189部:植田川
簗田出羽守がやって来た。
「お待たせしました。若様」
沓掛城の守備兵を、千兵残して、簗田軍千兵の護衛部隊を引き連れる。知立での一揆の様子を聞いているので、出羽守自身も合戦仕様の熊毛の鎧で身を固めた重装備での出立だ。
水野太郎左衛門は、食料や原料を積み終えれば、隊商を率いて再び知立城に戻る予定だ。
「では、藤島城へ向かうとするか」
「北に行き、植田川(のちに天白川)沿いを遡る行路です」
「うん。先導を頼む」
法螺貝が吹き鳴らされ、城門が開かれる。
奇妙丸隊五百に、平手隊五百。簗田隊を合わせてニ千兵が沓掛城を出発した。
粛々と、川に沿って軍勢が進む。
物見が細かく先行して、索敵をしながらの進軍だ。
先頭を行く簗田隊から、中央の奇妙丸隊に出羽守がやって来た。
「大きな川だな」
「多くの沢が合流して、一本になりますゆえ」
「この川は?」
「植田川といいます」
「この上流には岩崎城があります」
「岩崎丹羽家か」
・・・・岩崎城、天文4(1535)年に、織田信秀が尾張と三河を結ぶ街道の要衝に築いた平山城で、信秀の与力・荒川頼宗が城主となった。岩崎は尾張丘陵の境の地にあり、猿投山の麓から流れてくる社川の西側に位置する。この社川の東側には、分家の丹羽氏秀が藤島城を構えて居た。
天文7(1538)年に、松平清康が奪取し、清康の死後は地元の土豪・丹羽氏清が城を奪取した為、信秀は氏清の息子・氏勝を娘婿として陣営に迎えた。以来、岩崎丹羽氏は4代に渡って60年間もその地を居城とする。天文20(1551)年に藤島城の丹羽氏秀との抗争から、今川義元に通じて織田家から離反し、1565年にようやく帰順したのだった。
「もうすぐ二股に分かれますので、そちらの社川に沿って東に向かいます」
「水源はどこへ向かうのだ」
「猿投山で御座います」
・・・・・猿投山は、この地域随一の霊山で、古代大和朝廷の景行天皇、その長男である大碓ノ命の死没地と考えられている。大碓命は日本武尊ノ命の兄にあたる。
「川の岸辺が、やや赤味がかっているな」
「岩崎丹羽家が、その技術で丘陵に沿って窯を作っていたのですが、環境汚染がひどく。踏鞴の穢れた水を社川に流すので、魚や水鳥が少なくなり、排水の処理をめぐって分家の藤島丹羽家ともめた事があります。今は鉱脈を掘り当て、物は新知立で処理する工程を信長様が確立されましたので、川の水も随分と綺麗になったはずなのですが・・」
二人で川面をみていると、全員が集まってきた。
簗田が昔話を始める。
「そういえば、18年前でしたか、信長様が家督を継いだころ、丹羽家で内紛がおこり、信長様に支援を要請した丹羽氏秀の藤島城へ後詰に向かい、岩崎丹羽氏織、氏勝親子に敗れたことがあります」
「父上が?」
老将ならではの経験談だ。
「岩崎丹羽家は、当時から多くの鉄砲や火薬に玉を保持していたので、信長軍と鉄砲の撃ち合いになり、信長軍が弾切れとなって撃ち負けて退却したそうです」
(父上も家督を継いだころは負ける事があったのか)
「鉄砲の数では勝っていたのですが、弾薬の物量で負け越したのです」
「鉄砲の数があれば良いという事ではないのだな、鉄砲玉に火薬か」
「植田川と社川、両河川が開析する丘陵から得られる豊富な資源を基に、最新の武器を揃えている上、金属の生産もしているので、岩崎家は精強なのです」
「岩崎丹羽家は底力があるのだな」
「当主・氏勝殿は、現在伊勢に従軍されておられるはず」
「「ドドーン!」」
森の木々を越えて、藤島城の方から銃声が聞こえてきた。銃声に驚いて木々から鳥が飛び立つ。
耳を澄ますと、太鼓や鐘、法螺貝の音も聞こえる。
「物見は?」
「戻ってまいりました。藤島城周辺に完全武装の軍がいるそうです」
一行は旗印をおろして、静かに森の中の迂回路を移動する事にした。
峠の手前に軍勢を残し、奇妙丸と傍衆、簗田出羽守が物見と共に見晴らしの良い場所へと向かう。
楽呂左衛門が、望遠鏡を取り出して城を眺める。
「奇妙丸様、あそこを見てください」
「なんだ、奴らは? あの旗印・・。 簗田殿、これを覗いて見てくれ」
「変わった道具をお持ちですな。どれどれ、おお!これは面白い!」
簗田は望遠鏡の機能に興奮して、なかなか見える物の報告をしない。
「どうだ? 旗印で誰かがわかるか?」
「岩崎城の丹羽氏織、三河福谷城の原田氏重、三河明知城主だった原田重種。それに中條将監秀政?」
簗田から望遠鏡を受け取り、旗印を確認する。
「中条殿は安祥で会ったばかりではないか」
「どういうことでしょうね?」
黒武者・山田勝盛も訝しむ。
「わからぬ、城方は、柴田殿の与力・荒川新八郎頼季殿が防戦しているのか」
朱武者・平手汎秀が、守備方の将を推測する。
・・・・・荒川新八郎は戸部村の豪族で、柴田勝家の与力武将だ。弘治2(1556)年に今川方に転じた原田氏の拠点・三河福谷城へと侵攻している。桶狭間直前の永禄2(1559)年には信長自身が出陣し、柴田と荒川を先陣に立て福谷城を攻略した。今川義元の命を受けた三河国桜井松平の軍勢が原田氏の後詰をし、織田方を追い返している。合戦後は、再び柴田勝家と共に西三河に侵攻し、今川氏勢力を矢作川以東へと駆逐した。現在は目付として藤島城城主を勤めている。
「荒川新八郎頼季殿は、旗頭の柴田殿と伊勢に遠征されています。御一門の藤太郎殿ではないでしょうか」
やはり、簗田が周辺領主の動きには詳しい。
「城内の様子が気になるな。一郎左、確認して貰えるか?」
「承知です。我君!」
伴ノ一郎左が森の中へと入ってゆく。
「やはり周辺の動向が気になる。岩崎表や、挙母(金谷)表へも、物見の範囲を広げたいな」
「では、我が配下の者達に命じましょう」
「頼む」
政友は馬に鞭を入れ、軍勢から離れて道を引き返して行った。
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