傾けて振り向いた。
「もし昨日の奴が今回の犯人なら、狙いは俺たちだ。あるいは、俺たちへの警告か」
《頭が良いな》
スピーカー越しの声がして、僕たちは一斉に空を見上げた。
第一校舎の屋上、放送部の用意したマイクスタンドの前に、人影があった。
見覚えのあるシルエットだ。
昨日と同じ、闇に浮かぶ影のような、黒いスーツを身につけている。
「九条直樹か?」
《その身元は、もはや意味を持たない。私は、夜を生きる、吸血鬼の一人だ》
「真夏の夜のホラーごっこか? 怪物にしちゃ、あんたはクールすぎる」
来栖が槍を持って進み出る。
「今日は何の用だ? 俺たちは、祭を楽しんでたんだよ」
《夜は我々の縄張りだ。我々の時間だ。君たちは、》
九条が、僕たち一人一人を指差していく。
《贅沢だということが分かっていない。我々の孤独も知らず、夜を過ごし、》
「何だ」
思わず僕は言った。
「あなたは、祭に参加したかったんだ」
未来を祭に連れて来れば良かった、とぼんやり思う。
九条が声を上げて笑った。
《違うね。違う。分からせてやりたかったのさ、楽しそうな連中に。そこに倒れてる連中を見ろ。目覚めれば、吸血症患者の苦悩を、身をもって知ることとなる》
「まるで子供だ。何でも言うことを聞いてくれる強力な玩具を手に入れて、面白がっている。大層な意志や野心があるわけでもない。遊んでいるだけなんだ」
《遊んでいるのはどっちだ。ホラーごっこをしているのはどっちだ。吸血鬼退治だと宣って、寝ている人間の胸に杭を突き刺す。連中は何だ。あれが人間か》
「そういう類は犯罪者だ。警察が取り締まる」
《手を抜いているさ。警察も思っているんだ。吸血症患者は恐るべき悪魔だ、死んだ方が良い存在だ、とな。そういう世の中なんだ、今は》
君たちも同罪だ、と九条。
《末期症状患者を殺す理屈は何だ? 他の人間を襲う? それなら連続殺人犯は? 現行犯で躊躇いもなく殺すか? 病気の人間を、病気であるが故に殺すのか?》
「末期症状患者を救う術は今のところない。被害を最小限に食い止めるためには、彼らを排除する必要が、どうしてもある。他に代案があるか?」
来栖が屋上の男に向かって言い放った。
声が、夜の闇に響く。
《我々は》
しばしの沈黙の後、九条が口を開いた。
《歳をとらず、成長せず、楽に死ぬこともできない。戸籍の年齢と実際の外見には、やがてずれが生じ始め、人と会うこともなく忘れられていく。そうして、吸血鬼狩りに怯えつつも夜に出かけ、誰かの血を吸う。そうしないと、生きていけないからだ》
未来を思う。
安全のためと諭し、家に閉じ込めている未来を思う。
そう。閉じ込めているようなものだ。
一歩も外に出ず、日々を孤独に暮らす未来。
外は危険だと、僕が考えているから。
僕もまた、社会を信用していないから。
来栖が反論する。
「血液を売っている企業もある」
《どうやって金を手に入れる。家族も友人もいない患者は、どうやって血液を得る》
九条の声に怒気が混じる。
《どの会社も、表向きには何も言っていないが、実際には、吸血症患者というだけで不採用となる。就職先などどこにもない。我々はな、世間じゃ、つまはじき者なんだ》
声が暗く響き渡る。
《普通の生活だって、ままならない。血液を買う金など、あるはずもない》
これは大きな社会問題だ。
それなのに、社会は無視をする。
《吸血症患者の人数は、世界の全人口に対して、未だ極端に少ない。だから社会は、真剣に取り組まない。増加する二酸化炭素にも、進行する環境破壊にも、ろくに取り組んでこなかった連中だ。我々に何をしてくれる。何もしてくれやしないさ》
「どうするんだ」
《吸血症患者の数を増やすさ。社会が無視できなくなるまで。増やし続けるんだ》
他に代案があるか、と九条。
黙り込む来栖。
《今は相容れぬさ。分かり合えるようにしてやる》
九条の言葉とともに、建物の影から、屍が現れた。
一体、二体、続々と増える。
《立場が異なれば意見も思考も異なるのが人間なら。立場を統一すればいい》
九条が、月を背景に手を広げた。
《歓迎するよ、我々の呪われた血に》
「遠慮しとくわ」
南が進み出た。
光を掲げる。
浴衣姿が闇に浮き出ている。
屍の群れがたじろぐ。
全部で七体。
九条の姿は、既に無い。
「南先輩!」
誰かの声とともに、眩しい光が闇をつんざいた。
尾瀬が、大きなスタンドライトを抱えて立っていた。
運動場倉庫から引っ張ってきたのだろう、背後には長いケーブルが続いている。
「どうして戻ってきたの!」
南の叫び。
負けじと尾瀬もライトを掲げてみせる。
「僕も何か――」
言いかけた尾瀬を、背後に忍び寄っていた屍が捉えた。
尾瀬の悲鳴。
揺れる照明。
別の屍が、尾瀬の後ろに続く貧弱なケーブルを引き千切ると同時に、目眩に似た残像を残して、スタンドライトの明かりが消えた。
屍が尾瀬の首筋に噛みつくと、尾瀬の喉元から、恐怖の叫びが漏れた。
僕が十字弓を構えるのを見て、屍は尾瀬の身体を脇へと放り捨て、背後に下がった。
尾瀬は、意識を失ったのか、地面に叩きつけられても、声一つ上げなかった。
僕らを取り囲む七体の屍。
小鳥遊が一体を撃ち倒すと、周囲の屍は半分ずつに分かれ、南の放つ光の周囲を囲んだ。
一斉に襲いかかってくる。
素早い動き。
時が止まったかのような錯覚。
十字弓を屍に向ける。
反射的に引き金を引いている。
屍が、光から闇へと弾き飛ぶのが見える。
端から、別の一体が飛び出して、つかみかかってきた。
十字弓で防ぐ。
屍に押し倒され、地を転がる。
尻に鈍い痛みが走る。
気を引き締める。
屍の顔が、すぐ近くにある。
目の前で、屍の歯が噛み合わされる。
十字弓を屍の顎に押し当てるようにして、必死で距離を保つ。
屍の唾液が、飛び散ってくる。
歯の噛み合う耳障りな音が、目前で聞こえる。
屍の歯が、どんどん近づいてくる。
唸る。
下から突き上げるように、膝蹴りを食らわす。
怯む屍。
ここぞとばかりに、十字弓を一端引き、一気に屍の顎を打つ。
後ろ側に倒れ込む屍。
急いで矢を装填する。
他の仲間を確認している暇がない。
倒れていた屍が、勢い良く跳ね起きる。
焦りが、喉元まで迫り上がってくる。
叫び出しそうになるのを堪え、狙いを定める。
矢を放つ。
屍の身体が、地へと固定される。
素早く歩み寄り、腰から抜いた銀のナイフを突き立てる。
絶叫。
屍が痙攣し、やがて動かなくなる。
振り返る。
来栖が、向かってくる屍に槍を突き刺すのが見える。
小鳥遊が、暗闇に向かって発砲している。
一瞬、反応が遅れた。
闇を裂き、屍が突進してくる。
真っ直ぐ、僕を目指して。
身を背後にずらし、間一髪、屍の攻撃を避ける。
バランスを崩す。
倒れるな、倒れたら終わりだ、
足に全力を注ぎ、己のバランス感覚を総動員させる。
左足を勢い良く引く。
靴が地面を削って、躓きそうになる。
堪える。
十字弓を構える。
矢を装填していないことを思い出す。
舌打ち。
迫り来る屍の姿が、突如、目前から消え失せる。
屍は何者かに撃たれたのだ、それで弾け飛んだのだ、と認識する。
一体誰が、と振り向く。
闇の中、散弾銃を構えた三川が、後ろに数人を従えて歩いてくる。
「任せろ」
三川の低い声。
「光は邪魔だ。撤退してくれ」
三川の言葉に、来栖が頷いた。
僕たちに、撤退命令を下す。
暗闇に向かって、三川が射撃した。
屍の悲鳴が響き渡る。
吸血症患者は、闇の中でも視界が効く。
順調に屍を殲滅していく三川の団体から離れると、金糸雀が歩いてくる。
「先生、これは一体」
「なかなか妥当な社会的解決策だろ」
金糸雀は言った。
「初期症状患者を雇って、危険な夜での末期症状患者退治を担当してもらうことにした」
なるほど、と思う。
初期症状患者は、既に感染者なのだから、末期症状患者に噛まれたところで問題はないし、暗闇の中での戦いにおいて、不利でもない。
そして何より、初期症状患者は、職に就くことができる。
「初期症状患者の社員が増えれば、俺たちは失業だな」
と来栖。
「でも、あの人たち、同じ感染者を撃つことに抵抗はないのかしら」
南が問うと、金糸雀は不思議そうな顔を、南に向けた。
「それでは、君も、同じ人間を撃つことに抵抗を感じているのか?」
目を見開く南。
何も答えることができない。
「さあ」
金糸雀が手を打ち合わせた。
「侵入してきていた末期症状患者は、ほとんど退治した。もう安全だろ。被害に遭った生徒たちを、救急車まで運ぶ。手伝ってくれ」
言われて、僕は闇に包まれた運動場を見渡す。
人が、折り重なるようにして倒れている。
「尾瀬君!」
南が、倒れたまま動かない尾瀬に駆け寄る。
今夜。
大勢の生徒が襲われた。
彼らに何の罪もない。
こんなことが、正しいはずはない。
ないのだが。
どこか満足な笑みを浮かべそうになる自分が、内にいる。
これでいい。
これで世界は変わる。
もう、未来がこそこそと生きていく必要のない、優しい世界がそこまで来ている。
罪を犯したのは、僕だけではない。
九条という男の何かが、僕を安心させる。
ぬるま湯に浸かるような、肌寒い温かさ。
呑まれるな――。
そう呟いてみても、最早、言葉は説得力を持たない。
僕は、他人の無事を気遣う余裕もないまま、倒れている生徒たちに駆け寄った。




