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織田信忠ー奇妙丸道中記ー Lost Generation  作者: 鳥見 勝成
第八話(勝山猿啄城編)
43/404

43部:武勇伝・黒幌衆

父・織田信長の命で、信玄の娘・武田松姫との政略婚により武田家との同盟関係を深める為、東美濃に旅立つ勘九郎(奇妙丸)一行の冒険の旅です。旅のお供には男平八(のち団忠正)、勝蔵(森長可)、正九郎(池田之助)、女忍者・桜が従います。岐阜城を出立した五人組。勘九郎(奇妙丸)の悩みを解消する手立ては見つかるのか。東美濃恵那山に向けての旅です。

*勝山猿啄しょうざんさるばみ城編

*越前国にも勝山城がありますので、こちらは勝山猿啄とします。

http://17453.mitemin.net/i186257/

挿絵(By みてみん)


<岐阜城から画面右方向に猿啄城>


木曽川沿いの街道を歩く勘九郎(奇妙丸)一行。

ここは飛騨国、美濃国、尾張国へ分岐する街道と河川を見下ろす戦略上の要地でもある。眼前には木曽川から競り上がった急峻な斜面上に物見櫓が見える。山岳地帯に近く、この辺りの木曽川の流れは速く、橋の無い処で川を渡る事は至難の業のようだ。流木が勢いよく流されてゆくのが見える。

「あの城山しろやまの山頂(標高約270 m)には、川尻秀隆殿の居城、勝山猿啄しょうざんさるばみ城がある。別名は、根尾山城や猿飛城と呼ばれている。

応永年間(1400年頃)に西村豊前守・善政が最初に猿啄城を築城し、天文16年(1547)に多治見修理亮が、領主・田原(土岐分家)氏を下剋上して城を奪取して以来、多治見氏の属城となった」と皆に城の経歴を説明する勘九郎(奇妙丸)。

「さすが、勘九郎さん」と男平八(梶原於八)。

「今から4年前の永禄8年(1565)に、信長様が丹羽長秀殿を総大将として東美濃攻略を開始され、東美濃攻略の大将を任された丹羽長秀殿と、先鋒を受け持った川尻秀隆殿が猿啄城を攻略し、秀隆殿が抜群の軍功により城主となられました。その時に城名は「勝山猿啄城」と改称されたのです」と、父である森可成の居城・兼山が近くにあるため、森勝蔵(於勝)はこの東美濃の事情に詳しい。

(岐阜城にいても思う事があるが、父達はこの天険の要害をよく攻略したものだ)と奇妙丸は勝蔵の話を聞きながら東美濃の地形を眺め、改めて信長軍の偉業に驚いた。

更に勝蔵が続ける。

「その頃、甲州の武田軍も東美濃に乱入し、父の居城である金山城と、肥田玄蕃允殿の居城である米田城を攻撃されたのですが、織田家と縁戚にある岩村城の遠山殿の仲介で武田家とは和平条約を結ぶことができたのです」

「勝蔵さん、東美濃につうなのですね」と正九郎(池田九郎丸)。

誉められて得意げな森勝蔵。どうやら池田と森の相性は中々良好だ。

二人のやり取りに微笑ましい光景だと思うその他の三人である。

鶴千代とのように意見がぶつかる事はないようだ。

「岩村の遠山景任殿と祖父・織田信秀様との昔からのご縁がなければ、出来ない和平だったかもしれないなあ」と勘九郎。

縁組というのは大名家にとっては大切な外交なのだと改めて思う。私と松姫の縁組も成功させねばと使命を感じる勘九郎(奇妙丸)だった。


*****


川尻肥前守秀隆は、織田信長の親衛隊の赤幌衆あかほろしゅう黒幌衆くろほろしゅうのうち、黒幌衆十名の筆頭ひっとうで信長も認める程に“武勇絶倫の勇者”である。剣技は織田家中随一ずいいちのため、嫡男・奇妙丸の剣技の師に選ばれている。

「川尻師匠は今、父に従って遠征中だ。父の居る戦場には常に川尻殿がいる」

行く先に見える勝山猿啄城は、現在は秀隆殿の長男・川尻下野守吉治が留守居を勤めているのだろう。

「川尻殿は何人斬ってきたのだろうな」

ふと勝蔵(於勝)がつぶやく。

「数え切れぬのではないか、今でも刀を持っておられる時は、傍に近寄るだけで、いつ斬られるかと冷や汗が止まらぬ」と正九郎(九郎丸)。

「平安期に怖れられた“源ノ頼親公”以来の「殺人上手」なのだと思うぞ。でなければ、黒幌衆筆頭くろほろしゅうひっとう“黒の一番”は勤められない」と男平八(於八)。

「せめて、信長様の“黒の十人”に入れる程の武勇を積み重ねたいものです」と正九郎(九郎丸)、そして川尻流剣技の事が気になり、勘九郎(奇妙丸)に“川尻流派”の事を詳しく聞きたくなった。

「勘九郎さんは、川尻秀隆殿が信長様の弟・織田信行(*1)殿を討ったという“秘伝の太刀”は継承されているのですか?」

「秀隆師匠の秘伝奥義“漆黒ノ太刀(*2)”か?」

「どのような技なのでしょう」

「私は師匠から秘伝は教えてもらってないぞ、戦場経験の無いものには取得しようが無いらしい」と勘九郎。

「川尻殿が実戦であみ出した剣術ですからね」と男平八。

「ただし、柴田殿の槍には、我が太刀でも敵わぬとおっしゃっておられた。もし武道に階級があるとすれば、常に槍が二段上位を行くらしい。こちらが二段とすれば相手は四段だ」勘九郎(奇妙丸)が補足する。

「剛剣よりも、槍の柴田勝家、戦場最強か」と男平八(於八)

「柴田殿は跳びぬけた処に居るのでしょう」と畿内での柴田の戦いぶりを思い出す正九郎(九郎丸)。

「そういえば、御所造営の際に普請場での言い争いから織田軍の佐久間信盛隊と、浅井軍の三田村隊との間で乱闘事件が起こり、その時、両軍を止めに中央に切り込んだ勝家殿の“鬼武者振り”に両軍が震え上がったといいます。罰として織田方の将兵も容赦なく討った鬼のような勝家殿の姿を見て、冷静になった両軍の乱闘は中断されたのですが、死傷者八百人という合戦並みの被害がでたのです。それ以降は浅井家との仲は険悪になってしまいました」信長の小姓として上洛していた正九郎ならではの情報である。「京都でそのような事が」と、初めてつぶやいた桜。

勘九郎や男平八が、老臣の塚本や梶原に、京都の事を聞いても言を濁すのは、信長から箝口令かんこうれいがしかれている為なのだろう。

浅井家と同盟関係という事は天下に周知の事実なので、両家の亀裂となるような事件は伏せられているのだが、いずれ隠しおおせる事ではなくなるだろう。

箝口令を一番よく知る正九郎(九郎丸)が皆にこの話をしてくれたのは、勘九郎一行を仲間として信頼してくれたのだろう。

それにしても、猛りたった両軍の間に割って入り乱闘を鎮めたという柴田勝家の武勇には恐れ入る勘九郎だったが、

「柴田殿と戦いたい」と勝蔵(於勝)の呟きが聞こえてきた。

(いつか槍をもつて柴田殿の槍と勝負し、俺が戦場最強と呼ばれたい)

於勝が目指しているものは織田家最強である、柴田勝家の強さにも臆することはなく、挑戦したいと思っている。

(勝蔵は無鉄砲だなあ)と口には出さないが内心思ってしまった四人だった。


*****

(*1)正しくは信勝とも。

(*2)剣術名はフィクションです。実戦では刀が鏡のように反射して、地面や背景に溶け込み、武器と人との間合いを敵に掴めなくするといいます。そのような感じで、暗殺者・川尻秀隆さんの刀が見えなくなる究極の剣術ということで“漆黒の太刀”と名付けさせて頂きました。

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