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織田信忠ー奇妙丸道中記ー Lost Generation  作者: 鳥見 勝成
第二十八話(藤島編)
189/404

189部:植田川

簗田出羽守がやって来た。

「お待たせしました。若様」

沓掛城の守備兵を、千兵残して、簗田軍千兵の護衛部隊を引き連れる。知立での一揆の様子を聞いているので、出羽守自身も合戦仕様の熊毛の鎧で身を固めた重装備での出立だ。

水野太郎左衛門は、食料や原料を積み終えれば、隊商を率いて再び知立城に戻る予定だ。


「では、藤島城へ向かうとするか」

「北に行き、植田川(のちに天白川)沿いを遡る行路です」

「うん。先導を頼む」


法螺貝が吹き鳴らされ、城門が開かれる。

奇妙丸隊五百に、平手隊五百。簗田隊を合わせてニ千兵が沓掛城を出発した。


粛々と、川に沿って軍勢が進む。

物見が細かく先行して、索敵をしながらの進軍だ。

先頭を行く簗田隊から、中央の奇妙丸隊に出羽守がやって来た。

「大きな川だな」

「多くの沢が合流して、一本になりますゆえ」

「この川は?」

「植田川といいます」

「この上流には岩崎城があります」

「岩崎丹羽家か」


・・・・岩崎城、天文4(1535)年に、織田信秀が尾張と三河を結ぶ街道の要衝に築いた平山城で、信秀の与力・荒川頼宗が城主となった。岩崎は尾張丘陵の境の地にあり、猿投山の麓から流れてくる社川の西側に位置する。この社川の東側には、分家の丹羽氏秀が藤島城を構えて居た。

天文7(1538)年に、松平清康が奪取し、清康の死後は地元の土豪・丹羽氏清が城を奪取した為、信秀は氏清の息子・氏勝を娘婿として陣営に迎えた。以来、岩崎丹羽氏は4代に渡って60年間もその地を居城とする。天文20(1551)年に藤島城の丹羽氏秀との抗争から、今川義元に通じて織田家から離反し、1565年にようやく帰順したのだった。


「もうすぐ二股に分かれますので、そちらの社川に沿って東に向かいます」

「水源はどこへ向かうのだ」

「猿投山で御座います」


・・・・・猿投山さなげやまは、この地域随一の霊山で、古代大和朝廷の景行天皇、その長男である大碓ノおおうすのみことの死没地と考えられている。大碓命は日本武尊やまとたけるノ命の兄にあたる。


「川の岸辺が、やや赤味がかっているな」

「岩崎丹羽家が、その技術で丘陵に沿って窯を作っていたのですが、環境汚染がひどく。踏鞴の穢れた水を社川に流すので、魚や水鳥が少なくなり、排水の処理をめぐって分家の藤島丹羽家ともめた事があります。今は鉱脈を掘り当て、物は新知立で処理する工程を信長様が確立されましたので、川の水も随分と綺麗になったはずなのですが・・」

二人で川面をみていると、全員が集まってきた。


簗田が昔話を始める。

「そういえば、18年前でしたか、信長様が家督を継いだころ、丹羽家で内紛がおこり、信長様に支援を要請した丹羽氏秀の藤島城へ後詰に向かい、岩崎丹羽氏織、氏勝親子に敗れたことがあります」

「父上が?」

老将ならではの経験談だ。


「岩崎丹羽家は、当時から多くの鉄砲や火薬に玉を保持していたので、信長軍と鉄砲の撃ち合いになり、信長軍が弾切れとなって撃ち負けて退却したそうです」

(父上も家督を継いだころは負ける事があったのか)

「鉄砲の数では勝っていたのですが、弾薬の物量で負け越したのです」

「鉄砲の数があれば良いという事ではないのだな、鉄砲玉に火薬か」

「植田川と社川、両河川が開析する丘陵から得られる豊富な資源を基に、最新の武器を揃えている上、金属の生産もしているので、岩崎家は精強なのです」

「岩崎丹羽家は底力があるのだな」

「当主・氏勝殿は、現在伊勢に従軍されておられるはず」


「「ドドーン!」」

森の木々を越えて、藤島城の方から銃声が聞こえてきた。銃声に驚いて木々から鳥が飛び立つ。

耳を澄ますと、太鼓や鐘、法螺貝の音も聞こえる。

「物見は?」

「戻ってまいりました。藤島城周辺に完全武装の軍がいるそうです」

一行は旗印をおろして、静かに森の中の迂回路を移動する事にした。

峠の手前に軍勢を残し、奇妙丸と傍衆、簗田出羽守が物見と共に見晴らしの良い場所へと向かう。


楽呂左衛門が、望遠鏡を取り出して城を眺める。

「奇妙丸様、あそこを見てください」

「なんだ、奴らは? あの旗印・・。 簗田殿、これを覗いて見てくれ」

「変わった道具をお持ちですな。どれどれ、おお!これは面白い!」

簗田は望遠鏡の機能に興奮して、なかなか見える物の報告をしない。

「どうだ? 旗印で誰かがわかるか?」

「岩崎城の丹羽氏織、三河福谷うきがい城の原田氏重、三河明知城主だった原田重種。それに中條将監秀政?」

簗田から望遠鏡を受け取り、旗印を確認する。

「中条殿は安祥で会ったばかりではないか」

「どういうことでしょうね?」

黒武者・山田勝盛も訝しむ。

「わからぬ、城方は、柴田殿の与力・荒川新八郎頼季殿が防戦しているのか」

朱武者・平手汎秀が、守備方の将を推測する。


・・・・・荒川新八郎は戸部村の豪族で、柴田勝家の与力武将だ。弘治2(1556)年に今川方に転じた原田氏の拠点・三河福谷城へと侵攻している。桶狭間直前の永禄2(1559)年には信長自身が出陣し、柴田と荒川を先陣に立て福谷城を攻略した。今川義元の命を受けた三河国桜井松平の軍勢が原田氏の後詰をし、織田方を追い返している。合戦後は、再び柴田勝家と共に西三河に侵攻し、今川氏勢力を矢作川以東へと駆逐した。現在は目付として藤島城城主を勤めている。


「荒川新八郎頼季殿は、旗頭の柴田殿と伊勢に遠征されています。御一門の藤太郎殿ではないでしょうか」

やはり、簗田が周辺領主の動きには詳しい。


「城内の様子が気になるな。一郎左、確認して貰えるか?」

「承知です。我君!」

伴ノ一郎左が森の中へと入ってゆく。


「やはり周辺の動向が気になる。岩崎表や、挙母(金谷)表へも、物見の範囲を広げたいな」

「では、我が配下の者達に命じましょう」

「頼む」

政友は馬に鞭を入れ、軍勢から離れて道を引き返して行った。


*****


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