168部:決闘
中央の土俵に織田奇妙丸、二郎三郎信康が向かい合う。
信康が待ちに待った場面が、もうすぐ実現されようとしている。
この日の為に、自分に厳しく鍛練を積み重ねて来たと言っても過言ではない。自分がただの二世だとは思われたくない。親の七光で自分の道を切り開くのではないと、三河衆に示したい。そして、妻、五徳姫に自分の男としての真の実力を、姫の兄を寄り倒すことで見せつけたいのだ。
奇妙丸は、信康の「必死さ」が解る気もするが、情熱も度を過ぎると痛い人間になると判っている。
奇妙丸の兄弟では三七郎や、従兄弟の津田坊丸が似たような性だ。
奇妙丸も父の跡継ぎに相応しく、織田家を背負う大器を備えねばならないと心掛けている、父のような突出した武将に憧れを持ってはいるが、父の半生を真似する事はできないと判っている。
自分とはあまりにも境遇や環境がかけ離れすぎていて、伝説となっている尾張統一戦争や、今川義元を討ち取った「桶狭間」のような経験を積むことは難しいだろう。
ただただ、父の背をおいかけ、後姿から学んで行くしかない。高い目標が決まっているので、今の自分を、周りの他人と比べるものではない。と、
そう思っている。
自分を動かしているのは父・信長への憧れだ。
「では、お二人とも、準備は宜しいですか?」
「「おうっ」」
行司を勤める事になった土肥助次郎に、二人が唱和するように応える。
「勝負!」
信康が大きな声で、威嚇する。
中腰になり見合う二人。
信康の鼻血は既に止まっているが、ニヤリと笑った口元には血の跡が残っていて、ゾっとするような迫力がある。
「八卦良いー!残った!」
土肥助次郎の合図で、信康が突撃する。
奇妙丸も同時に一歩踏み出し
「トゥッ!」
猛る牛の様に飛び出してきた信康の肩に両手をついて、反動を利用して空中へと跳ねる。
「なにぃーー!」
思わず驚きの声をあげる信康、
「「跳んだぁーー!」」
嘘のような奇妙丸の動きに、目を見張る観衆。
「スタッ!」と音を鳴らしながら、綺麗に両足を揃えて、奇妙丸が着地する。
「あぁっ」
勢いのぶつけ先が無くなった信康が、駆け抜けるように土俵の外へ落ちて行った。
「勝負あったー!!」
「これは、あっけない」
観衆たちは騒然としたが、勝ちは勝ちなのでまばらに拍手が起き、
「奇妙丸! 奇妙丸!」の掛け声が起きると、観衆たちは声を合わせて連呼し始め、
そして勝利を称える大歓声へと変わって行った。
岡崎の八人衆が土俵の外で腹這いになって地面を叩き悔しがる信康を助け起こそうと集まっている。
行司の土肥助次郎が奇妙丸の手を掴み、天へと掲げる。
「勝者!奇妙丸殿!!」
「「わあああああー!」」
奇妙丸が両手を挙げて観衆に応えた。
土肥助次郎が奇妙丸に囁く。
「驚きました、お見事でした」
「毎日、馬に飛び乗っていれば容易な事だ」
奇妙丸がニヤリとする。
「材木はどうなされるので?熱田に社殿を寄進されるのですか?」
助次郎は材木の使い道が気になる。
「武田家の我が許嫁、松姫の為に御殿を建設したいのだ、熱田で加工し、組み立て、それを解体して甲斐に運び込むんだ」
「甲斐で一夜城工法ですか、それは、面白いですな」
想像して、笑顔になる助次郎。
「武田信玄入道を驚かせたいのだ」
二人が土俵の上で会話している声も、歓声に飲み込まれて他の者には聞こえていない。
鵜殿長信をはじめとして三河の頭領達が、奇妙丸を祝福しようと中央の土俵に集まってくる。
興奮さめやまぬ観衆の後方で、突然、喧嘩がおきたような騒ぎが起きていた。
「危ないぞぉ、押すなあ!」
「押すなっ!」
「のけ、のけ!」
数十人の寄子達が観衆を割り、土俵に向かって突撃して来る。
寄子達に先導されながら、一騎の騎馬が境内まで押し入ってきた。
騎馬が信康の前で止まる。
「何を這いつくばっておるのだ、信康!」
信康からは逆光で表情が見えないが、厳しい声には聞き覚えがある。
「こっ、これは父上!」
「家康様?!」




