87部:大鹿毛(おおかげ)
埴原の屋敷に戻ると、左京亮が渡したいものがあるといって、奇妙丸達に庭先で待つように言い。しばらくして、裏の厩舎から立派な黒毛の馬を曳いてきた。骨格が逞しく通常の馬よりも一回り大きい。
「この馬を献上しましょう」
「なんと見事な馬だ!」
「信濃埴原牧で長年育んできた馬と尾張産の馬の夫婦から生まれた最高傑作で御座る。名を“大鹿毛“!」
「忝い」
「私が出来る事はこれくらいです」と言って左京亮が手綱を奇妙丸に渡した。
「ありがとうございます。大切にします」奇妙丸は生涯の愛馬を得た心地だ。この名馬に乗り戦場を疾駆する自分を思い浮かべる。
「大鹿毛か、仲よくしような!」と精悍な顔付の駿馬を撫でる奇妙丸。
於勝や、於八も我先に大鹿毛に触ろうとする。
奇妙丸の満足気な表情を見て、左京亮も心が静まってゆく。
「今、山城国に村井貞勝殿の一門で、私と同じような境遇の村井帯刀信正という者が居るのですが、どうか彼の勝負を受けてやって下さい」
この展開は、と先読みした奇妙丸。
「まさか、もう一人兄上が?」と問い返す。
「信長様ですから」ハッハッハッと笑う左京亮。
衝撃の事実に言葉を失う一同だった。
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埴原屋敷を後にして清州に向かう一行。大鹿毛に跨りその乗り心地を確かめる奇妙丸。
「立派なお馬さんですね(兄上様ととてもよく似合う馬です)」冬姫が籠から見上げながら奇妙丸に話しかける。
「うん、驚いたよ。よく従ってくれるし、とても利口だ」
「私も乗りたいです」
「いいぞ、後ろに乗せあげよう」
籠から降りて横に来た冬姫が両手を差し出す。奇妙丸が手を引き、大鹿毛に乗る冬姫。於八と於勝は、冬姫が乗り移るのに失敗しないように両脇から補助をする。二人とも冬姫が落馬しないようにと真剣だ。
冬姫は大鹿毛の上でこの旅で一番の笑顔を見せている。
(冬姫様の笑顔はやっぱりいいなあ~)と眩しげに見る於八と於勝。
「それにしても、なんて日だろう。兄上が二人も居るとは」奇妙丸はまだ兄との衝撃的な出会いの余韻から覚めていない。
(せっかく一緒に馬に乗っているのに他の事を考えて)とは思うが、一緒に居るだけで満足なので気を取り直す冬姫。しかし、更に兄が二人いるという事実に冬姫も困惑気味である。
「私の兄上は、やはり兄上様を置いて他にありませぬ!」
「え(茶筅と三七は?)」と思わずツッコミを入れたくなる奇妙丸。
「私にとって兄上様は唯一です」
「有難う、俺も冬姫は大切な妹だよ」
「私が一番ですか?」
「ああ、一番だとも」
頬を赤くして嬉しそうな冬姫だった。
桜は、笑顔が増え楽しそうな冬姫を見て、この旅に冬姫が同行できて良かったと思うのだった。
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