74部:冬姫と奇蝶御前
岐阜城・金華山山麓の濃御殿〈冬姫の間〉
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「兄上様、お帰りなさいませ。恵那山はどうでしたか?」
「道中色々あったけど、とてもいい景色だった。良い旅をさせて貰ったよ。私の代役を有難う」
いえいえと、かぶりをふる冬姫。
それよりも冬姫は、侍女の池田姉妹から聞いていた、奇妙丸が旅に出た目的を果たす事が出来たのだろうかと、その結果が気になる。
「それで、松姫様への贈り物は決まったのですか?」心配げな表情で奇妙丸を見る。
「うむ。思わぬところで松姫様ご本人とお会いすることができたのだ」と嬉しそうに答える奇妙丸。
「え? 松姫様と?」どうして出会えたのか理解できないといった表情。
「最初は緊張して何も話せなかったよ」
「それから、どのような経緯でお話ができたのですか?」松姫に興味の湧く冬姫。
「うん、その、色々だな」奇妙丸は少し照れたような顔をした。
「松姫様はどのようなお方でしたか?」
「うーん、一言では表現し難いなあ」と松姫を思い出して遠くを見ている奇妙丸。
「そうですか」
奇妙丸が、自分からより遠い人となったような気がする冬姫だった。
「兄上様、あとで部屋に桜を呼んでも良いですか?」
「構わないが、旅で疲れているだろうから、あまり無理させないようにな」
「はい。一緒にお風呂に入って、桜を癒してあげます」
そう言って話題を変えた冬姫だった。
*****
しばらくして冬姫の間に桜が招かれた。冬姫は早速、桜をお風呂へと誘う。
桜が体の疲れを癒やせるように、お湯を沸かして待っていたのだった。
屋内の湯船はヒノキで作られた、良い香りのするお風呂だ。二人なら体を伸ばしても十分に浸かれるほどの広さがある。湯に浸かりながら体を伸ばし、ふうっと息を吐く桜。
「有難うございます。冬姫様」
「桜と兄上様達が無事に帰ってきてくれて、私はほっとしました」
「皆様、大活躍でしたよ」
「何か色々と事件があったということですね」
「はい、話せば長くなりますが、盛りだくさんです」
冬姫が、迷った様な顔を一瞬したが、心を決めたように桜の目を見つめた。
「ところで、松姫様は、どのようなお方でしたか?」
「とても元気で可愛らしい方でした。自分に素直で、竹を割ったような性格です」
「桜は松姫を気に入ったのね」何故か嫉妬を覚える冬姫。
冬姫の表情に戸惑った桜は、冬姫を喜ばせようと思い、
「勝蔵達は、冬姫様の方が優しくて綺麗で守りたいとこぼしていましたよ」
「兄上様はどうなのかしら・・」小さな声で呟き、お湯の表面をかき混ぜる冬姫。
パシャという水音で、桜は冬姫の言葉を聞き取れなかったのでそのまま話を続ける。
「松姫様にも、奇妙丸様の事を判っていただけたようです」
「兄上様が帰ってきたというのに、なんだか寂しいですね」
桜は、冬姫が松姫に兄を獲られてしまう感じがしているのだろうと思った。
「松姫様は遠い所にいますから、一人で寂しいかもしれません」
「そうね」自分に置き換えて、松姫の心情も判ってしまう優しい冬姫だった。
「桜、今日は私の部屋で一緒に寝ませんか?」
「姫様が宜しければ」
「疲れていると思うけど、旅のお話しを聞かせて下さい」
「大丈夫ですよ。お話しいたします」
自分には沢山の兄が居るので寂しくなる気持ちは判らないが、冬姫にとって奇妙丸は大切な兄なのだと思う。少しでも冬姫の気持ちも癒せれば良いなと気遣う桜だった。
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冬姫と会った後、母・奇蝶のところへ挨拶に行った奇妙丸。
「母上様、お元気そうで何よりです」
「有難う。奇妙丸は日に焼けて、なんだか逞しくなったような気がしますよ」
奇妙丸の顔付きが少し引き締まって、より信長に似てきた思う奇蝶。
「母上様、尾張はどうでしたか」
「尾張は作物が成長して田畑がとても綺麗でしたよ」
「植物の成長を見ると、心が元気になりますよね」
「ほんに、有り難い事です」
奇妙丸が、奇蝶に御坊丸の事を切り出そうと、改まって姿勢を正す。
「母上様、実は、母上様に会って頂きたい少年がいるのですが」
「少年?まさか、信長様の隠し子とかではないですよね?」
奇妙丸には、奇蝶が一瞬“般若”のような殺気の漂う形相になったような気がした。
「ち、違います! 武田義信様の御嫡男で御坊丸という少年です!」
「あら、そうなの?」といつもの表情の奇蝶御前。
「武田家から追われる身の上ですので、我が織田家で匿っていきたいのです」
畳みに額を当てるほど深く頭を下げ、奇蝶にお願いする奇妙丸。
「母上にお願い致します。御坊丸の生きる場所を作ってあげて下さい」
奇蝶はしばし、奇妙丸の背中を見つめた。旅を通して心も体も、一回りも二回りも大きく成長したように思える。
「わかりました」奇蝶の声はいつもの優しい母の声だ。「私のところへ御坊丸を呼んでくれませんか?」
「会って頂けますか?」
「もちろんですとも。そのような哀れな境遇、御坊丸の気持ちは私にもよく判ります」表情も実に温和だ。
「母上様、この奇妙丸、母上様が大好きです」
「ホホホホ、嬉しい事を言ってくれるわね。母も奇妙丸が大好きですよ」
「では、呼んで参ります!」奇妙丸は奇蝶に深くお辞儀をし、部屋をあとにした。
(奇妙丸は、心優しい子ですね)奇蝶は、奇妙丸の成長ぶりに大満足だった。
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