129部:近江ノ方
<尾張国清州城、二ノ丸御殿奇妙丸の間>
織田家の信長直属の使番・赤幌衆の毛利河内守秀頼が清州城に現れた。
父・信長により、岐阜城に呼び出された奇妙丸。
毛利河内守秀頼が何か不都合な事を上申したのではないだろうかと、心配する梶原於八に森於勝。
生駒三吉も、奴は何を考えているか判らぬと同僚を警戒していた。
用件が何かは判らないが、急いだ方が良いだろうと冬姫をはじめ全員の意見が一致したので、
奇妙丸は最少人数の傍衆達を率いて岐阜城へと向かった。
奇妙丸の帰還に合わせて、留守居の池田正九郎が玄関まで出迎えに来てくれていた。
「おかえりなさいませ、我君」
「うむ、元気そうでなによりだ」
久々の再会に、正九郎が嬉しそうに寄ってくる。奇妙丸の荷物を運びいれる手伝いをしようとして、荷車に載せられた箱が目に付く。
「そのお荷物は?」
「松だ」
「・・・・・」
返事に困る正九郎。
「松姫から送られた松なのだ」
なるほどと得心の言った正九郎は、それ以上の事は聞かなかった。
「若様がお戻りになられたら、奇蝶様が真っ先に顔をだすようにとおっしゃっていました」
「うむ、承知した」
次々と舞い込む用事に、何か悪い予感がする奇妙丸だった。
*****
着替えをすませて、真っ先に奇蝶御前の部屋に向かった。
廊下ですれ違う奇蝶御前付きの女中達が、奇妙丸が通ると気まずそうに眼を伏せる。
何かいつもと違う御殿にやや不安を感じながら、奇蝶の部屋を訪ねた。
奇蝶は何かに怒っているような様子だった。
「母上様、気のせいか屋敷内が緊張した雰囲気があるのですが」
「信長様が、兄・斎藤義龍殿の後家である近江ノ方に、義龍殿が将軍義輝様から頂いた茶道具を出せとおっしゃっているの」
「そのようなものが、あるのですか?」
「近江ノ方は、義龍殿の茶道具は稲葉山落城の時に紛失したと言っているのですが」
「茶道具ですか・・」
「信長様の手の者が、近江ノ方の屋敷を家探しするというの」
家族とも言える方に、あまりの無礼なのでは? と父・信長の行動に驚く。
「近江ノ方は自害するとまで言って拒否されました」
「私は斎藤家の娘ですから、一度は敵対したとはいえ、やはり一族を守りたい。兄上の奥方・近江ノ方から頼みですので、同じ一門となった誼、彼女の願いを信長様に聞き入れて欲しいのです」
「それで、父上と喧嘩なさっておられるのですか」
(母上様は、家族の繋がりを大切にされたいのだな・・)
「無理やりにでも茶道具を取り上げるのなら、私も自害するって言ってやりましたよ」
「じ、自害とは」
「私も命を懸ける覚悟です!」
奇蝶御前の怒った表情をみて、初めて怖いと思った奇妙丸。このような母は見るのは初めてだ。
「母上様が、そうまでおっしゃるなら私も。 私がなんとか・・」
母の力になりたいと思う奇妙丸。しかし、それは父に反抗するという事だ。
「義龍殿の形見の品、人それぞれ思い入れがあるものです」
「その気持ちは判ります」松の盆栽を思い出す奇妙丸。
「茶道具をどうされようとしているのでしょう?」
「堺の今井宗久、京都の長谷川宗仁とやらがやって来ています。そやつらに斎藤家の茶道具を売るおつもりかもしれません」
「質に入れる様なものですね」
奇妙丸も松姫の為に壮麗な御殿を早く建てて、松姫の事を岐阜に迎えたいと思っている。
御殿普請の為には、その資金と、資材と、人材を揃えなければならない。
父がどうして名物茶道具に固執するのか、その原因を考えてみた。
遠江、伊勢、河内、摂津、近江、山城。
織田家の戦線はこれ以上はない程に広がり、奇妙丸の守役である塚本小大膳まで伊勢遠征軍に狩り出され、はや二か月が過ぎようとしている状況だ。
「父上は、戦線が拡大して費用の工面に困っておられるのですね」
「どこかに金山や、銀山が発見されるとよいのですが・・」
「あ!」
思い当たることがあった。京都に進駐している坂井政尚と木下秀吉が、山名家の領国である但馬国に遠征していると聞いている。
「父上も手を尽くしているのだな」
もし、但馬の生駒銀山奪取の作戦が上手くゆけば、斎藤家の茶器など保障にすることは不用になるかもしれない。
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<岐阜城本丸、物見楼閣>
奇妙丸が控えている部屋に信長が現れた。
「息災か奇妙丸」
「はい、父上」
(父はいたって冷静な様子だ。本当に近江ノ方の屋敷を襲撃するつもりなのだろうか?)
「草薙剣は熱田に戻す、川口宗勝を剣と共に遣わす」
「父上、御見通しでしたか」
「朝山日乗と明智光秀が、将軍の手の者から取り戻してくれたのだ」
「なんと」
(どうやって、あの船の行き先を掴んだのだろう・・)
怪訝な表情の奇妙丸に、信長が続ける。
「あの二人は使える者達だ、いずれ紹介しよう」
「有難うございます。其の者達には私からもお礼を送ります」
(どういう経緯で剣を得たのか確認せねば)
「それから弥富服部衆の赦免の件は許す、ただし荷之上領返還の件はしばし待て」
「判りました。御赦免を頂けただけでも、有り難いです」
「義昭の将軍就任とともに外交上の問題が多発していてな。都から朝廷の御使者が多数下向されているので、余は身動きがとれぬ」
「三河に向かうと言い張る武家伝奏の山科言継殿を岐阜に足止めしたいのだが、その間、貴人の納得する接待がしたい」
「朝廷からの御使者ですか」
「山科家は宮廷の楽奉行を勤める家柄だ。舞踊、雅楽の楽道を極めた言継殿を、芸道で納得させるのは並大抵のことではない。ここはお主がなんとかしてみせよ」
「はい、父上」
(やはり、山科殿のご用件は、先皇の十三回忌の法要にかかる予算の工面なのだろう)
「父上、母上の事なのですが・・」
「なんだ?」
ピリっと空気が張り詰める気がする。
「三人で食事する機会を作っていただけないでしょうか?」
「うむ。 後ほど連絡する」
「はっ」
ここは課題を持ち帰り、考えるためにひとまず退出した。
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