西の空への風に乗る
神の御体がルマーダの中心、王城跡上空の砂漠で崩れ落ちた後、東側、御使いと呼ばれた者達はフィアと王族が使い魔にした者以外は力を失った。
力の源である神と呼ばれた無数の意識の集合体が、悪魔ヴェルトロに喰われたのたのだからそれも当然だろう。
御使いのその大半を占めた下級の者達は、人間としての自我を取り戻した。
無論、フィア達が使い魔にした者達と同様、神の声を失い精神を病む者も多くいた。
彼らは今後、フィアを始め精神を癒す力を持つ者が治療し、やがて社会に戻る事になるだろう。
また神から自由意志を与えられた位の高い御使い達は、依存度が低かった事で精神の失調は免れた。
そんな中で東側の首都であるコルモドーンに残っていた貴族達は、突然力を失った事で混乱に陥っていた。
筆頭である上級貴族二十名はバルボラの呼び掛けで王都跡に向かい行方不明。
その直後に突然、光る肌を失ったのだ。
彼らはやがてこれが自分達だけではなく、東側全土で起きている事だと報告により気付く。
それに対する対応は人により様々だった。
原因が御体に神を降臨させようとして失敗した事だと憶測を語り、それを推進した上級貴族達を給弾し実権を握ろうとする者。
いち早くコルモドーンを抜けだし、自分の領地へ戻り屋敷に引きこもる者。
他には溜め込んだ私財を馬車に積み、国外へ逃亡を図る者。
変わった所では部下を率い反乱を起こそうとしたり、前線近くの街を占領した西側に接触を図る者もいた。
だが、そんな東側の貴族の行動もどれも不発に終わった。
力を失った貴族達はもはやただの人に過ぎず、力を維持したままの黒魔女に敵う筈も無かったからだ。
融和を推奨していたフィアに王族たちも同調していた事で、犠牲者はほぼいなかったが、貴族達はその殆どが捕らえられ拘束される事となった。
こうして問題は山積みながらも、二つに分かれ争いを続けてきたルマーダという国は、五百数十年ぶりに一つの国に戻る事となった。
暫くは東側はクラウスが代表となり、民から選出された代表の合議制で運営を行う事になった。
ただそれも暫定的であり、いずれは東西関わりなく人が混じり合い暮らしていくようになる筈だ。
その後、西側の王族とクラウス達、東側の話し合いは進み、西側の今後の方針もある程度決まった。
西側も東側に習い、民の代表と王族三人による合議制で運営される事になった。
最終的には西と東を纏め国民全体の声を聞き、国の方向を決める民主導の国にルマーダはなる予定だ。
今後の懸念として力を持つ黒魔女や使い魔となった御使いをどう扱うのかという事があるが、まだ暫くフィアや王族は死ぬ事はないだろうしゆっくり考えていこうという事で、問題は先送りされた。
そんな諸々の事を決め半年程が過ぎた後、季節は秋が通り過ぎ冬、年が明けて暫く経った頃、フィア達は西側の国境近く、森の中にある彼女の家へと戻っていた。
「ふぅ……カラさんのお城の部屋も悪くは無かったですが、やっぱり自分の家は落ち着きますね」
家に戻り、母の墓に報告を済ませたフィアは、軽く掃除を済ませ台所のテーブルに座っていた。
向かいにはそれを手伝った伊蔵が座っている。
「儂はこの家では僅かしか過ごしてはおらぬが、確かに静かで落ち着くの」
「……この家ともお別れですね」
「ぬっ? お別れ? 持って行けばよいのではないか?」
「……でもここにはお母さんも眠ってますし……大地を抉って運ぶのはちょっと……」
「ふむ……では墓参りに年に一、二度戻ればよいか」
「……そうですね」
会話が終わり、伊蔵はガタリと音を立て椅子から立ち上がった。
「……今更じゃが本当に儂でよいのか? この国におればお主なら贅沢な暮らしを送る事も出来るじゃろうに……」
「……その事は散々話し合ったじゃないですか……私はそんな暮らしより、あなたと……伊蔵さんと一緒がいいんです」
「ふむ……しかし、お主と本当の意味で夫婦となるには後、百年はかかりそうじゃの」
「フフッ、きっと百年後は伊蔵さん、私の美貌にメロメロですよ」
「……百年も共に過ごせばそんな感情は湧かぬ様な気もするがの……」
「だから一言多いです……行きましょうか?」
「うむ」
家を出た二人は庭で待っていた面々に目を向ける。
開けた森の草むらに共に戦った者達が集まっていた。
「もういいのか?」
「うむ……所でベラーナ、それにカラ。お主らは本当に儂らについて来るのか?」
「あぁ? そういう約束だろうが。それに外の世界は面白そうだしな」
「平和になって惰眠を貪るのもいいけど、君達といた方が暫くは退屈し無さそうだし……暇になったら帰るとするよ」
「私としてはずっと西で暮らしていただいた方が……」
「モリス、本音が漏れてるよ」
カラの言葉をどこ吹く風と受け流したモリスの横から、赤い髪の巨人が歩み出る。
「伊蔵、故郷のゴタゴタがひと段落ついたら、風呂に入りに来い。お湯を沸かして待ってるからよ」
「うむ、必ず入りにこようぞ……お主も儂らの国が再興したら温泉に浸かりに来い。本場の風呂を案内してやるでな」
「本場か……楽しみにしてるぜ」
「伊蔵、フィアに飽きたらいつでも私が変わるから……」
「ミミル、お主は儂では無く民の中から伴侶を探せ……きっと愛してくれる、お主も愛せる者がいる筈じゃ」
「…………やっぱりフラれちゃった…………分かったわ。探してみる」
光る肌を持つ天使が集団から進み出てフィアの前に膝を突く。
「フィアさん、ホントに行っちゃうんですね……」
「アナベルさん……アガットさんとお幸せに」
「アッ、アグちゃんとはそんなんじゃ!?」
「フフッ、あなたとアガットさんは私の使い魔なんですよ。心は伝わってきます」
「フィア、そういうのはプライバシーの侵害だぜ」
「うっ……ローグさん、あなたもお元気で……」
「おう、フィアも伊蔵と上手くやれよ」
「は……はい……」
照れるフィアに金髪で紫の燐光の瞳の少年は、鼻の下を人差し指で擦って、へへッと笑った。
「伊蔵、魔女になったお前に渡した装備はもう必要無いかもしれないが……壊れたら戻ってこい。もっと改良した奴を渡してやる」
「イーゴ……平和になった事であるしもう武器はこの国にはいらぬと思うが……」
「分かってねぇな。人が生まれてから戦争が完全に無くなった事はねぇんだ。いつか平和が終わってまた戦争になる……そんな時、力を持たない連中が戦う為には武器が必要になるだろ? ……まぁ必要無いのが一番だがよ」
「ふむ……儂も平和な時が続くよう励むとしようぞ」
「平和を守るか……へへッ、あんた、見た目はまるで物語の魔王だけどな」
「ぬっ……見た目の事は言うでない」
眉根を寄せた伊蔵に緑の肌に小さな角、下あごから牙が突き出た魔女は凶悪な見た目とは裏腹に、目を細め優しく笑みを返した。
「……伊蔵、戦いになるのなら我々が加勢してやろうか?」
「いや、儂はもう加納を滅ぼすつもりは無い。フィア殿に倣いなるべく人死を出さず事を治めるつもりじゃ……兵は必要無い」
「そうか……まぁ、貴様とフィア、それにそこの薄ノロと蝙蝠がいれば人の国など、どうとでも料理できよう」
「薄ノロって……」
「俺は蝙蝠じゃねぇ!」
「シーマ……相変わらずじゃのう」
「これは性分だ。恐らく死ぬまで変わる事は無い」
そう言って鼻を鳴らすシーマに伊蔵は苦笑を浮かべた。
最後に桃色の髪とエメラルドの瞳を持つ悪魔、ルマーダが二人の前に歩み出る。
「フィアさん、伊蔵さん……平和な国を取り戻してくれてありがとうございます……これで私の願いもようやく叶いそうです」
「お主の願い……人の中で穏やかに過ごすというやつか?」
「それなんですが……すこし変わりました……フィアさんのおかげで、この体の中で砕けていた第一王子クレドさんの心も集める事が出来ました……私はそろそろ引っ込んでエルーラで色々やろうと思います」
「エルーラ……魔界で?」
「ええ、説得は無理だと諦めていましたが、ヴェルトロに説教したという伊蔵さんの話を聞いて考えを改めました。暴食龍でさえどうにか出来るのなら、他の悪魔も変わる可能性があるかもしれません」
ルマーダはそう言うと穏やかな笑みを浮かべる。
「だから兄上の顔でそんな風に笑うな」
「はぁ……シーマさんには最後まで不評でしたね」
「まぁ、髭面の男だからの……」
「ふぅ……私がクレドさんの体を操っていたのは皆さんの要望なんですが……」
「さて、挨拶はこんな物かの……ではフィア殿、ベラーナ、カラ、行くとしようぞ」
カラの城で他の者たちとの別れは済ましてある。
後は西、海を超えた先にある伊蔵の故郷に向かうだけだ。
伊蔵は風を操り、フィアは炎を吹き出し、ベラーナは翼を広げて宙に浮かんだ。
「はい……皆さんお元気で!」
「アガン、あんま変な風呂作るんじゃねぇぞ」
「……ルキスラに協力してもらって、木や草を植えた自然風呂ってのを考えていたんだが……」
「……なんかそれ、面白そうだな」
「だろう?」
「はいはい、ベラーナさん、それは戻った時の楽しみにしましょう」
最後まで地上に残っていたカラはモリスに声を掛ける。
「モリス、僕の部屋残しといてね」
「…………分かりました」
「何で即答しないんだよ!?」
「行きますよカラさん」
「せめてベッドは残しておいてよ!」
「…………前向きに検討させていただきます」
「それ絶対駄目な奴だろう!!」
ワイワイと声を上げながら一行は空へと上る。
「それでは皆、達者での!!」
伊蔵はそう叫ぶと、理を超えた力に溢れた魔女の国ルマーダを後にし、故郷を目指し西の空への風に乗った。
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