カダンの街へ
スヴェンを捕らえた数日後、伊蔵はベラーナと共に兵器の研究施設があるというカダンの街にいた。
情報ではこの街は神の体の計画を推進しているバルボラの出身地らしく、スヴェンの話ではバルボラの配下が施設の責任者であるそうだ。
その責任者、中導師ロックスが今回のターゲットだ。
そのターゲットがいる街カダンは、赤いレンガ造りの建物が並ぶ何処か陰鬱とした街だった。
通りを歩く人の顔に笑みは無く、日々の暮らしを送るだけで精一杯といった様子だ。
「チッ、しけた街だぜ」
その通りを歩いていた栗色の髪の女が舌打ちと共にそんな言葉を吐き捨てる。
女は東側の女性が身に着ける極一般的な白いシャツと茶色のスカート、足元はブーツ、その上には白いマントといった旅人風の出で立ちで肌の色も赤では無かった。
「ベラーナ、言葉遣いを直せ」
隣を歩いていた金髪の男がその栗色の髪の女に囁く。
彼も女と同じく白いシャツに黒いズボン、マントとブーツという恰好だ。
その背には布で撒かれた棒状の物を背負っている。
「ああん? お前ぇまで婆ぁと同じ事言うのかよ? っていうか、この前見捨てた事、忘れてねぇからな」
「……別に儂はお主の普段の言葉遣いや立ち居振る舞いはどうでもよい。じゃが今は潜入の最中じゃ、そんな事で勘ぐられたくは無いでの」
二人は囁きを交わしながら石畳の通りを歩いていく。
「チッ、わーったよ。貧相な街ね……これでいい?」
「ふむ……喋れるではないか」
「……女言葉で喋るとムズムズするぜ……するわ」
本来であれば伊蔵はアナベルか情報を聞いたスヴェンに運んでもらいたかった。
しかし、話を聞きつけたベラーナがどうしても自分が行くと言って聞かなかったのだ。
彼女はわざわざシャルアの幻の魔法を定着させた変身の指輪まで作り、見た目を人に変えて伊蔵に同行していた。
余程、シャルア達の指導が嫌だったらしい。
「それで、どうすんだ……するの?」
「……そちらの方が余計に不自然じゃの」
「うるせぇよ。大体、お前ぇの喋り方だって大分変ってるぜ」
皮肉げに返したベラーナの言葉で、伊蔵は少し黙り込んだ後、顔をあげる。
「……確かに君の言う通りだね」
「って、普通に喋れんのかよ!?」
「当然だよ。忍びの主な仕事は密偵だよ。普段はあの喋り方の方がしっくりくるだけさ」
「……あっそう……」
「さて、今後の予定だけど、一応、責任者の容姿は聞きだしたが確認はしておきたい。まずはその責任者が出て来るまで待とうか」
そう囁き金髪の男、伊蔵はおもむろに道行く人に声を掛けた。
「すみません。僕等はコルモドーンまでの旅の途中なのですが……」
「首都まで……そりゃ、ご苦労なこった」
声を掛けた男と話す伊蔵の様子は普段とはまるで別人の様で、ベラーナは思わずポカンと口を開けた。
そんなベラーナを肘でつつき注意を促しながら、伊蔵は言葉を紡いでいく。
「ええ、息子が御使いに選ばれましてね、コルモドーンにいるんです。久しぶりに会うもので土産話に道中の珍しい物を見て行こうって妻と話しましてね」
妻という言葉で男の視線がベラーナに向く。
「えっ、ええ、そうなんですの。オホホ……」
伊蔵につつかれたベラーナは慌てて愛想笑いを浮かべながら、声を裏返らせつつ男に言葉を返した。
「ふむ……珍しい物ねぇ……」
「ええ、この街には何かありますか?」
伊蔵が話し掛けた男は少し悩んだ後、首を振った。
「無いね。この街は軍の施設があるだけの街さ。まぁその施設は赤レンガだらけの街で唯一白いから、珍しいといえば珍しいけど……見物するような物じゃないよ」
「軍の施設ですか……あの、一応見てみたいので場所を教えてもらえませんか?」
「ホントにただの施設だよ? ……まぁ見たいってんなら、この道を真っすぐ進んで三つ目の角を左に行けば直ぐ見えるよ。ただ軍の施設だからね。あんまり近づかない方がいいよ」
「そうですか……じゃあ遠目に見るだけにします。ご丁寧にどうもありがとうございました」
伊蔵はニコニコと笑いながら男に丁寧に頭を下げた。
そんな伊蔵に男も笑みを返しながら手を振って去って行く。
「お前、凄ぇな……」
「民に紛れて情報を得る事は忍びの基本だからね。では道も分かった事だし行くとしようか?」
そう言うと伊蔵は妻という設定であるベラーナに微笑みを向けた。
ベラーナはそんな伊蔵に引きつった笑みを返し、彼に続いて通りを歩き始めた。
道を尋ねたのは空から侵入して発見される事を警戒した伊蔵が、街の大分前から陸路に切り替えた為だ。
スヴェンはバルボラ出身地である事やその他諸々の情報は話してくれたが、彼自身、カダンの街に訪れた事は無く地理については不明だったのだ。
その後、男の言葉通り道を進んだ先には。赤いレンガの街で唯一白い大理石で作られた建物がそびえていた。
四階建ての真四角な建物は大きさはカラの城よりも大きかった。
多分、あの中で獅子像ツァース・クラーカは作られたのだろう……いや、今も作られている筈だ。
「なぁ、待つって言っても、こんな道の真ん中でずっと突っ立てるって訳には……」
ベラーナの言葉が示す通り、研究施設の前には警備だろう白魔女が完全武装で立っていた。
旅人風の男女がそんな施設の前でずっと何もせずにいたら警戒されるのは当然だろう。
「分かっている。その為の準備もしてきた……あそこがよさそうだね」
そう言うと伊蔵は通りを引き返し、建物の間の路地へと足を踏み入れた。
路地は薄暗く所々に置かれたゴミ箱からは腐臭が漂っている。
「おい、まさかこんなとこで見張るのかよ?」
「上じゃ」
それだけ言うと伊蔵は跳躍して屋根の上に消えた。
「上ねぇ」
ベラーナも手に小さな翼を生み出し、風を使って屋根に上がる。
屋根はオレンジの瓦が葺かれ、傾斜していた。
その傾斜した屋根の所々に暖炉用の煙突が突き出ている。
「あの煙突の影から見張りたい」
伊蔵は屋根の上でしゃがみながら煙突の一つを指差した。
「なるほどな。確かにあそこからなら、入り口が良く見えるぜ」
「ベラーナ、これを」
伊蔵は腰に下げたポーチから指輪を一つ取り出した。
「姿隠しじゃ。これを使えば見つかる事はまずあるまい。それにお主ならずっと使っていられるじゃろう?」
「まあな……でも、指輪に魔力を供給しながらってのは意外と疲れんだぜ」
「……やはりアナベルかスヴェンに」
「やらねぇとは言ってねぇだろ!?」
ベラーナは慌てて伊蔵から指輪を奪い指に嵌めると二人を覆い隠す様に姿隠しを発動させた。
「ふむ……儂も魔力を感じる事が出来ればこのような手間は……」
「ケケケッ、こればっかりは俺たち魔女の方が上だな」
「今、グレン殿に気の使い方を習っておる。それがつかめればいずれは魔力も……」
「まぁ、今は俺に頼れよな。んじゃ行くぜ」
ベラーナと伊蔵は屋根の上を移動し、姿隠しを発動したまま煙突の影に身を潜めた。
二人は屋根に腹ばいになりながら施設の入り口に視線を送る。
伊蔵もベラーナも三十分程、無言で入り口を監視していたが、やがて何も動きの無い事に耐え兼ねたベラーナが伊蔵に問い掛ける。
「なぁ、詳しく聞いて無かったけど、お前の国ってどんなとこなんだ?」
「ぬっ、なんじゃ急に?」
「だって俺、この国が平和になったらお前について行くんだぜ。どんなとこか先に聞いといても悪くねぇだろ」
「ふむ……儂の故郷は緑が豊かな場所じゃ……こちらは主に麦じゃが、儂らの国では田に水を張り稲を育てる。それで麦に似た米という穀物を得るのじゃよ……稲が育ち緑の葉が風に揺れる様はそれは美しくての……話しておったら米が食いたくなったの」
「ふーん、その米ってのは旨いのか?」
ベラーナの問い掛けに伊蔵は深く頷いた。
「米は麦の様に粉にするのでは無く、そのまま水で焚き上げるのじゃ。噛むほどに甘く、どんな食材とも相性が良い……特に塩を振った焼き魚など最高じゃぞ」
「へぇ……そんなにか……なんか腹減ってきたぜ」
「米は国に戻れば食えるじゃろうが、その前に主家である足立を再興せねばの」
「相手は魔法とか使えねぇんだろ。俺がいりゃ楽勝だぜ」
「フフッ……そうかもしれぬな……ぬっ……彼奴か?」
話していた伊蔵の瞳が細められる。
その視線の先には正面の扉から出て来た白いローブを着た男の姿があった。
金髪で太ったその中年の男は八人の白魔女が持って来た輿の様な物に乗り込んだ。
輿は紫の布が張られた貴族が座る様な椅子に台座が付けられ、その台座からは担ぐ為の棒が伸びている。
男が乗り込んだのを確認した白魔女達は、その棒を持ち輿を担ぎ上げると翼を広げた。
「スヴェンの情報とも一致する、彼奴がロックスで間違いないじゃろう。追うぞベラーナ」
「へいへい」
伊蔵は立ち上がったベラーナの背に乗り、姿隠しを発動したままロックスの後を追った。
中導師だというその男は白魔女達が担いだ輿の上で何やら飲み食いしている様だ。
「チッ、いい御身分だぜ。こっちは伊蔵の話で腹が鳴ってるってのによぉ」
「彼奴も飛べるじゃろうに、怠惰な奴じゃ」
「んで、アイツを追ってどうすんだ?」
「スヴェンの読みでは彼奴が兵器開発で得た技術を用い、神の御体は作られているという事じゃった。捕らえて使い魔にすれば情報が得られるはずじゃ」
「あの研究施設はどうすんだ?」
「潰したいが儂ら二人ではのう……」
言い淀む伊蔵にベラーナが笑みを向ける。
「いっその事、フィアも連れてくりゃ良かったんじゃねぇか?」
「フィア殿の魔法は強力過ぎる。街で使えば死ぬ者も出るやもしれん」
「出来るだけ人は殺さねぇか……アイツの言う事は分からねぇでもねぇが、骨が折れるぜ」
「まぁの。じゃがその骨折りの価値はあると儂は思うぞ」
「……かもな」
力を持った為政者の犠牲になるのは、いつも搾取される民たちだ。
かつては自分もその民の一人だったベラーナも、使い魔になった今は伊蔵の言う価値が分かる様な気がした。
「殺すのは一瞬で、もう戻って来ねぇもんな……」
「そうじゃな」
伊蔵は笑みを浮かべると、ポンポンとベラーナの頭を掌で叩いた。
その笑みは先程、街で男に向けた物とは違いとても自然で穏やかな物だった。
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