76部:遠山御坊丸、出立
岐阜城山麓、奥御殿。
生駒三吉が現れた。
「三吉、本丸留守居代行ご苦労だったな。なんだか痩せたんじゃないか?」奇妙丸が三吉の顔を心配そうに覗き込む。
「少し、睡眠不足でして」
「今度は私が代わりに代行を務めるから、業務の引き継ぎがあれば後で教えてくれ」三吉とは対照的に、九郎丸は日に焼けて健康的だ。
「わかった」九郎丸が差し出した拳に、拳を合わせる三吉。これが信長小姓衆でのやり取りの習慣なのだ。
「若、今度は私が清州に御供するのですね」奇妙丸を振り返る三吉。
「ああ、宜しく頼むぞ」
「承知しました。若!」今度は自分の番だと、また気負う三吉である。
九郎丸も三吉を心配して、三吉の肩を掴んで言った。
「旅は楽しまなきゃ損だぞ。せっかくの旅なんだから、於勝みたいに気楽にいけよ」
ウンウンと頷く奇妙丸。
ははははっと困り顔になる三吉だった。
そこへ、岐阜城外廓の番役として岐阜に来ていた川尻兄弟が現れた。
奇妙丸は予当番が終わったら二人で部屋に来るように申し付けていた。
信長からの指名で、御坊丸の帰路は、岐阜城に詰めていた川尻吉治と与四郎兄弟が手勢百名を引き連れ岩村まで送る事となったのだ。
奇妙丸の部屋に合い席したので、川尻兄弟と池田に生駒が互いに軽く自己紹介を済ませた。それから奇妙丸に向き直る川尻兄弟。代表して兄の川尻吉治が口を開いた。
「若、過日は勝山猿掛城にお越し下さり有難うございました」
「うむ、色々あったな。与四郎は、吉治殿とはうまくいっているのか?」奇妙丸は、川尻吉治をちらっと見てから弟の与四郎に聞く。
「兄も平時は川尻屋敷で暮し、川尻屋敷から本丸まで登城しておられます。若のおかげで兄弟の距離が近くなりました」
「恥ずかしながら」と吉治が頭を掻きながら照れている。
「兄弟、仲が良い事はすばらしい事だ」自分の言葉にウンと頷く奇妙丸。
奇妙丸は、飯羽間の遠山兄弟の事を言うか言わぬか迷った顔をしたが、やはり心配なので川尻兄弟に相談する。
「飯羽間城の遠山三兄弟も気に懸けてやってくれ。長兄の景信殿の性格が心配なのだ。御坊丸にも因縁を付けるやもしれぬ」
「飯羽間周辺は特に警戒を怠りませぬ」
「うむ。では明日の朝、御坊丸の事を頼んだぞ」
「承知しました、若!」兄弟が唱和して退出していった。
「若、それでは我々も準備を致しまする」と三吉と九郎丸。
「うむ、よろしく頼むな」と奇妙丸は二人を見送った。それから、松姫に対して早速手紙をしたためる事にした。
*****
翌朝、岐阜御殿城門前。
信長家族に、御坊丸に関わった森、梶原、池田、生駒達も総出で城門前に詰めかけていた。
奇妙丸は護衛の為に鎧武者姿になっている川尻吉治の元へと駆け寄る。
「吉治、よろしく頼んだぞ」松姫への手紙が入った漆塗りの箱を吉治に託す。
「この川尻吉治が必ずや、松姫様にお届けいたします」吉治が安心して任せて下さいと大事に漆箱を風呂敷にしまい、腰に括り付ける。
昨夜、奇妙丸から相談を受けた信長が奇妙丸に則す。
「奇妙丸、お主から吉治に渡してやれ」信長の言葉を聞いて仙千代が奇妙丸に歩み寄り、紙包みを手渡す。
奇妙丸が信長に頷き、吉治の方に振り返った。
「吉治、これは織田家領内を押し渡る際の通行手形だ」紙包みを吉治に手渡すと、吉治は慌てたように紙包みを開く。そして、紙を懐にしまい、中に入った布を拡げる。
「これは、黒幌!」
「そうだ、吉治はこの奇妙丸専属の黒幌衆ということだ。これを身に着けて、織田と武田の架け橋をしてほしい。松姫様との使者を専属で勤めて貰いたいのだ」奇妙丸が手を差し伸ばし、吉治の手を取って握手する。
「なんと栄誉な事。武士の冥加に尽きまする」黒幌を胸に愛おしそうに抱き畏まる吉治。
「織田家の名誉ある黒幌衆の一人として、恥ずかしくない武士道を貫きまする」決意の吉治をみて、与四郎も嬉しそうだ。川尻家の面々も誇り高い顔つきになる。
「吉治、松姫様への手紙、任せたぞ。松姫様の事も、私に使えるように大切に接してくれ」
「必ずや、この命に替えてもお二人をお守りいたしまする」
「うむ、有難う」と奇妙丸。信長も満足気だ。
信長が優しい顔をして御坊丸に近づく。
「道中気をつけてゆくのだぞ」御坊丸の頭を撫でる。奇蝶、冬姫、茶筅丸も、その光景を微笑んで見守っている。
「はい、父上様!皆々(みなみな)様もお達者で」
御坊丸が涙ぐんでいる。奇妙丸も涙を目に溜めている、茶筅丸もそれを見てもらい泣きしそうになった。
「ゆけ、御坊丸!」信長が命じた。
「はっ!」御坊丸と川尻隊の面々が一斉にお辞儀をする。
川尻隊の分隊長が御坊丸の馬を曳き、その馬に御坊丸を乗せる。吉治は、与四郎に黒幌の装着を手伝ってもらう。準備が出来た吉治が馬上から一行を見回す。
「出ぱぁーつ!」
「景任殿、於艶様によろしくなー」
「はい!兄上ーー」
川尻隊に守られて、御坊丸は旅立っていった。
門の影で御坊丸を見送る桜は、熊若との約束を守れた気がして嬉しかった。
一行を見送る者は皆、この先、御坊丸の道が開けていくことを神様に願っていた。
*****
濃御殿、〈奇蝶の間〉。
御坊丸を見送った後、奇蝶の部屋でくつろいでいる信長。
「そうだ、岡崎の五徳姫はどうだった?」思い出したように、信長は奇蝶に尋ねる。
「仲睦まじくお過ごしですよ」
「そうかそうか、心配はなさそうだな」
「ただ、滞在中に築山御前とは一度もお会いする事が出来ませんでした」奇蝶は、残念そうにため息を漏らす。
「確か、今川の重臣・関口家の娘か。関口一族の者も儂が田楽狭間で討ったからの」
「体調が宜しくないとかで、城外の庵で安静にしておられるとのことでした。家康殿の御家臣方でも見舞いは遠慮されたいと」
「ふぅむ」手で髭を触りながら、奇蝶の膝枕の上で考え事をする信長だった。
第13話 完
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