88部:林佐渡守秀貞
五条川を越えて清州城に向かう。清州の城下町に近づいた奇妙丸一行。弘治元年(1555)年に清州城を手に入れた信長の政策により、清州はかつての繁栄を取り戻し、賑わいをみせている。
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入城した後は、三百人は城下に分宿する。また、元の生家が近いものは自分の家に戻って休息することになる。
清州城の大手門では織田家の宿老・林佐渡守秀貞が待っていた。秀貞の一族には婿養子の林通政(奇妙丸の槍術の師でもある。武功から槍林と呼ばれている)、長男の光時、次男の光之、三男の伝介勝吉(のちに一吉)が居るが、通政と光時兄弟の三人は伊勢に出陣している為、末弟(三男)の伝介勝吉が秀貞に従い清州に居た。
「奇妙丸殿、よくぞ尾張に戻られました」とお辞儀をする秀貞。
白眉が長く、一度見れば忘れる事のない風貌の老人だった。奇妙丸の祖父・織田信秀の下で平手政秀と共に双璧と呼ばれた武将なだけあり、老齢にも関わらず背筋が伸びている。若い頃からの鍛錬の結果なのだろう。
「那古屋城からお越し下さったのですね」
奇妙丸も織田家の重鎮である秀貞が、父から那古屋城を譲られたことを知っている。それに、信長が東美濃や西三河に近い小牧山城に本拠を移してからは、清州城も秀貞が管理していた。
「清州の城代を長きにわたり務めておりました故、やっと肩の荷が下りた気分で御座る」
「長期のご番役ご苦労様でした。この奇妙丸、確かに引き継ぎました」
お辞儀をしようとした瞬間、
「待たれよ!」と怒声が響く。待ち受け方に居た、林家一門の勝吉が異議を唱える。
「清州城は那古屋城と共に、我々、林家が死守してきた城です」勝吉が一歩前に出る。
「いくら信長様の命とはいえ、すんなりと奇妙丸様に御渡しするわけには参らぬ!」
場が凍りついた。
「何を言い出すのだ!林の!」と於勝が刀を引き抜く。
「きゃあ!」と冬姫の侍女たちが驚いた声を上げる。
「面倒な事を申される」と於八が一歩前に出る。
「林殿、信長様の耳に入れば、ただ事では済まぬぞ」三吉も続けた。両者の睨み合いが始まったが、秀貞は顎鬚を触って様子を見ている。
「森の若僧か、刀を抜いたな!」と勝吉。林家と森家は弘治二年(1566)に「稲生の合戦」で矛を交わした因縁がある。
勝吉の隣にいた侍も前に出る。
「私は山内家の猪右衛門(のち一豊)。戦もなく城を譲るのは武門の恥で御座る」と林勝吉を応援する声を上げる。清洲城の詰め衆達も「そうだ!そうだ!」とヤジを飛ばすものが現れた。両陣営の間にピリピリとした緊張感が走る。
奇妙丸が自分の傍衆と、林家の侍衆と於勝の間に割って入り刀を収めるように於勝に命じる。
「ケジメが付かないとあれば、ケジメを付けるしかあるまい。どうしたいのだ?」と林家の言い分を聞いてみようと思う奇妙丸。
勝吉が条件を返す。
「私と馬上槍試合をして、勝った方が本丸斯波御殿を、負けた方が二ノ丸織田御殿を使用する事に致しましょう」と林家にはその権利があると主張する勝吉。
本丸御殿は尾張守護斯波氏が長く本拠を置いた場所である。二ノ丸は織田大和守家が本拠を置いた下尾張の行政府である。昔から特殊な二頭政治が行われていたのが清州城だ。
勝負がついたとしても林家は清洲に居座るつもりのようだ。
「いや、私が勝ったら林家には清州城から手を引いてもらう」と奇妙丸は宣言した。再び二頭体制を敷くのは奇妙丸の本意ではないし、後見人を気取る林家にいいように操られるのは御免だ。
秀貞が髭を握りながら言う。
「では、奇妙丸殿が負けた場合は清州城に我々が入り、奇妙丸殿には那古屋城に行ってもらいますぞ」と条件をかぶせる。
「致し方あるまい」条件を呑んだ奇妙丸。信長の「清洲城主に任じる」という命には奇妙丸でも背くことはできない。これは奇妙丸にとっても背水の陣であることを意味する。負けるわけにはいかないと覚悟する奇妙丸。
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