26部:蒲生鶴千代
鶴千代は御殿内の部屋に戻る途中、奥庭で花の手入れをしている桜をみかけた。
「桜、私は伊勢に向かうことになった。これから父と合流するために近江日野に急いで戻らねばならぬ」
「戦いくさですか」
「うむ、それに軍功次第では、冬姫様の婿となって若とは義兄弟となる。私が戦から戻るまで、お二人の事をよろしく頼むぞ」
「はい。冬姫様には会われてゆかれるのですか」
「いや、まだ決まったわけではないからな。戦で死ねば、最初から無かった話になる。冬姫様に悲しい思いをさせたくない」
鶴千代は、懐に忍ばせている冬姫から贈られた脛当てにそっと触れた。
(必ずや、初陣を貴方に相応しい婿となれるように、華々しい武功で飾ってみせまする!)
「桜も、鶴千代殿を悲しませぬよう、お二人を守ります。鶴千代殿、ご武運を」
「うむ、有難う」
そう言うと、鶴千代は足早に去って行った。
桜は後姿を見送りながら、もう一度、鶴千代の無事を祈った。
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「蒲生賢秀殿の嫡男なら間違いあるまい。殿は近江の国衆をも御一門衆に迎え入れられるおつもりなのだろう」
冬姫にいきなり婚約者候補が定まったので、城内はその噂でもちきりだ。
二年前、徳川家康の嫡男・岡崎信康には、五徳姫が先に輿入れしている。
それ以降も、台頭する信長との縁を持つために、将軍候補である足利義昭や、朝倉家の重臣、従妹の津田坊丸ほか、織田一門や、有力家臣などから、是非とも冬姫を貰いたいと申し入れがあったが、信長は冬姫の婚約に対して頑として首を振らなかった。
その信長が、鶴千代には手柄次第だと答えたことに一同驚愕した。
信義を重んじ士さむらいを求道する鶴千代の性格が、父・信長の御眼鏡に適ったのだろう。
そして。信長の求める武将像が、鶴千代の中には眠っていると奇妙丸は感じた。
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鶴千代が出発した後、それと入れ違うように京都から信長を追いかけて南蛮人宣教師が下向してきていた。佐久間信盛、柴田勝家が付き添い岐阜城に登城してくるという。
信長は兄弟二人を呼び出した。
「奇妙、茶筅。南蛮坊主のルイスフロイスがやって来る。お主達、彼を接待してみせよ」
「ルイスフロイスですか」と名前を暗唱する茶筅。
「儂は京都で一度会ってきた。彼は遠くポルトガルから何千里と命がけで日本までやって来ている。日本の売僧とは心掛けが違うのだ」
「そうなのですね、そうまでして来た日本で、失望して欲しくは無いですね」奇妙丸がフロイスの心情を思いやる。
「うむ、最高級の待遇を持って迎えようと思う」
「承知いたしました」二人はどうやって接待するか考えながら退出した。
奇妙丸は岐阜御殿玄関にフロイスとロレンソ了斎という供の者を出迎え、金華山山頂の信長の待つ本丸の物見楼閣まで案内する。
信長は自らが支配する岐阜の城下町をこの宣教師に眺めさせたかったようだ。
信長とフロイスとの会談は二時間半に及び、昼食はわざわざ信長と茶筅が手分けして彼らの為の膳を運んだ。
その間も奇妙丸が彼らの世話をする。
「フロイス殿、ジョバンニロルテスを御存知ですか?」
「ガスパル・ヴィレラについて行かなかったのですか? 彼は今どこに?」
「難破漂流しているところを助けられて、伊勢にいるという噂があるのですが」
「そうですか・・」
ロルテスの身を案じるフロイス。
「彼ほどの戦士ならば、死ぬことは無いと思っていました」
「戦士ですか。ますます会いたくなりました」
「役に立つ男です。過酷な境遇にいたら助けてやっては貰えないでしょうか」
「わかりました。伊勢に知り合いがいますので手を回してみます」
奇妙丸も瀧川一益から聞いた南蛮人についてフロイスに直接聞くことができたのが収穫だった。
「今日は信長様自ら膳を運んで頂き光栄に御座います」
「すべては余の権力の下にある」と言って、
信長は宣教師たちの日本滞在の後見を約束した。
「岐阜滞在は本当に有益でした」
フロイスは満足して京都に戻って行った。




