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織田信忠ー奇妙丸道中記ー Lost Generation  作者: 鳥見 勝成
第二十一話(岐阜編その2)
133/404

133部:金華

<金華山山麓、岐阜御殿「千畳敷きの間」>


信長が上座に座し、奇妙丸がその傍らに座る。

下座には両者の傍衆達がずらっと並んでいる。

広間の中央には関東から畿内にかけて詳細に記された地図が開かれて置かれていた。

全員が、緊張した面持ちでそれを見下ろしている。


「・・・以上が、最近の動向で御座います!」

万見仙千代達、傍衆が各自の情報源から入手してきた情報を報告する会合に、奇妙丸とその傍衆達が招待されていたのだ。

信長がひじ掛けを叩く。

「三河国内の動きが怪しい」

「そうですね」と奇妙丸が返事する。


「報告を纏めると、徳川家康を始め、水野信元、鳥居忠吉、大給松平親乗、三河誓願寺長老(内藤清長)がそれぞれ朝廷に献金するということだな」

「はい!」と勢いよく答える仙千代。

「山科言継の近辺からは、裏は取れているのか」

「間違えございませぬ」

山科家を訪問して情報を収集していた傍衆達が答える。

言継は有名な酒豪なので、岐阜城下の家臣達が入れ替わり立ち代わり訪問して酔わせては世間話から聞き出した成果だ。

山科家に出入りを許された楽呂左衛門も言継に劣らぬ酒豪であり、気持ちよく言継を酔わす事にかなりの貢献をしていたので、信長傍衆達の呂左衛門への信頼度は更に上昇中だ。

「であるか!」


「三河の諸豪がそれぞれに献金するという事は、家康は三河を完全には抑えきれぬ様子なのですね」

「判るか、奇妙丸」

奇妙丸の冷静な分析に安心する信長。

「家康は遠江の事で手一杯のはずだからな」

信長が、奇妙丸に直接政治を教えるためにこの場は開かれているようなものだった。


「三河の者達は、今川氏真が掛川を退去したことで、今川支配から解放されたと思い浮足立っておるのよ。

しかし、武田信玄が、駿河の次に遠江・三河国を狙っておることを能天気な奴らは気付いておらぬ・・」

信長が地図を指す。

(それにしても、朝廷は何故三河に使者を送ったのだろう? 争乱に巻き込まれていない浅井・朝倉が拠出しないのもおかしな話だ・・。

将軍直属の一色氏や波多野氏も、京都の傍にいるのに何をしているのだろう・・)

奇妙丸が父・信長に聞く。

「朝廷は、三河の諸豪が勝利により財を成したと思っているのでしょうか?」

「かもしれぬし、武田信玄から朝廷への勧めがあったのかもしれぬ」

(戦が終わった様で、新たな戦がもうすでに始まっているのだな・・)


「諸豪は、献金することにより何か益があるのでしょうか?」

素直に質問する奇妙丸。

「我が父・信秀は、朝廷の内裏修築の為に四千貫(40万疋)の銭を寄進したのだ」

「飛び抜けた額ですね」

「斯波武衛様、岩倉・清州織田家を凌ぐ実力を日ノ本中に見せつけた瞬間だ。そして朝廷より織田家の中でも別格の地位を認めてもらう事となった」

「なるほど」

(織田弾正忠家もそのようにのし上がったのか。同じ事なのだな)

「天下の織田家当主としては、家康達に同じ事をさせてはならん」

(それは、織田家が朝廷に支払うということだな)


「織田家の軍資金は大丈夫なのですか、父上?」

奇妙丸は、茶道具の一件が財政にどう影響しているのかが気になった。

「坂井政尚が但馬、佐久間信盛が河内、松永久秀が大和にて動いて資金を集めておる。長秀は現在200貫文(2万疋)なら余裕があると言っている。まあ、法要資金ならばその辺りが妥当だろう」

「他の三河の諸豪は、どれほどの資金力があるのでしょう」

「それぞれ50貫(5千疋)は用意できるかもな。鳥居家は蓄財に専念していた為、家康帰還の際には大部分の貯蓄を返上したそうだが、まだ隠していた財があるのだろう。

大給松平家は、徳川家の最大の競争相手である桜井松平家と縁戚関係にあり岡崎に従うつもりはないと言う事だ。

誓願寺の内藤清長は、三河一揆に加担し責任をとって隠居はしているが自立を諦めてはいないということだろうな。

知多の水野信元も、岡崎とはそれほど財力は変わらぬ。どんぐりの背比べだな」


「皆、大名として認められたいのですね」

「しかし、こうも勝手に朝廷との連絡を取られては示しがつかぬ」

「では、献金はさせぬということですか?」

「いや、せっかくだから金は出させよう。しかし、この先、奴等にはこれを口実として余の為に前線で働いてもらう」


信長が傍衆達をギロリと見回す。

「三河の奴らの動きを監視する軍監を派遣せねばなるまい」

「目付制度を導入してゆくのですね」

「赤幌衆・黒幌衆の面々は心しておけと伝えておけ」

「承知いたしました!」

「では、この案件は伝十郎に任せたぞ」

「はっ!!」

即座に大津伝十郎が早馬を出す為に駆けてゆく。


父・信長の思想を引き継ぎ、織田家を運営して行きたいが、父にどこまで迫れるか。

当主は時に、心を鬼にせねばならぬと肝に銘じる奇妙丸だった。


その後、

鳥居家は忠臣の誉れ高いはずなのですが、有名な鳥居元忠はじめ、皆、家康の戦いの中で使い捨てのような扱いで消されていきます。

大給松平家の親乗は1575年滝脇松平家に急襲され尾張に逃亡と言うことにされています。

内藤家は清長以下、総入れ替えのような養子継承の状態になります。

水野信元は武田に通じたと誅殺され・・。

家康は怯える状況だったのでしょうか。


現代人として一歩引いて当時の状況を見ると、江戸時代に成立した「忠節マゾヒスト」三河武士の美談的なものは、子孫の為に無理やり好意的に解釈したり事実を消して、泣き寝入りしているものなのかなとも思えます。


ここでは、三河は群雄がそれぞれの道を模索していたという状況で話を進めたいと思います。

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