28部:人間五十年
<奇妙丸の間>
冬姫は侍女を付き添わせず、大きな荷物を大切そうに抱えて奇妙丸の部屋を訪れた。
「兄上様、これが冬からの贈り物です」
「こ、これは、能面に道具一式。全て織田家の家紋入りではないか」
「面の裏は鉄張りに御座います」
「す、すごい」
「変装される時に、役立ちますようにと、用意いたしました」
「ありがとう。さっそく試着しても良いか」
「では、お父様のいつものを舞って下さいますか」
「任せよ」
早速、奇妙丸は道具を持って隣の部屋で着替えてきた。
障子がゆっくりと開く。能面を付け、衣装を着替えた奇妙丸が、静かに入ってくる。
蝋燭の明かりだけの部屋で、扇をもち中央に佇む。
奇妙丸が呼吸を整える。
「人間五十年、下天のうちにくらぶれば、
夢幻の如くなり~」
冬姫の為に、一生懸命、父の舞を再現する。
「一たび生を享け、滅せぬもののあるべきか~」
短い小節だが、心に響いてくるものがある。
「凄いです兄上様、お父上そっくりで、冬は鳥肌が立ちました」
冬姫は目をキラキラとさせ、興奮気味で言う。奇妙丸は面を外し、一呼吸置いてから答える。
「父の舞の重みに加えれば、私などまだまだ」と言いつつ、冬姫に絶賛されたのは嬉しい。
「人間50年。長いようで、短いですね」
ふいに冬姫の表情が暗くなる。
「どうしたのだ、冬姫」
「兄上が、武田家の松姫様と婚約されることになったとお聞きしました」
「といわれても、私はまだ松姫に、お会いした事もないのだ」
「私は、松姫様がうらやましく御座います」
「どうしてだ?」
「晴れて兄上様の正室として迎えられるのですから、お幸せになるに違いありません」
奇妙丸は返答に困った。一度も会ったことのない婚約者である松姫は、どのような気持ちなのだろうか。
(迎えるのならば、悲しい思いはさせたくはない)
冬姫は、見知った相手である鶴千代との婚約を、どう思っているのだろうか。
奇妙丸はまっすぐに冬姫を見つめる。
「冬姫は、鶴千代との婚約はどうなのだ?」
奇妙丸の問いに、しばし思案する。やがてゆっくりと、気持ちを告げる。
「驚きましたが、いつか誰かと夫婦になることは覚悟していましたから」
「鶴千代なら、冬姫を必ず幸せにすると思うぞ。私が保証する」
「はい」
そういうと冬姫は、目を伏せてしまう。
「鶴千代が嫌いなのか」
「いえ」
「ダメなやつか?」
「そのようなことではありません」
「ならば、大丈夫ではないか」
奇妙丸の言葉に、冬姫は口元に微かに笑みをつくる。
「是を菩提の種と思い定めざらんは、口惜しかりし次第ぞと思い定め・・(これは神様の決めたことと理解はしていても、口惜しくおもってしまう・・)」
そう言うと哀しそうな顔をして、冬姫は部屋を後にした。
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