32部:信長出陣
岐阜城下に総勢約3万人の美濃勢が参集した。尾張清州には約2万人の尾張勢が既に集まっているという。それぞれの軍勢は一先ず清洲城に集結することは決まっているが、尾張を出発してからの進路は全軍には知らされていない。
遠江では今川氏真の拠る掛川城攻めの最中に、駿河を制圧した武田軍が遠江国境を伺っていると徳川家康からの連絡があった。油断ならない武田入道信玄斎の動きがあり、信長の後詰の軍勢が必要かもしれない。
また、伊勢方面では南伊勢を支配する北畠具教の弟、木造具政が瀧川一益の勧誘工作により、織田方に味方することを連絡してきていた為、木造の反乱に対して、鎮圧軍を向けるであろう北畠具教に対しても、木造救援の為の後詰の軍勢が必要であるかもしれない。
どこに向かうかは信長の胸のうちにある。
この他に、畿内では約2万人の兵で、坂井政尚を大将に、木下秀吉が軍監で山陰地方の山名氏討伐に出陣し、阿波の三好勢に備えて和泉国には2万の兵が防備についている。
織田家の与党の軍勢は、幕府再興の勢いもあって爆発的な勢いで畿内を席巻し始めていた。
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岐阜城城門。
「では父上、母上、行ってらっしゃいませ ×3」
奇妙丸を筆頭に、冬姫、茶筅丸の兄弟三人で両親の出立を見送る。
信長は三人を順にみて「うむ、茶筅丸も留守居を宜しく頼む」と一番心配な次男に改めて念を押す。
「承知いたしました」と気合満々の茶筅丸。
信長は馬上の人となり、奇蝶は冬姫に手を貸してもらいながら籠にのる。
籠は侍女たちに囲まれ、ゆっくりと岐阜城を出ていった。
岐阜城に参集した大軍団は、既に先陣部隊が明朝から次々と出立している。
尾張衆は現地で信長の到着を待っているが、美濃衆だけでも上洛戦の時に劣らない人勢が動員されていた。
「若、若、爺も行って参りますぞ」
「うむ、落馬せぬようにな」
「なにを申されますか、この爺、戦場往来四十年、いまだかつて遅れをとったことなど」
「爺、皆先に行っているぞ」
「これは、いかん。では、行って参りますぞ」
「いってらっしゃーい」
街道を走ってゆく爺を見送る。
出陣する織田軍を見送ろうと、大手道沿道の人々が、
「塚本小大膳様! だー!」と歓声をあげて見送っている。
「町民からも慕われておるなぁ」と温かい目で見送る奇妙丸だった。
最後まで、本丸で出立後の段取りの指示をしていた老臣・梶原平次郎が遅れてやってきた。
「若、我らも出立いたします」と礼をする。
「ご武運を」と奇妙丸と茶筅丸。
於八の父・梶原平次郎も馬上の人となる。
「若を頼んだぞ」と於八に手を振る平次郎。まかせてとばかりに胸を叩く於八。
奇妙丸付きの老臣・梶原や、茶筅丸付きの侍大将・沢井も、今回の伊勢出兵には動員されている。
今回の遠征にかける信長の本気。
並々ならぬ意思を示しているのだろう。
主要部隊は大部分出陣したが、いつまでも軍勢の出立は止むことがない大軍だ。
「館に戻ろうか」と冬姫達に声をかける奇妙丸。
ちらっとこちらを見て返事をしてくれない冬姫は、まだ何か思いつめているようだ。側衆を連れて先に御殿に入って行ってしまう。
「そうですね、我々も任務がありますし」と茶筅丸も軍勢の見送りから気持ちを切り替えた様子だ。
奇妙丸にとって、茶筅丸が岐阜城の裏側をしっかりと固めてくれている事は有難い。
「搦め手の守り、頼んだぞ」
「兄上、兄上」
(知っていますよ)といったようなしたり顔で、茶筅丸が近づいてきて、奇妙丸に耳打ちする。
「兄上は外出許可を頂いているそうですね。ずるいです、私も美濃の町を見て回りたいと思っているのに」
「すまないな」
「しかし、今回は、兄上が忙しいだろうという事で、私が父上から賜った“使命”が御座います」
「ほう、父上から、どんな仕事を?」
「今年は、私が仕切らせて頂きますよ」
「なんのことだ?」
「やはり、お忘れですか」
「あ」
「そうです、五月の年中行事といえば“豊作祈願”菖蒲と尚武にかけて、勝負の儀式です兄上!」
「そうだった、岐阜では2回目だったな」
「我、傍衆は、ただ金華山の東を固めていたわけではないですよ、この為に特訓をしていました。今年は勝たせてもらいますぞ」
自信満々の茶筅丸だった。
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