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「これから……?」
「そう。あなたたちはもうすっかり元気になった。いつまでもここにはいられないでしょ?」
ユアは黙ったまま、少しうつむいている。どんな表情をしているのか、コーデリアには見えなかった。ココアは二人の間をきょろきょろと見回して首をかしげている。
「…………、わからない」
「わからない、って……元の世界に帰りたいとか、思わないの?」
「思わない。だって……」
そのあとは言葉が続かなかった。視線を彷徨わせて、少しだけ唇を噛む。
「別に理由は言わなくてもいいわ。言いにくいことなんでしょう。元の世界に戻らないなら……聖都の養護院に送り届けてあげる」
「ようごいん?」
「孤児を預かる施設のことよ。聖都なら治安も良いし、設備もそれなりでしょうから不自由はしないと思うわ。貴族の養子になれれば学校にも通えるかもしれない」
二人とも、ずっと何も言わない。ココアもユアの足元にくっついて、動かなくなってしまった。
コーデリアも、静かに二人を待っている。
彼らの言いたいことを、なんとなく察していたからだ。
どれくらいそうしていたかわからない。数十秒だったのか、数分だったのか。不意に、ココアが「うーん」とうなり始める。
「……心愛、どうかした?」
「おにいちゃん……ここあ、ずっとここにいる……だめ?」
「だめ」
「なんでえ」
ユアが首を振ると、ココアがもう一度「なんで!」と言った。少年は困ったように、コーデリアに視線を向ける。彼も、なんで、と、聞きたかったからだ。
「はあ……まあ、あなたたちに隠すことでもないか。私は騎士隊に追われているの。最近また奴らの動きが活発みたいだから……ここから離れようと思ってる。あなたたちを連れていけないわ」
「コーデリアさんは悪い人ってことですか?」
「そうかもしれないわね」
この数日で、ずいぶんと懐かれたものだと思う。コーデリアは特別彼らに優しくしたわけではない。ただ世話をしただけ。それなのにたった数日で、この子供たちは「ここから離れたくない」と思っているのが、ひしひしと伝わってきた。
素直なココアはまだわかるが、はじめはあんなに警戒していたユアでさえ、今、たまった涙をこぼさないように必死に耐えているのが分かる。
子供が、泣きたいのに泣くのを我慢している様子を見るのは、とても胸が痛む。しかしだからと言って、魔女狩りからの逃避に幼い子供を、ましてや本来この世界とも無関係なこの子達を巻き込むわけにはいかない。
「ごめんなさいね」
コーデリアがそう言うと、ユアが勢いよく顔を上げる。
「養護院で過ごすのが嫌なら、二人で暮らしてもいいの。あなたたちはこの世界で何をしてもいい。でも、私のところにいることだけはできない。とりあえずは養護院に行って保護してもらいなさい。そこから先のことは、またそこの大人たちと考えればいい。さあ、あまり遅い時間に送るわけにもいかないから、今から転送魔法の準備をするわ」
子供たちの辛い表情を見たくなくて、コーデリアは早口にそう言うと踵を返した。家の外に出て、杖を使って魔法陣の準備を施し始める。
もし、あの二人がこの世界の人間で、魔法の素質があったなら――いや、それでも魔女狩りに追われる現状で幼子を連れ行くのは厳しい。服飾の魔女を討ったという今代の魔女狩りは相当な手練れと見える。自分の身さえ守れるかわからないのに、子供たちを守れるなどと驕らないほうがいい。今は辛くても、養護院での生活に慣れれば楽しく暮らしていけるだろう。危険な旅に巻き込んでしまうより、そのほうが自分のためにも、子供たちのためにも良いに決まっている。
この数日間は、楽しかった思い出としておこう。コーデリアにとっても――久しぶりに子供たちと過ごした時間は、驚くほど心に馴染んで、居心地が良かった。
たった数日、されど数日。きっと今日の夜、コーデリアはその静けさに寂しさを覚えるのだろう。
でもそれもまた、じきに慣れる。
魔法陣が完成すると、コーデリアは子供たちを呼んだ。ユアもココアも、俯いたまま大人しく出てくる。陣の中心に来るように指示すると、抵抗もなくゆっくりとその場に着いた。
「この魔法陣が光っている間は、動いちゃだめ。転送が完了したら勝手に光は消えるから、そうしたらもう自由にしていいわ。養護院の目の前に送るようにするから動けるようになったらそこの大人を呼びなさい。事情を聞かれたら……魔女から逃げ出してきたとでも言いなさい」
「これりあ……」
「なあに?」
ココアはユアと繋いでいた手を放して、とぼとぼと歩いて近づいてくる。コーデリアの足元まで寄ってくると、紫の――二人曰く魔女っぽいワンピースの裾を掴んだ。
「あのね……、……ぎゅうってして……」
逡巡して、コーデリアは膝をついた。
その体温の高い柔肌を抱きしめると、ココアも必死になってこちらに腕を回してくる。
「これりあ……これりあがね……ここあのママだったらよかったのに……」
コーデリアは息をのんだ。
「心愛。それは言わないって言っただろ」
いつの間にかココアの背後に来ていたユアが、妹を引きはがして魔法陣の中に戻る。「中断させてすみません」と頭を下げた。
なんとなく気が付いていたけれど、やはりこの子たちは親がいなかった、もしくは良い親ではなかったのだ。たった数日世話をしてあげただけの魔女に懐いてしまうくらい、愛情に飢えていたのだ。
この二人がこんなに傷ついた顔をしているのは、きっとただ寂しいからというだけではない――また自分たちの居場所を得ることができなかったという喪失感や絶望感、なのかもしれない。
(いえ、それでも……幼い子供を危険にさらすほうがよっぽど良くないわ。可哀想だなんて、自分の感情で彼らの行く末を決めてはいけない。彼らの未来は、安全で暖かで、明るく希望に満ちたものであるべきよ)
「さ、始めるわよ。さっきの約束を忘れないで。魔法陣が光っている間は、動かないこと。いいね?」
コーデリアの持つ杖の先端に、ほのかに光が集まる。小さく呪文を唱えると、地面に書かれた線が一気に輝き始めた。
ユアは、あまりのまぶしさにぎゅっと目を瞑った。片手をココアと繋いだまま、もう片方の腕で顔を覆う。それでも瞼の裏に入り込んでくる眩い光を抑えることはできない。
きっと目を開けた時にはもう違う景色になっていて、あの人はいないのだろう、と思った。
――あなたたちが、幸せになりますように。
と、真っ白な世界の中に、突然声が聞こえた。
――寂しい思いも、苦しい思いもせず、どうか、二人がただ幸せでありますように。
それはコーデリアの祈りだった。
ユアの隣から、小さなうめき声が漏れる。
――あなたたちとずっと一緒にいられたら……どんなに良かったかしら。
一際輝いて、その場で立っていることすら難しく感じる。何も見えないはずなのに、何でも見える。輪郭がぼやけて、はじけて、何かを形作っている。
コーデリアが今から「さようなら」と言うのだろうと、どうしてか分かった。
しかし、その瞬間。
「これりあー……っ!」
ユアですら一歩も動けなかった光の中で、駆け出す小さな影があった。
(……心愛! 動いたらだめだって……っ!)
止めようと思った。でも、どうして、ユアはココアを追って走っていた。先ほどまで石のように重く動かなかった足が、驚くほど軽く感じる。
そのまま、ユアとココアは真っ白な世界から飛び出した。
「……あー……りあー……」
コーデリアは杖を規則的に振りながら、何か聞こえたほうに目を凝らす。魔法陣からあふれた壁のような光から、ぼう、と響くように、音が鳴っている。
「……これりあー……っ!」
その白い壁からにゅっと手が生えてきたかと思うと、幼い少女と少年が現れる。コーデリアは大慌てで杖を収めた。二人は文字通り地面に転がり落ちて尻もちをついた。
「いたた……」
「……あなたたち! 何をしてるの! 動くなと言ったでしょう!? 転移のタイミングが違ってたら、あなたたち今頃まっぷたつよ!」
「これりあー!」
叱られているのを物ともせず、ココアが勢いよくコーデリアの足元に抱き着く。
聞いているの、と怒ろうとして、止まった。顔を上げたココアの大きな瞳からは、ぼろぼろと涙があふれている。その奥でまだ地面に座ったままのユアも、泣いていた。
「これりあ、あのね、ここあね、これりあといっしょがいい。しせつって、いきたくない。これりあがいいっ、これりあがいいよぉ……」
「あの……っ、おれは前になんでもするって言ったけど、まだ何もできてないから! 妹を助けてもらったのにそのお返しができてなくて……それで……っ、おれ、これから絶対役に立てるようになるから! 何でもできるようになるから、だからっ……おれたちを一緒にいさせてください!」
たった数日、されど数日。いつの間にか繋がっていたこの細い糸を、コーデリアは無視できない。これを無かったことにしてやっぱり養護院に送ろうだなんて、思えなかった。例え彼らを危険に巻き込むとしても――いや、そうならないように、全力を尽くそう。どうしようもない時が来たら、その時にすればいい。
今はただ、愛に飢えたお互いの空洞を埋めるように、抱きしめあった。
これからこの二人のことを愛したいと思った。これからこの人を愛したいと思った。
今はただ、それだけで良い気がした。




