44部:多治見与蔵
勝山猿啄城の山麓。
多治見城主の多治見修理亮とその腹心の部下である多治見与蔵が、郡目付の川尻の下に番役として参勤しに来ていた。
「与蔵おぼえているか。ここは我々が犠牲を払って手中にした城だった」
「はい、忘れてはおりませぬ」
「儂はこの城を取り戻し、再び領主として君臨したいと思っている」
「御胸中察しております」
「今なら武田様からの支援も期待できる」
「左様でございますな」
「川尻は邪魔だ。追い出したい」
「当主のいない今が絶好ですな」
「そういうことだ」
「修理亮様、私めに一計がございます」
「うむ、なんじゃ」
ヒソヒソと、登城中の休憩がてら密談する二人。
話がつくと、与蔵はひとり隊列から離れ、城下へと引き返していった。
*****
勘九郎達が京都の事件の話をしている頃、勝山猿啄城城内・本丸館では、城主・川尻下野守吉治と重臣・多治見修理亮が、なにやら話し合っている。
多治見修理亮は最初、織田家の東美濃侵攻に抵抗し、勝山城落城後は長井氏の拠る関城に逃れ、関落城後は甲斐国に逃れたが、武田と同盟が結ばれた永禄10年(1567年)に織田信次・津田一安とともに帰参した。それ以来、忠実に織田家代官として働いている。
「下野守殿、家臣たちの間でも、弟君の与四郎殿が下野守よりも川尻一刀流を継承するに相応しいと城下にて噂するものがおりまするぞ」
「なんと、私が弟に劣ると・・」
なにかと弟と比較され、焦燥している吉治の心を多治見修理は読んでいる。
「悪い芽は早めに摘まれた方が良いかと」
「そう、だな・・」
父である秀隆自身は長男の技量を見込んで自身の名(鎮吉)から「吉」の字を選んで吉治に与えているのだが、その心遣いも長男の不安を解消するものとはなっていないようだ。
「貴方様が、父上の後を継いで、信長様の“黒の一番”になることを、与四郎殿は妬んでおられるのですよ」と更に追い打ちをかける多治見修理亮。
川尻家の場合は、家督とともに剣技・川尻流秘伝の“漆黒ノ太刀”の相続も含まれ、更に信長親衛隊の黒幌衆の筆頭職もついているので、三つの継承権で話がややこしい。
「与四郎め」
弟がいなければ、このように世間を煩わしく思うこともないのにと考え始めた下野守吉治である。
吉治の心の動きをみて、しめたと思う多治見修理亮だった。
*****
勘九郎一行が織田家中の黒幌衆について話をしている間に、勝山猿啄の城下町にさしかかった。領主・川尻秀隆は信長の推し進める政策を着実に実行し、城下町も尾張小牧城風に整備されている。
東美濃が織田家の支配下となって以来、信長の殖産興業により、資源豊かな東美濃は着実に開発されている。尾張北部の「瀬戸焼き」で有名な品野城周辺から多くの陶芸職人が東美濃に移住し、東美濃の各地で新たに「美濃焼き」が開始されている。
更に各領主達は自己の収入源を更に拡大すべく領内の開発を進め、東美濃の山奥で金・銀・銅の鉱脈や、砂鉄、水銀が発見されていた。東美濃の各郡は織田家のもとで着実に工業化を遂げていた。
遠目には、新しく建てられた黒板張りの長屋の家並みが美しく見える。
しかし、城下に近づくにつれ、侍姿の男達が言い争う声が聞こえてきた。
「あれは川尻家の者達ではないか?」
「喧嘩をしているようだが」
ただ事ではないと急いで駆け寄っていく一行。四人は桜に馬の手綱を預け、街道の人垣を分けて入ってゆく。
「一体どうしたのだ?」
男平八が、やじ馬の人だかりを割って入り、その中の一人に声をかける。
「口論で一人が相手を刺し殺しまい、それを見ていた仲間達が乱闘しているんです」
「被害が広がる前に止めましょう」と治安を危惧する正九郎。
「そうだな」と勘九郎が同意する。
勘九郎の意思をみて、柴田にならべという気概で勝蔵が
「待て、待て、まてー」と喧嘩をする集団に割って入った。
「お主達やめぬか」と後に続く正九郎。
「同じ織田家の人間同士で何をやっているのだ」と勘九郎。
しかし、猛った集団の勢いは止まらない。
「よそ者が口を挟むなよ」
「旅の者が、我が家中の事に口出しをするな!」
と、止めに入った者にさえ牙を向ける勢いだ。
「喧嘩・乱暴・狼藉は禁止されておるはずだぞ」と男平八。
「聞き分けのない奴らだ」と刀を抜こうとする勝蔵を勘九郎は制止する。
(せっかく変装したけど、仕方ない)と勘九郎は覚悟を決めた。
「やるのですか?」と勘九郎に駆け寄る男平八。
「無益な斬り合いをするよりは、ここは刀を抜かずに抑えよう」
それを聞いて勝蔵が叫んだ。
「頭が高いぞ!」
「えええい、控えよ」と男平八。
「この宝刀がわからぬか、相州貞宗である!」と勘九郎は太刀を高々と掲げる。
太刀の名を聞いて確認し、はっとする川尻衆。
「こ、これは」と気付いた川尻家家臣。黒幌衆の軍団を構成する家中だけあって、織田家の内情には詳しい。
相手が嫡男・奇妙丸(勘九郎)一行と理解し急いで、
「は!はーーーー」と控える。
(凄い!)目を丸くする三人。
(本来はこうあるべきなのだが、はじめて上手くいったな)
「口論の原因はなんだ」と勘九郎が口を開いた。
「次男殿の側の者が、秘伝“漆黒ノ太刀”を継承するのは飲んだくれの長男ではなく、与四郎殿が相応しいと言ったとの噂を聞きました」と川尻家次男の家来たちが報告する。
「長男殿の家来の者がその噂を信じて怒りだし、我が方の下人を斬ったのです」
「最初は口論だったんですが、長男殿の家来が熱くなったようで、いきなり抜刀し我が家来を殺してしまったのです」と与四郎本人がでてきた。
勘九郎は、兄の下野守吉治の顔は覚えているが、弟の与四郎とは初対面だった。
なるほど相続者に相応しいと周囲に言われるほど逞しい身体をしていることが判る。潜在能力は高そうだ。
「長男殿の御家来の誰が抜刀したのだ?」と正九郎。
「それは、多治見修理殿の御身内、与蔵とかいう・・・」と長男の家来衆がしどろもどろになりながら答えた。
「その者はいずこに」
皆で周りを見渡すが、与蔵はどこにも見当たらない。
「既にどこかへ逃げてしまったようです」申し訳なさげに家来衆が答える。
「与蔵か、怪しい奴だな」勘九郎の言葉に、皆頷く。四人の意見が一致していた。
「それで、長男・吉治殿はいずこに」と勘九郎。
「今は勝山猿啄城におられます」と山頂の物見櫓を指す。
「これしきの事で斬り合いとは、川尻家は血の気があまっているのか」とあきれ気味の正九郎。
「これは捨て置けぬな」と勘九郎。
「もうすこし詳しく事情をお聞かせ願えぬか」と男平八。
「では、家来の遺体を私の屋敷に運んで弔いますので、詳しい話は屋敷でいたしましょう」
そう言うと与四郎は、部下の遺体を丁重に運ぶように指示をし、自らは勘九郎一行を屋敷へと案内した。
*****




