復興の故国と二人の魔女
季節はもうすぐ雪も溶けようかという頃。
かつて足立家に仕えた年老いた忍び、猪俣喜三郎は雪の中立ち上がると腰を叩いた。
周囲は雪深い山中の森、喜三郎がこの山に居を構えてそろそろ半年が過ぎようとしていた。
「猪俣! 見よ、今宵は兎鍋じゃ!!」
「おお、これは良い。茜丸様の弓の腕も随分上達されましたな」
「当然じゃ、日々鍛錬しておるからのう」
そう言ってはにかんだ十歳前後の少年に、喜三郎は優し気な笑みを浮かべた。
「……しかし我らはいつまでこうしておらねばならぬ?」
「今、配下の者が散らばった家臣を集めております。今しばらくの辛抱を」
「ふぅ……お前がそう言うてもう三年……その間に我らは何度逃げたのか……儂はいい、じゃが姉上が……」
「桔梗様にはご苦労をお掛けして……申し開きもございませぬ」
喜三郎は茜丸の前に片膝を突き、深々と頭を垂れた。
「…………すまぬ。猪俣がようやってくれておる事は分かっておる……姉上が不憫で……少し口が滑った」
「……茜丸様……この猪俣、命に変えても足立を再興し、お二人を必ず城に戻すとお約束します」
「言うたな、約束じゃぞ。その時は猪俣、お主にも存分に働いてもらうからの……じゃから命に変えてもというのは無しじゃ」
「……御意」
再度、頭を下げた老人を見て少し遠い目をしながら微笑んだ。
足立を滅ぼした加納は逃げ延びた足立の跡継ぎに賞金を懸けた。
それにより二人いた兄と一番上の姉、そして妹は捕縛され首を落とされた。
残ったのは喜三郎に保護された自分と二つ年上の姉だけ……。
姉の桔梗は三年の逃亡生活で最近は床に臥せる事が増えた。
それでも目を離すと家事や雑事をこなそうとする。
茜丸は姉がもし死んだなら、一人、加納に出向こうと考えていた。
そうすれば……自分さえいなくなれば、この忠義者の老人や他の家臣達も流石に諦めるだろう。
首一つでこの者達の命が救えるなら安い物じゃ……。
「帰るか、猪俣」
「ハッ」
雪をかき分け茜丸と喜三郎は桔梗の待つ猟師小屋へと歩みを進める。
「所で猪俣は何を獲ったのじゃ?」
「某はほれ、鴨をつかまえましてござりまする」
喜三郎はそう言うと腰に吊るした鴨をポンと叩いた。
「鴨か、やはりまだ猪俣には敵わぬのう。儂はいつも気付かれてしまう」
「いやいや、兎を獲れたのであれば、鴨もすぐに獲れるようになりま……茜丸様、囲まれておりまする」
笑みを浮かべていた老人の目がスッと細められる。
「のようじゃな……」
それに呼応して茜丸も腰の刀を抜き放つ。
「何奴じゃ!?」
「チッ、勘のいいガキと爺ぃだ」
山中の茂みから具足を身に着けた、いかにも賊といった風情の男が二十人程ワラワラと湧いて出た。
彼らは二人の逃げ道を塞ぐように周囲を固め、抜き身の刀を手にこちらに視線を送っている。
「……賞金稼ぎか?」
「ご名答……爺ぃ、てめぇは数に入ってねぇ。殺されたくなかったらさっさと失せろ」
「……」
正面の男は無言の喜三郎にニヤついた笑みを浮かべた。
恐らく喜三郎が臆したと思ったのだろう。
男は視線を茜丸に向け、更に言葉を続けようと口を開きかける。
そのニヤついた首が次の瞬間、雪に落ちた。
棒立ちになった体から血が噴き出し、白い雪を赤く染める。
「おっ、お頭!?」
「フンッ……今なら見逃してやる。殺されたくなかったらさっさと失せろ」
一瞬で間合いを詰め賊の頭の首を短刀で落した喜三郎は、先ほどまでとは一変して賊達に冷たく吐き捨てるように頭のセリフを返した。
「クソッ! おい、女を連れて来い!!」
「おっ、おう!」
「女……まさか!?」
喜三郎が歯噛みする中、賊の一人が猿轡を噛ませた少女を曳き立てた。
「姉上!?」
茜丸が青い顔をして意識を失っている桔梗を見て悲痛な叫びを上げる。
「へへッ……小汚ねぇ小娘だから違うかと思ったが……当たりだったようだな」
「クッ……その方をどうするつもりじゃ?」
「加納に連れてくに決まってるだろう? まぁその前に味見はするがな」
「……下郎が」
桔梗を捕らえた賊の一人が、彼女の首元に刀を翳しながらその頬に舌を這わせようと顔を寄せたその時、上から落ちて来た何かが男を踏み潰した。
「なっ!? なんだテメェ!?」
「……儂の名は佐々木伊蔵。足立を再興する為、遠く東の魔女の国より戻りし忍びよ」
桔梗を抱えた赤い髪の男がそう名乗った瞬間、周囲に雷光が走り賊の体を衝撃が走り抜ける。
「伊蔵さん、急に飛び出さないで下さいよ。魔法を当てる所だったじゃないですか」
「すまぬ。桔梗様にこやつが無礼を働こうとしたのでな」
隣に降り立った桃色の髪の少女に頭を下げながら、額に角を生やした男は足の下で踏みつけられ目を回している賊に目をやり口元を歪めた。
「伊蔵? 伊蔵……なのか?」
男は青ざめた顔の桔梗を抱え上げ、喜三郎の前に差し出す。
喜三郎が戸惑いながら桔梗を受け取ると、男は喜三郎の前に膝を突いた。
「お師様、お久しぶりでございます。佐々木伊蔵、理を超えた力を得てただいま戻りましてございます」
「理を超えた力……お主、あの話を誠に……しかしその髪と角は……」
「悪魔……力を得るには異界の鬼と契らねばなりませなんだ。契った結果がこれでござる」
「鬼……もしやその娘が?」
「いえ……こちらはフィア殿。この方は異国にて拙者を救ってくれた恩人でござる。……今はその……拙者の嫁でござる」
「えへへ……嫁とか……なんか照れるじゃないですかぁ」
桃色の髪の少女は伊蔵に近寄るとその肩をパシパシと叩いた。
「恩人? 嫁? ……お主、異国で一体何を?」
「猪俣、この者はお前の知己か?」
困惑気味に刀を収め、駆け寄った茜丸がチラリと伊蔵達を見ながら喜三郎に尋ねる。
「ハッ、この者は儂の弟子、佐々木伊蔵と申す足立に仕えた忍びでございます」
「……茜丸様……しばらく見ぬ間に……大きゅうになられましたな……」
そう言って感慨深そうに笑みを浮かべた男の顔が、城で何度か出会った忍びと重なる。
「……お主はもしや……あのしかめ面の忍びか?」
「ハッ、戻りが遅くなり申し訳ござらぬ」
頭を下げた伊蔵に茜丸は何とも言えない表情を浮かべた。
確かに顔は自分の知る忍びの物だ。しかし額から伸びた角に血の様な赤い髪、更に銀色の瞳はおとぎ話の鬼の様だ。
更に、伊蔵の横にいる娘も頭に二本長い角を伸ばしている。
どういう風に彼らと接するべきか、一瞬、茜丸は悩んだ。
しかし、そんな茜丸の脳裏に父の言葉がよぎる。
「知っておるか、茜丸。海を超えた先、大陸には黄金の髪と青や緑の目の人間がいるそうじゃ」
「黄金の髪、青や緑……それは人なのですか? 鬼の間違いでは?」
「鬼じゃろうが人じゃろうがそんな事はどうでもよい。話が通じ仲良く出来るのであれば、それは人でよいであろ?」
「ですが我らとは余りに違います」
「……茜丸、容姿に惑わされるな。美醜や年、男やおなごでは無く本質を見極める目を養え。真に重要なのは其奴が信用に足るかどうかぞ」
信用に足るかどうか……。
海を越え遥か異国へ渡り、足立の為に姿を変えて力を得たと男は言っていた。
それは山中を喜三郎に連れられ点々としていた自分よりも辛く危険な物だったろう。
そんな危険な旅をして戻った家臣を労えなくてどうする。
「……伊蔵、大儀であった。戻ってくれて儂は嬉しいぞ」
「茜丸様……ハッ、有難き幸せにごさいまする」
伊蔵は一瞬、感じ入った様に目を潤ませるとそれを隠す様に頭を下げた。
「……えっと、挨拶は終わりました? じゃあ、その子、辛そうなんで治しちゃっていいですか?」
そんな伊蔵を見て微笑みを浮かべたフィアは、視線を茜丸達に向け小首をかしげ、二人に尋ねた。
「桔梗様を癒せるのか!?」
「ええ、見た感じ栄養失調で体力が落ちてるのと、肺に悪い物が入ってるみたいなので薬と魔法を併用すれば多分」
「本当か!? 頼む、姉上を助けてくれ……助けてくれたら……今すぐは無理じゃが、働いて必ず恩は返すゆえ……」
「フフッ、いいですよぉ、恩なんて返さなくても。だっ、旦那様の大事な方を助けるのは当然ですから」
フィアは自分で言った旦那様という言葉に照れて顔を手で扇ぎながら、茜丸に答える。
「旦那様……伊蔵、このような幼子を嫁にしたとはどういう事か、後程ゆっくり説明して貰うぞ」
喜三郎は少し軽蔑を含んだ眼差しを伊蔵に向けながら、低く響く声で言葉を紡いだ。
「おっ、お師様、フィア殿とはお師様が考えている様な関係では決して……」
「ほう……ではどのような関係なのじゃ?」
「だから、私と伊蔵さんは……ふっ、夫婦ですよ」
「フィア殿は少し黙っていてくだされ!」
「ええー、だってお嫁さんにしてくれるって言ったじゃないですか」
「伊蔵、お主、変わったのう」
「誤解じゃ……」
「よぉ、なに揉めてんだぁ?」
「伊蔵、言われた通り、周りにいた奴らは気絶させたよ。こいつらどうしたらいい?」
空から聞こえた声に視線を向けた茜丸と喜三郎は目を見開く。
蝙蝠に似た羽根を生やした女と、右の額に長い角を生やした男がこちらを見下ろしていた。
その上に風に巻かれた数十人の賊が宙を舞っている。
「また鬼が……はぁ……儂は……儂はもう限界じゃ……桔梗様も休ませねばならぬ。伊蔵……それとフィア殿じゃったな。お仲間を連れてついて来てくだされ……茜丸様、参りましょう」
「うっ、うむ……飛んでおる……まるで異国の書物で読んだ仙人のようじゃ……」
「二人ともそのままついて来て下さい!」
「わーった!」
「りょうかーい!」
「伊蔵さん、行きますよ!」
「儂は別に幼子を好んでおる訳では……」
呟く伊蔵の手を取りフィアは笑みを浮かべると、ため息を吐き、首を振りながら桔梗を抱き上げ歩き始めた喜三郎と、空を飛ぶベラーナ達を見て頬を上気させた茜丸の後を追い、雪の中を歩き始めた。
■◇■◇■◇■
それから百年が過ぎた。
かつてこの地方に隆盛を誇っていた加納という武家は消え、現在は一度滅亡したと思われていた足立家が周辺を治めている。
その足立の復興には四体の鬼が手を貸したという逸話が伝わっていた。
その四体の鬼の内、二体は今もその土地の山中の里で里人と交流しながら静かに暮らしているらしい。
そんな噂のある里の一画、異国風の家から家人の声が聞こえてくる。
「伊蔵さん、太郎のおしめを変えて下さい」
「うむ……しかし、この子はいつになったら喋るのかのう?」
「そうですねぇ……よく分かりませんが、ミミルに聞いた話ではあと一年ぐらいでしょうか?」
「待ち遠しいのう……ほれ、お父と呼んでみよ」
「あぅ……おか……ちゃ……」
「……喋った」
「……えへへ、お父じゃなくて、おかちゃ、でしたね」
「クッ……なぜ儂より先にフィア殿を……」
「ほら、やっぱり、私、お母さんですから」
アハハと笑う楽し気な声が、その小さな家から漏れ出て水田を渡る風に乗って青い空に溶けた。
最後までお読みいただきありがとう御座いました。
次回作もお読みいただけると嬉しいです。