56部:飯羽間(いいばま)城主・遠山友勝
父・織田信長の命じた武田松姫との婚約を成し遂げるべく東美濃に進む奇妙丸一行(織田勘九郎信忠)。旅の供は森於勝(森勝蔵)、梶原於八(男平八)、池田九郎丸(正九郎)、女忍者・伴ノ桜です。森家の兼山城を出て遠山氏の領内へとやって来ます。
森家の兼山城を出た勘九郎一行。恵那山へ向けて旅は続く。
五人が進むこの一帯は、美濃の名門・遠山家が鎌倉時代から支配している。遠山家は、かつて美濃源氏の土岐家と互角以上の勢力を誇った東美濃の豪族である藤原利仁流 加藤氏の系譜に当たる。平安朝期には源ノ頼義・義家親子の傍衆として奥州藤原氏征伐にも参加していた、五百年以上続く古い家系である。
現在は東美濃に一族が割拠し、遠山七家(またの名を七遠山・遠山七頭ともいう)の岩村遠山、明知遠山、苗木遠山、明照遠山、飯羽間いいばま遠山、串原遠山、安木遠山を中心に各地に割拠する分家が集合離散を繰り返していた。
また、七家一族の中でも特に有力であった岩村、明知、苗木の三家を遠山三人衆と呼ぶ。
遠山三人衆のうち、恵那山麓の岩村遠山氏は尾張国を統一し、美濃国へ侵攻した織田弾正忠家とは古くから縁戚関係を結んでおり、近隣の勢力からも無視できない存在となっていた。
織田弾正忠家は他の東美濃豪族とも政略婚を重ね、各家との入籍の際にはその付家老として東美濃の諸氏の陪臣が多く織田家の家臣として加わり、織田の譜代衆も他家への付家老として美濃に赴き、相互の家臣団が非常に近しい間柄となっているのである。そのような同族意識の繋がりの中で同盟関係が保たれていたのだった。
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勘九郎(奇妙丸)が、飯羽間城下町を見渡す。遠山家が長く育んできた城下町であり、風情のある街並みだ。
「飯羽間城は遠山七頭の飯羽間遠山氏が、鎌倉時代に上切城山(標高約530m)の尾根上に築き、増改築を重ねてきた(飯峡、飯間、飯場、飯狭城とも書かれる)」と城の説明をする。
「ここの飯羽間の城主・遠山友勝殿は、岩村遠山の分流で、我が祖父・織田信秀様の娘婿でもあり、
父・信長とは義兄弟だ。息子に友忠殿がいるが、友忠殿も信長姪めいを娶り織田弾正忠一族の濃い血が流れている」
「よく御存知で」と男平八(於八)。
「丹羽長秀様仕込みだからな」と付け足す。
「岩村川、飯羽間川が天然の堀になっていますね」と勝蔵が指で示す。
「ここは岩村と飯羽間の両城が連携し、攻略に来た敵を挟み撃ちにする機能があるのだろうな」と正九郎。
「攻略するのは一苦労ですね」と四人で城攻めについて語らっていた。
桜はそんな四人の話を黙って聞きながら辺りに注意を払うことを忘れない。
そんな時に城下町の入り口で、旅の者を品定めしている一団がいることを見つけた。
「勘九郎さん、あれを」と桜が指し示す。
「関所がなくなってもあのような者たちがまだいるのか」桜の注意力に感心しつつ集団の様子を見る。
「嫌な感じですね」
「まあ、津島の御使だと言い張ろう」一行は構わずに進んで行く。
「そこの旅の者たち!」
勘九郎と年端の変わらぬ侍が馬上から声をかけてきた。供の者達が勘九郎一行を囲む。
「何事でございましょうか」と池田正九郎。
「見た処、武芸を嗜んでいる方々とお見受けいたす」
「かじっている程度で御座います」
「いやいやいや、見ればわかる。私は飯羽間の遠山右衛門尉友信と申す。是非、貴殿らに立合い(試合)をお願い申す」
「我ら旅を急いでいるので、お断り申す」と勘九郎が代わりに答える。
「いやいや、立合わなければこの町を出ていくことは相成らぬ」と道を譲る気のない右衛門尉友信。
「何故、そこまで試合をしたがるのです」と男平八。
「我ら、剣豪・上泉信綱に師事するものだ。修行の為に領内に立ち寄る武芸者とは全てと手合せをする」
「なんと」
「逃れられぬぞ。さあ、一緒に来てもらおうか」右衛門尉の家来衆が槍を構える。
「是非もなし・・」と勘九郎。ここで争っても仕方ないので、一行は黙って従うことにした。
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登場人物 織田信忠・幼名:奇妙丸 旅の偽名:勘九郎信重。森長可・幼名:於勝 旅の偽名:勝蔵。団忠正・幼名:於八 旅の偽名:男平八。池田之助・幼名:九郎丸 旅の偽名:正九郎。脳内での名前の変換が大変ですが、頑張ってついて来て下さい。




