178部:築山殿(つきやまどの)
奇妙丸達は、岡崎城に宿泊する事となった。奇妙丸にも五百の護衛の武士団が居るので、本丸と二ノ丸の境にある持仏曲輪に逗留し、奇妙丸の休息場には曲輪にある念仏櫓が宛がわれた。
城外に小瀬軍二千が待機している。岡崎に長居することは彼らへの負担となるので、明日にでも出立するつもりだ。
その旨は、於勝が清長に伝えに行く。
念仏櫓に入った奇妙丸は、窓から景色を見渡す。
「ついに、岡崎城まで来た」
「そうですね」と於八。
楽呂左衛門も三河平野を眺める。
矢作川を挟んで両側に広がる田園風景が綺麗だ。
山田勝盛は大役を終えたばかりだが、持仏曲輪の広場で五百騎を分けて、各隊持ち場の割り振りに忙しい。
奇妙丸は岡崎城外の東の森を見ていた。
「あの小高い所が築山だろうか? 築山殿に面会したかったのだが、様子だけでも知りたいものだ」
「特に物々しい警護はされていない様子ですね」
一郎左が森の様子を分析する。桜もうなずく。
「一郎左、桜、頼まれてくれるか」
奇妙丸の命を受けて、一郎左に桜が城外に忍び出る準備に取り掛かった。
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<本丸奥御殿、五徳の間>
「五徳姫、会議は終わったぞ」
二郎三郎信康が、五徳姫の待つ奥の間に戻ってきた。
「お疲れ様でした」
「義父殿はやはり凄いな」
軽くだが、五徳姫に父・信長の伊勢国司・北畠征伐の説明をする。
七万の大軍と聞いて驚く五徳姫。今川義元を迎え撃った時は二千五百の軍勢だったと聞いているので、七万人の陣容と言われても、まるで想像がつかない。
「義兄者は大変だな」
いろいろな意味を込めて出た信康の言葉だ。
「貴方様もそうではありませぬか」
「そうか?」
「はい」
五徳姫は、自分を判ってくれていると嬉しくなる信康。
「義兄上は、持仏曲輪の念仏櫓でご宿泊される。ご挨拶してくるがよかろう」
「信康様もご一緒に」
「兄妹、水入らずの方が良かろう」
珍しく遠慮する信康。信康の気遣う気持ちを嬉しく思う五徳姫。
「私は、弓術の稽古をしてくるとしよう」
そういって信康は、再び部屋を後にした。
*****
<築山殿の居館>
桜と伴ノ兄弟衆が、館を囲む。
まずは自分たちが見張られていないかを確かめる。兄弟衆を館外に残し、一郎左と桜が潜入する。
三河には恵那山であった隠密の伊賀服部衆がいる。もしもの時の為に備えなければならない。
一郎左の読みでは、あの時の彼らは信濃と越後の境に混乱を起こし、上杉と武田の対立を煽るのが主任務だった事が想像される。
本来なら、そろそろ三河に引き上げてくる頃だろうが、今は甲斐と相模の情勢が緊迫しているので、駿河方面の動向を探りに、続けて派遣され不在なのかもしれない。
比較的容易に、築山御前の館に桜と一郎左は進入することが出来た。
女性の声が館内に響いている。
「外が騒がしいが、いかがした?」
「家康様が岡崎に戻られましたが、明後日には出立されるご様子」
「浜松のお万の傍に居たいのだろう」
そういって立ち上がった築山御前は、柱に打ち付けて固定してある藁人形に針を差し込む。
「そ、その人形は?」
「家康を呪っているのです、あれはもう私の夫・松平二郎三郎元康ではありません」
「御方様・・・」
「奴が今川家を裏切った事で、我が父・関根親永は自害させられ、今また、今川家さえ滅んでしまった」
「御方様、お気持ちは解りますが」
「御前ではありません、瀬名姫と呼びなさい!」
「ははっ、瀬名姫様」と渋々呼ぶ大賀弥四郎。
「家康は、私の侍女であるお万にも手をつけて、私から奪ったのです。この屈辱」
わなわな震える瀬名姫こと築山御前。
「信長が、叔父・義元殿を討たなければ、今頃は今川家が将軍を擁立して、天下の覇者に名乗りでていたかもしれません」
「そうですね」
再び針を用意して、四方から人形に針を刺す。
「憎い、憎い!」
気持ちが昂ぶった御前が、大賀弥四郎にも怒り始める。
「大岡! なんとかせよ!」
大賀の今川家臣時代の姓を呼ぶ御前。大岡は関口家の執事として遠江に基盤を持つ名族だ。今川家が滅んだ現在は、大岡の姓をたばかって大賀と名乗っている。
「今は関口家に所縁のあるものを一人でも多く召し抱え、滅亡の憂き目にあった駿河衆を救いましょう」
築山御前を慰める弥四郎。
「ううう」
はたりと座り込む御前。
「信康は、今川家を再興する私のただひとつの希望。会いたい・・」
キッと弥四郎を見る。
「信康を連れて来ておくれ」
家康からは御前と信康を引合すことは禁じられている。信康が自分から動くことを期待するしかない。
「信康様も母恋しい時がございましょう。それとなく伝えておきます」
弥四郎にできることは御前の近況を知らせる事だけだ。
「信長が、私から何もかも奪ってゆくのじゃ、五徳姫めっ!」
床下からこの様子を聞いていた桜に一郎は、築山の生存を確認したので早々と館を後にした。
「五徳姫さえ、憎しみの対象にしているのだな」
一郎佐が呟く。
「病んでますね」と桜。
「致し方あるまい」
伴ノ衆の姿は、再び森の中に消えて行った。
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