184部:平手甚右衛門汎秀
奇妙丸立ち合いの下、一揆方侍衆・足軽衆達の首実検が行われた。
山口太郎兵衛により信長への「首注文*」と、軍功の上申状が作製されてゆく。
*討ちとられた敵大将の名簿
傭兵たちにとっても、一揆鎮圧の軍功を、織田家嫡男・奇妙丸に認めてもらい、添え状が付けられる事は昇給の確実性もあり価値が違う。足軽武者にとっては出世への足掛かりだ。
奇妙丸が、立ち会うのは初めてではないが、気分のいいものではない。
いつ、自分や自分の家族が同じ事になるのかという、戦国の厳しさを思い知らされる場でもある。
「敵ではあるが、後は丁重に扱ってほしい」と武辺者たちに一言添える。
仕置きが終わり、信昌の遺体が安置してある小屋に向かった。
知立城の侍衆が、主を取り囲んでいる。
「信成殿に申し訳ないことをした」
山口太郎兵衛が、奇妙丸に罪は無いと、気持ちを気遣って励ます。
「武人の家に生まれたのですから、本望だったのではないでしょうか。決して後悔はされていなかったと思います」
「最後には、満足げに笑っておられましたな」
そう言って、老将・篠岡八右衛門が、信昌の遺体に母衣布をそっとかける。
「そうだった。大将ぶり誠に見事だった」手を合わせて拝む奇妙丸と、その一同。
於勝に虎松は、目に涙をため、与平次は号泣している。
(わたしも、死に際は誰かを守り、潔く命を燃やしたいものだ・・)
奇妙丸の心に「死」という身近にあっても普段は考えもしない文字が浮かび上がる。
何かを感じ取った桜が、声をかけた。
「奇妙丸様、信昌殿の分まで長生きしましょう」奇妙丸を励ますつもりで言う。
桜の顔をみて我に返る奇妙丸。
「そうだな。私にはやらねばならぬ事がある」
「そうですよ」と於八も相槌を打つ。
奇妙丸達を取り囲んで様子をみている知立の侍衆から、矢除けの小母衣を背負った武者が前に進み出る。
「信昌殿の葬儀は、我らにお任せください!」
知立城の侍達を代表して、信昌の仇をとった河野藤三が進言したのだ。
「うん。宜しく頼んだぞ」
「はい。見晴らしの良い場所に埋葬いたします」
(信昌殿、尾張と三河の行く末を見守ってくれ)ともう一度手を合わせて黙祷する奇妙丸。
「それでは、城内をご案内します。先に奥館で休息なされますか?」
未だ城内に落ち着く場所のない奇妙丸を案じて、城内の館に案内しようとする山口。
「そうだな、しかし、その前に城外で掃討戦の指揮を執っている梶川殿、平手殿に挨拶をしてくる」
「御意に」と引き下がる山口。
「我らも参ります」と政友、勝盛、呂左衛門、於八、於勝、伴一郎も従う。
まずは、城門の虎口傍に陣を張る平手隊からだ。
奇妙丸一行が近づくと、平手隊から朱色の鎧を身にまとった若武者が駆けてきた。
奇妙丸の前に膝をつくと、名乗りを上げる。
「平手甚右衛門 汎秀に御座います! 冬姫様より「奇妙丸様にご加勢を」と要請をうけ清州より直行して参りました」
平手軍は五百人ながら、政秀の息子、長政や久秀兄弟により鍛えられている精鋭だ。
「さすが、冬姫」と思わず口に出す於勝。
奇妙丸と意識が通じている所があるのか、危機を感じて奇妙丸の居る場所に後詰を送り込んでくるところが何とも不思議な能力だ。
「冬姫まで、それほど心配してくれるということは、伊勢の敗軍は本当の事だったのか?」
「はい、しかし信長様が素早く対処され、大河内城から打って出た北畠軍は撃退され押し込められました。
その後、瀧川一益殿を大将に、多芸御所を先に強襲して焼き討ちにしましたから、大河内城西門での敗軍は僅かなことであったと、織田軍は平静を取り戻しております。
依然、大河内城は柵で包囲されており、兵糧攻めにより、落城も間近ではないかと!」
城門から少し遠方に陣をおいて居た梶川軍からも、城から出てきた奇妙丸一行を見て、大将・梶川弥三郎高盛がやって来た。高盛は一ノ谷の飾りがついた兜に、茶色地に水野家の沢瀉紋が背に入った陣羽織を着ている。
まだ、奇妙丸と平手汎秀が会話中だったので、一同に会釈して途中からの話を聞いていた。
「ふむぅ。敗報は真の事であったか」残念がる勝盛。
信長の西門奇襲軍の中に、弓頭の自分が居れば、負けることはなかったという思いもあるのかもしれない。
「詳しい情報を有難う甚右衛門」
甚右衛門汎秀とは、正月に岐阜城で年賀の挨拶などで会話をしたことがある。その時、父・信長からは、平手家は祖父の代からの忠臣の家であるから将来にわたって大切にせよ、と何度か念を押されている。
「はいっ!」
赤武者姿の似合う、爽やかで好ましい男だ。




