78部:一宮城
九郎丸が欄干から眺めていた尾張と美濃を結ぶ街道。
この街道はかつて斎藤道三が信長との正徳寺での会見の為に行き来したという。
美濃国府のあった加納から川手(*1)にかけては、鎌倉時代以来の名家美濃源氏の土岐氏の御膝元である。新たな統治者・信長の政策により市井は旧来の賑わいを取り戻している。
木曽川を渡り、尾張の黒田城に向かう。河原や土手には九輪草や笹ゆりにスイレンも綺麗に咲いている。
黒田城は岩倉織田家の家老・山内盛豊が城主だったが、岩倉織田家が信長に対抗したため山内家も没落した。現在は、息子の山内一豊が坂井政尚と木下秀吉の旗下、但馬への遠征軍に従っている。
山内家の領地は、信長に協力した犬山城主・織田信清の弟・広良が城主となったが、永禄五年(1562)に斎藤氏との美濃十四条合戦で戦死したため、長らく城主不在となっていた。
永禄八年(1565)に畿内で将軍・義輝が三好三人衆に討たれ、甲賀武士の和田惟政が、大和興福寺に出家している一乗院覚慶(義輝の弟、のちの足利義昭)を保護し、南近江の領地に匿った。しかし、三好家の追討軍の圧力により、近江守護・六角家が造反したことから、和田氏は近江甲賀の領地を失ってしまった。覚慶と共に一族放浪していたところを、美濃攻略中(先を見据え上洛を考えていた)の信長に迎えられ、欠失地の黒田城を与えられたのだった。
そして黒田城は、惟政の弟・和田新介定利が城主となった。足利義昭の信任が厚い惟政は、摂津三守護に任命され、高槻城を本拠地としている。六角氏の滅亡後には、多くの甲賀武士が和田氏に従い、摂津国に移住した。
それ故か、今の黒田城の城下町は摂津高槻城に武家衆が出払っているため、人気の少ない静かな町となっている。
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奇妙丸一行は、黒田城下を通過し、更に南方の一宮城にて休息を取る事となった。一宮は尾張一ノ宮神社の真清田神社があるため、古くから門前町として栄える。尾張一宮は大伴家の祖・天ノ火明を祭神としている。
大和三輪氏を先祖とする神官の真神田氏が佐野城を拠点に近隣を支配していたが、北西で国境を接する苅安賀城の浅井氏当主の政澄と長く領地争いをしていた。浅井氏は近江湖北に割拠する戦国大名・浅井氏の分流である。
織田信長の尾張統一により、信長に従わなかった真神田氏は没落し、佐野城の役割は終わった。信長に従った真神田氏の分流・関氏は武家として一宮城を拠点に信長へ出仕し、一宮神職は更に分家の佐分氏が担う事となった。
一宮城から南西には、かつて斎藤道三と信長が会見した正徳寺がある。広大な寺域を持ち、その寺内町では月に6回の市が開催されるほど繁栄していた。この一宮神社と正徳寺の町を中心に一宮城界隈は大変栄えていた。
現在の一宮城関氏の当主は、関十郎右衛門成重という。今は南伊勢の北畠氏が木造城を包囲しているため、この地域の御番役・瀧川一益の指揮の下、木造城の後詰救援に出陣している。
嫡男の小十郎右衛門成政は奇妙丸よりも三才程年長の17歳である。小十郎の祖父・関綱長は土岐家に出仕し、綱長の代に美濃の関城城主となるが、のち美濃守護・土岐頼芸と対立した斎藤道三の弟・長井道利により関城を奪われ、頼芸の尾張落ちに従って移住していた。
特に小十郎の父・成重は、美濃時代から近隣にいた豪族の森可成と交流があり、関家と森家とは土岐家の下で美濃侍として繋がりがあったのだ。
奇妙丸一行三百人は事前に宿泊を申し込んでいた関家に迎えられた。供回りの百人程は一宮城に入城するが、あとの二百人は城下に分宿する。一宮城下町は、岐阜と清州の中継地点で、宿屋(旅籠に木賃屋)や飲食店のほか馬借に車借、それに土産屋も多数あり、町は賑わいをみせている。
宿に向かう池田姉妹は、居酒屋が並ぶ町筋で色っぽく化粧をして着飾った女性とすれ違った。
於仙はその人相になんとなく見覚えがあり、両目の下の泣きぼくろをみて確信し、彼女に声を掛けた。
「於妙ちゃんじゃない?どうしてこんなところに?」
於久も摂津国の池田村で幼いころ遊んだ記憶がある。どこか幼い頃の面影がある。なぜ、幼馴染が尾張国まで来ているのか不思議に思う。
声を掛けられ二人に気付いた娘だったが、池田姉妹から逃げるように店の中へと隠れてしまった。
「気になります」と於久。
「なぜ逃げてしまうのかしら?」訝しがる於仙。
池田姉妹を宿まで送っていた三吉も、ガラの悪い連中が表で屯する店の外構えの雰囲気と相まってその女性のことが気になった。
(後であのお店に潜入してみるか)
二人を送った後で奇妙丸に潜入許可を得ようと決めた三吉だった。
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一宮城内。
「あいにく父上達は出陣中で、行き届きませぬがお許しください」慇懃に礼をする小十郎右衛門成政。
小十郎の名のごとく体つきは小柄だが、武人らしく筋肉質で、精兵といった雰囲気をもつ。
「森殿、森殿の姉上・於高様にはいつもお世話になっております」尾張でも領地の隣接する森家に気遣う小十郎である。
「清州に到着して暇が出来れば一度、姉上の所にも行こうと思ってました」と於勝。
於勝の姉・於高姫は尾張に残っている森家の領地を、父に代わり治めている。可成は武功によって美濃の兼山城を与えられていたので、尾張は長女に任せてあるのだ。
その執政の見事さから、信長も於高姫を評価している。於高の婿はよほどの器量が必要だと褒めそやしている程だ。
「若、どうぞごゆっくり御寛ぎ下さい」と改めて礼を尽くす小十郎。
そこへ三吉が戻ってきた。
「若、一宮城下の賑わいは見事です。少し見て回る時間を頂いてよろしいでしょうか」と三吉が奇妙丸の許可を求める。
「では、皆で行ってくると良い」と奇妙丸は快諾する。そして奇妙丸自身は、冬姫たち女子衆の様子も気になるため、小十郎の案内のもと居館と城内を見て回る事にした。
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(*1)革手とも。土岐氏の守護所として本城が川手にあり、支城として加納城が築城された。




