忍び、図らずも魔女となる
フィアから放出された想いを乗せた光は、ルマーダという国の中心から国境の森近くまで降り注いだ。
想いを受け取った人々は困惑しながらもその純粋な気持ちに、ある者は胸を震わせ、ある者は暖かさを覚え、ある者は苦笑し、ある者は嘲笑し鼻で笑い、そしてある者は失った人を想い泣いた。
そして人々は様々な反応を返しながら、心の中に誰かの事を思い浮かべた。
それは封じられながらも、一つに戻る事を願い続けた悪魔も同様だった。
彼はずっと安らぎを求め、他者を喰らい続けて来た。
しかしフィアの心を感じ、その心が向けられた対象を生まれて初めて羨ましいと思った。
自分にもそんな感情を向けて欲しい。
異界の龍は欠片を通して映る黒い髪の男に視線を向ける。
男は少女の気持ちを感じて困惑しながらも笑っていた。
先程飲み込んだ契約の魔法の影響か、それとも桃色の光の所為か、どちらにしてもヴェルトロには男の気持ちが感じ取れた。
男は少女の想いを微笑ましく思ってはいても、それに応えるつもりは全く無いようだ。
恐らく長寿な少女が大人になる前に自分は戦によるものか、それとも天寿を全うしてかは分からないが朽ち果てるだろう。
男はそんな風に考えている様だった。
ヴェルトロはその事に憤りを覚えた。
これほど少女に想われているのに、男はそれに応えようとしない。
自分であればいくらでも彼女の成長を待ち、受け入れるというのに……。
そう自分であれば…………そうだ……ならば自分が男に成り代わればいい。
暴食龍はそう思い、取り込んだ力の全てを自分の欠片を持つ男に向けた。
■◇■◇■◇■
伊蔵の手にした佐神国守はフィアの放った光を受けた瞬間、カタカタと震え始めた。
「ぬっ?」
その震えは凄まじい速さで強さを増していき、伊蔵が何かする前に刃の亀裂から白く輝く爪が伸び腕に突き立てられた。
「グッ……これは……」
「伊蔵さん!? はっ、外れない!?」
フィアが手を伸ばし腕に食い込んだ爪を剥がそうと踏ん張るが、爪は微動だにしなかった。
やがて爪から入り込んだ意識は伊蔵の心に侵入し、彼の意識を侵食していく。
浸食と共に伊蔵に悪魔の心が流れ込む、暴食龍ヴェルトロが求める物、それは唯一つフィアの心だった。
フンッ、お主にフィア殿は勿体ないわ……ふむ……完全に心を喰われれば無理であろうが今すぐであれば……。
悪魔の心を感じ取った伊蔵は、爪と格闘していたフィアを引き剥がし放り投げた。
「いっ、伊蔵さん!?」
「離れておれ!! ヴェルトロは儂を喰おうとしておる!! 最早、こやつもろとも果てるしかない!!」
『駄目、止めてぇ!!!!』
フィアの制止の言葉は間に合わず伊蔵は爆裂を起動、自分の周囲を取り囲む様に障壁を展開した。
送られたイメージで定着印は起動し、フィアがその障壁に駆け寄る前に内部は爆炎と嵐に満たされた。
フィアの魔力によって強化された炎と爆風は、障壁の内部で圧縮され超高温の炎が渦巻き、刃を砕き伊蔵を焼いた。
「嘘? ……嫌ぁ……嫌ぁぁあああ!!!!」
フィアは障壁に顔を寄せ叫びを上げた。
虹色の障壁にポタリと涙が落ちて伝い流れる。
その雫は絶える事無く流れ続けた。
「死んじゃやだぁ……お願い……」
フィアは障壁に手を当て爆炎によって一瞬でバラバラに千切れ飛び、灰となった伊蔵に癒しの魔法を送り続けた。
しかし、如何に癒しの魔法でも、伊蔵が特異な使い魔であっても灰になった彼の体が戻る事は無かった。
「そんな……なんで……嫌だ……おいてかないで…………」
やがて障壁が消え、内部に籠っていた熱と共に灰と刃の欠片が空に流れた。
フィアはそれを風を使いかき集める。
「なんでなんです……他にやりようは幾らでもあったでしょう……どうして……」
両手に持った灰に頬を伝った涙が落ちた。
その涙を吸った灰がほのかに輝きを宿す。
輝きは伝播していき、フィアの手から離れた灰と刃の欠片は混じり合い輝くと、赤い鱗の塊に変わりやがて人の形を成した。
「伊蔵……さん……?」
輝きが治まった時、そこには裸の男が宙に浮かび横たわっていた。
ただ、それはフィアの知る伊蔵では無く、髪は深紅で額の真ん中には白い角が一本長く伸びていた。
フィアは異形の男に近づくと恐る恐る顔を覗き込む。
その顔はフィアの知る伊蔵の物だった。
目を閉じている男にフィアは静かに声を掛ける。
「伊蔵さん……伊蔵さん、起きて下さい……」
少女の呼び掛けで男の瞳がゆっくりと開く。
その目は先程までと違い、銀色に輝いていた。
「…………儂は……生きて……おるのか?」
「あの……本当に伊蔵さんですか?」
「何を言うておる? フィア殿には儂が佐々木伊蔵以外の誰かに見えるのか?」
「いえ……いいえ!!!」
フィアは伊蔵の首に抱き着き笑みを浮かべながら涙を流した。
「良かった!! 本当に良かったです!!」
「ふむ……国守と共に果てるつもりじゃったが……」
フィアの頭を撫でながら伊蔵はその身を起こした。
それに合わせ、フィアは首に抱きついたまま彼を見上げ尋ねる。
「所で伊蔵さん……炎で焼かれた後、何かしました?」
「焼かれた後? ……そう言えば夢の中でヴェルトロを名乗る赤い龍を叩きのめしたのう……」
「叩きのめした……龍を?」
「うむ、フィア殿は自分の物だと言うて襲い掛かって来たのでな。人は誰の物でもないと説教がてら返り討ちにしたのじゃ。そしたら彼奴、せめてお主の側にいさせて欲しいと泣きながら懇願してきてのう……すこし不憫に思うたゆえ、受け入れたのじゃが……やはり不味かったか?」
伊蔵の言葉にフィアは一瞬ポカンと口を開け、その後、少し呆れた様に笑い始めた。
「フフッ……フフフッ……まったくあなたという人は…………コホンッ、あのですねぇ」
「何じゃ?」
「えっとですねぇ……」
「はよう申せ」
「……伊蔵さん、魔女になっちゃったみたいです」
「何……じゃと……?」
風に支えられた伊蔵は身を起こし、フィアの頭を撫でていた右手に目をやる。
その右手は人の物と変わらず、見慣れた自分の右手だった。
「……フィア殿、何も変わっておらぬではないか?」
フィアは笑みを浮かべ自分の額をチョンと指し示す。
「額? ぬっ!? これは角が!?」
「フフッ、長くて強そうですよ」
「ぬッ、さようか……しかし……魔女になれたのは良いが、額にかような物があると人に紛れるのが難儀じゃの……切り落とすか」
「多分、痛いし、またすぐ生えて来ますよ」
「ぬぅ……これでは仕事に支障が出そうじゃ……」
「……魔女になっても相変わらずですねぇ……」
姿形が変わっても、変わらない伊蔵を見上げフィアは泣いて腫れた目を細め、アハハッと笑った。
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