132部:平安
<山麓、信長居館の岐阜御殿>
http://17453.mitemin.net/i186276/ 岐阜御殿イメージ図
信長の側近・大津伝十郎が、会食の準備が出来たと奇妙丸を呼びに来た。
奇妙丸に続いて、奇蝶御前も部屋に案内される。
桜がお茶を煎れて運び給仕につく。
側近衆・万見仙千代達がそれぞれのお膳を運んでくる。
三人で膳を囲んで食べ始めた。父・信長と奇蝶御前は、直接の会話は無く奇妙丸に個々に話を振って来るが、奇妙丸が両方に話題を取り結んでもお互いの目を交わす事もない。
その様子を見て、奇妙丸以上に桜は緊張している。
「母上に、面白きものをご披露いたします」
*****
隣の部屋に退出する。
楽呂左衛門は、信長近習にとってまだまだ得体の知れぬ南蛮人なので、大津伝十郎、万見仙千代、長谷川御竹が楽呂左衛門を囲んで監視していた。
正座し背筋を伸ばして待機している楽呂左衛門を見て、異国人の立場を思う奇妙丸。
「呂左衛門、来てくれ」
楽呂左衛門を連れて部屋に戻る。
南蛮人の登場に、口に手を当てて驚く奇蝶御前。
部屋の片隅に座り、ギターラを構える楽呂左衛門。
ビーン♪、ビーン♪。
弦を一本ずつ何度も鳴らして、音の調節をする。
奇妙丸には音の違いがいまいち、判らない。
桜は楽呂左衛門の一挙手一頭足を油断なく見ている。
弦の音程が決まってご機嫌になった楽呂左衛門。
ジャジャーン!♪
とギターラを掻き鳴らす。
「これ、楽呂左衛門、空気を読め」
小声で突っ込む奇妙丸。
楽呂左衛門がニヤリとして、親指を立てて奇妙丸に合図を送る。
「良し」と頷く奇妙丸。
楽呂左衛門はギターラを静かに奏で始めた。
「珍しい音ですね」と帰蝶。
「南蛮の楽器の音色だ」と信長が応える。
「聴いたことがない、素敵な音楽です」
しばらく演奏を聴き入る四人だった。
*****
楽呂左衛門の演奏が終わった。
奇蝶御前は、新鮮な音楽との出会いに気分が昂ぶっていた。
「楽呂左衛門とやら」
「はい」
楽器を横に置き、両手をついて頭を下げる。
「そなたの生まれは何処じゃ?」
「ヨーロッパ地方のイタリアという国でございます」
「イタリア?はじめて聞く国の名じゃ」
「どれほど、遠いのだ?」
信長も楽呂左衛門に問う。
「片道2年程の船旅になるでしょうか」
これほど髪と肌の色が違うのだ、そういうこともあろうと納得する。
「それはまた遠い。水や食べ物がつづかぬのう」
奇蝶御前が現実的に船旅の航程を考える。
そして、矢継ぎ早に質問を浴びせる。
「その国は、どの方向にあるのだ?唐国、天竺、その向こうが南蛮か?」
「左様でございます。天竺からは更に4倍の船旅をせねばなりません」
「おお」驚きに溜息の様に声が出る奇蝶御前。
「それ程の距離を、お主達は何を求めて旅をしてきたのだ?」
信長が南蛮人の欲するものを聞く。
「黄金ですね」
楽呂左衛門がニヤリと笑う。
「黄金か」
納得したように頷く信長。
「唐国がモンゴルという帝国の時代に、大陸の西と東の世界がひとつの大帝国に支配されました。そしてシルクロードという砂漠の中を通る道が繋がりました。
その時、ヨーロッパの商人が陸路を通り東アジアに来てモンゴル帝国の皇帝に仕えました。
歳をとってから故郷に戻った彼は、海を越えた東方に黄金の国ジパングがあると書き残しました」
「その黄金の国が日ノ本だというのか?」
と問いただす奇妙丸。
「場所的には間違えありません」
信長が補足する。
「おそらく、当時の唐国は元朝と呼ばれていた頃だ・・、
日ノ本は、高麗を従えた元朝によって攻め込まれた。
高麗・元の連合艦隊が、北九州に上陸して略奪と殺戮を行ったが、鎌倉幕府の御家人達が少弐氏を中心に立ち上がり、帝国軍を撃退したのだ。日ノ本は帝国に飲み込まれることはなかった」
奇妙丸は、日ノ本が攻め込まれていたことにも驚いたが、そのような強大な国家が、海の向こうで成立し、西と東の国々を統一して、一つの帝国になっていたということに更に驚いた。
「そのような強大な帝国と、それを統べる偉大な皇帝がいたのですね・・」
「しかし、あまりに領土が広大だったため、数代で帝国は分裂してしまったらしいがな」
信長は宣教師たちからもヨーロッパの話を聞いていたのでその辺りの事は誰よりも詳しい。
「先月会った宣教師たちは、自分たちの目的は理想郷、仏教で言う平安楽土を求めて来ていると言っていたが、黄金も欲しているのか?」
「彼らは各地の黄金を元手にして、人々の魂の救済の為、世界中に教義を拡げるべく活動しているのです」
「ふむぅ」
顎に手をあてて宣教師の心情を考える信長。
「方法は違うが、余も宣教師たちと同じことを目指しているのかもしれぬ」
「日ノ本にそれほどの黄金があるのですか父上?」
世界の経済状況は判らないが、日ノ本がその書物に記された黄金の国なのか不思議に思う奇妙丸。
「聞いた話では、奥州、更に蝦夷ケ千島にはまだまだ金脈が眠っているというな」
奇妙丸も陸奥の伝説は聞いたことがある。
「奥州藤原氏のいた平泉ですね、確かに昔は黄金の平泉と呼ばれていましたが。
今、その地に行くまで間には武田や北条に上杉、衰えたとはいえ関東公方や、配下の佐竹、葦名、それに伊達氏。群雄がひしめき合っていますね・・」
「奇妙丸、将来は北に向かって突き進んでみるか?」
「そうですね、安藤氏の様に秋田城介として奥州を平定し、更に征夷大将軍となって蝦夷に向かうのも面白いかもしれませぬ。
そうだ、楽呂左衛門、私と一緒に東北、更に向こうにあるという蝦夷ケ千島で黄金探しをするか?」
「願ったり叶ったりです」
「はっはっは、正直なやつだ」
「そのほうは、黄金を見つけたら、帰るのですか?」
と奇蝶は楽呂左衛門のその後の事が気にかかる。
「漂流の中で、私も自分の平安楽土(理想郷)を見つけたいと思うようになりました」
「お主の言う平安楽土とは、どんなものだ?」
「ヨーロッパは帝国が割拠し、キリスト教徒とイスラム教徒との宗教上の争いが何百年と続いております。私が求めるのは互いを認めあえる寛容な心の人々がたくさん居る、誰もが幸せに暮らせる争いの無い国に御座います」
「日ノ本でさえ百年以上争いが続いている。そのような思想を持つ誰かが天下を治めて導かねば、そうはならぬだろう・・」
「織田信長様なら、この国を、いえ世界をひとつに出来るのではないですか?」
「はっはっは。嬉しい事を言ってくれる」
「日ノ本を統一して、お主達の国まで行って世界の争いを治めるか。しかし、人には寿命というものがある。それは奇妙丸達の世代の仕事だな」
信長から振られた話の、その期待の重さを理解して目がくらむ奇妙丸。
「壮大な話です」
「そうだな、しかし、こうして目の前に楽呂左衛門が居る。世界を旅する船を造り、命を懸けてここまで航海してきた男がいる。 人に出来ぬことは無いと思わぬか?」
信長の瞳が熱い。
「父上を見ていると勇気が湧いてきます」
「はっはっは。そうかそうか」
「ほんに、茶道具に命を懸けるなど」
チクリと刺す奇蝶御前。
「そうだな、義龍の茶器などもう、どうでも良いな。 奇蝶、その・・」
奇蝶が、信長は何を言いたいのか察した。
「茶道具の件はもうよろしいですか?」
「すまなかったな、この一件は水に流してほしい」
(お、父上が謝った!)
「うふ」
「なんだ?」
「好きですよ、信長様」
「うむ。わしも、愛している」
茶道具の一件での蟠りは解決した様子だった。
(良い仕事をしてくれた)
両親の仲直りに奇妙丸は「ほっ」と胸を撫で下ろしたのだった。
「楽呂左衛門、もう一曲、何か弾いて下さいませぬか」
気分を良くした奇蝶御前が所望する。
「承知いたしました」
和やかな雰囲気で会食が進んだ。冬姫を連れてきてやれなかった事が残念だが、三人にとっても久しぶりの家族の団欒だった。
しばらくして、ギターラの演奏を終えて、静かに退出する楽呂左衛門。
信長の近習達はもう、先程の様な警戒感を態度には現さなかった。
奇妙丸と桜も、早めに暇をもらって退席した。
大仕事を終えた気分で、奥御殿に引き上げる三人。
奇妙丸が立ち止まって楽呂左衛門を見上げる。
「楽呂左衛門、私と平安楽土の実現を目指してくれるか?」
奇妙丸の素直な気持ちだった。
片膝をついて、胸に手を当て、頭をたれる楽呂左衛門。
「承知いたしました、我が君」
桜の楽呂左衛門への警戒心も和らいだ。
奇妙丸が、
「ありがとう」
といって、楽呂左衛門を立ち上がらせようと手を差し出す。
楽呂左衛門がその手をとり握手する。
理想郷を目指す主従の契約が成立した。
「私が見届け人です」
桜も二人の夢の実現を最後までみるつもりだ。
第20話 完




