63部:熊若
中仙道を西に向かい辻和泉守の命で、二人一組で行動する十人衆。その先遣隊が、恵那山中にさしかかっていた。
「あの御使一行の中に、五歳程の子供がいるが、あやしくないか」
「ふーむ、年の頃は御坊丸様と同じだな」
「やはり、山の中を子供が歩いているのは不自然だ」
「追ってみるか。佐吉、お主は辻様にご連絡を」
しばらくして、佐吉が辻和泉守と十人衆を連れて現れる。
辻和泉守も目標を確認する。
「佐吉、藤蔵、お主達二人は連中の足止めをしろ。我らは、あの子供を誘拐する」
辻和泉守は二手に分かれた。一方が道の上手から、もう一方が下手から一行を挟みこんで撹乱させ、御坊丸の疑いがある幼い少年を誘拐する手筈だ。
山道の上手に現れたのは、透波の佐吉と藤蔵の二人である。
突然の山人の出現に、桜は警戒する。同じく老人も、見知らぬ男達の異様な気配を察知した。
十人衆の二人は、一行を足止めするのが彼らの任務だ。すれ違い様に一行を観察する。因縁をつけるのは何でも良いのだが、桜を見て「あっ」と思わず声をあげたのは佐吉だった。
「そこの女子、お主、甲賀で会った事があるな。伴ノ里で見たぞ!」
佐吉は甲賀惣中に居た桜の顔を覚えていた。
「人違いではありませぬか?」
桜は何のことやらと堂々としている。
「いや、確かにそうだ、皆甲賀の者か?」
「貴様らは何者なのだ?」と逆に聞き返した勘九郎。
山道の下手から現れた辻和泉守達も、勘九郎一行に追いつき、逃げられぬように周りを囲む。
「教えぬならば、体に聞くまでよ!」と人数が揃い強気になった佐吉が、桜に切りかかるのを、勘九郎が受けて立つ。
互いに手持ちの杖や小太刀を身構える。辻和泉守が坊丸を攫おうと攻撃を仕掛けるが、老人と桜が素早く反応し坊丸を庇う。
刀は抜いていないが、的確に辻たちの攻撃をかわし反撃する勘九郎達。
「お主達、只者ではないな」予想以上の手練れの一行にたじろぐ十人衆。辻和泉守はこれは一筋縄ではいかないと判断した。「忍びは引き際が肝心」を心得とする辻。
「退け!」
四方に飛び散るように退く十人衆に、老人は素早く反応し、最後尾の透波に向けて仕込み杖を投げつけた。
「ギャッ!」という声とともに笹の草むらに落ちる忍び。
討たれた者は、先程、桜に声を掛けてきた佐吉だった。
「坊丸、大丈夫か?」
「爺から狩りの技を教わっているから大丈夫だ!熊でも怖くないぞ」
「えらいの、たいした胆力だ」と坊丸の頭を撫でる勘九郎。
「はっはっは、自慢の孫ですじゃ」何事も無かったように、老人は笑った。
笹を分け、桜が遺体を確認する。
「この男、こやつらは甲賀黒川衆の者かもしれません」
池田正九郎が近江の情勢に詳しいので反応する。
「黒川衆は六角義賢を守っていると聞いたが、なぜ東美濃に」
桜が同じ忍びとして、甲賀の忍びの内情にも通じている。
「甲州の女忍者の頭領は、甲賀の望月家出身と聞きます。甲州に逃げた者もおるのではないでしょうか」
「なるほど。その縁で六角氏は甲州と繋がっているようだな」桜の情報に勘九郎も納得した。
「甲賀衆は五十三家が乱立し、そのうち有力な二十一家がそれぞれを率いておりますが、六角氏の滅亡により各家は次の仕官先を見定めようとしているところです。私達は伴ノ衆でも、特に六角に縁のないものでしたから、他の一族の様な義理立てをせずに奇妙丸様に御仕え出来たわけです。ただそれを裏切りと感じる甲賀衆もいる事でしょう。特に六角義賢(佐々木入道承禎)を守っている黒川衆の織田への恨みは相当なものかと」桜が伴ノ衆と黒川衆との関係を分析した。
「しかし、我々一行が狙われたのではなさそうだった」と先ほどの状況を振り返る男平八。
五人が、老人と少年を交互に見比べた。
「ご老人、お話を伺ってもよろしいか」勘九郎が切り出した。
老人が仕込杖を地面に置き控える。
「私は、飯富兵部虎昌に仕えた熊若と申します透波で御座います」とお辞儀をする。
透波の中でも伝説の人物といわれる“熊若”が目の前の老人と知り驚く一行。
「それに、なんとあの有名な甲州の赤備えの飯富殿」と最強に詳しい勝蔵が反応した。
「飯富様は武田家御嫡男・義信様の守役でした。駿河今川攻めに反対された義信様との関係で、守役・虎昌様は謀反の疑いを掛けられ、信玄の密命を受けた弟の飯富(山県)昌景殿により討たれました」
「そうだったのか、弟殿に斬られたのか」と勝蔵。
熊若が続ける。
「私は、飯富様が亡くなられる直前に、託された任務があるのです」
「託された任務とは?」
「義信様の馬廻衆八十騎に飯富様の赤備え三百騎の内には、義信様が亡くなられたとはいえ、義信様の息子を擁立し信玄を倒そうとしている連中がいました。彼らの為にも御坊丸様を信玄から守る事です」
「義信殿の息子!?」四人が反応する。
「義信様が幽閉される前に、私は御坊丸様を連れて国外へ逃げました」
「この子が武田の跡継ぎ?」桜が聞く。
「今、武田に戻れば間違いなく武田信玄に殺害されまする」
勘九郎が坊丸を見つめる。坊丸は不安そうな顔で熊若の袖を掴む。
「なんと不憫な。匿ってやりたいのう」
坊丸は、祖父と信じきっていた老人からいきなり様付けで呼ばれたことに戸惑いを隠せない。自分は一体何者なのだろうか、と衝撃を受けていた。
*****




