128部:日乗
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<伊勢四日市湊>
薄汚れた旅僧姿をしている一人の僧侶が、街道の茶屋で鱒の串焼きを頬張りながら街道を行き来する人を観察していた。
この小柄な僧侶・朝山日乗は、この春にルイスフロイス及びロレンソと、信長のご前にて宗論に及んで、ロレンソを切り殺そうとしたところを信長に羽交い絞めにされ止められた事がある。
現在はキリスト教排斥を胸に抱きつつ、朝廷の為に禁裏の生活費金を収集する活動を続けていた。
そこへどことなく気品のある武士が街道を馬に乗り闊歩している姿を見かけた。
(あれは、細川殿の中間だった明智十兵衛とかいう・・。陪臣から直参になったというし使える男かもしれん)
「明智殿ではありませんか」人懐っこい笑みで駆けよる日乗。
「朝山日乗殿?」
「珍しい所でお会いしましたね。将軍様直参の足軽大将に就任されたそうで、おめでとうございます」
「はっは、有難うございます」
「今はどのような御用向きで?」
「私は将軍様の命で織田家と北畠家の仲介の任を担って参りました」
「では、このような所ではなく前線に用事があるのでは?」
日乗の質問には答えず、切り返す光秀。
「日乗殿は何故ここに?」
「皇室の生活費用の工面を頼まれておりまして。正親町天皇様の綸旨があっても、将軍様の許可がないと世の中は動かぬものなのでな」とチクリとキリスト教排斥を邪魔する将軍や信長を皮肉る。
「いやいや、ご苦労な事です。日乗殿のおっしゃる事は判りますが、今の政治は天道の下で将軍様と信長様が天下を動かして御座います」
「明智殿、明智殿を信頼できる侍と見込んで聞くのだが、将軍様と信長殿、お二人に貸しを造る良い方法は御座らぬか?」
日乗が何を言いたいのだろうと訝しむ光秀。
「光秀殿は、あの後醍醐天皇の忠臣であった土岐殿の御子孫であろう? この日乗、朝廷には深く信用されております故、光秀殿が何か忠義の心を示して下されば、私が正親町天皇までも明智光秀殿の名をお耳に入れて進ぜますぞ」
「天皇様に・・」
しばらく考え込む光秀。
「日乗殿・・、良い方法が御座いまする!」
「なんと?」
人目に付くので、場所を変えて、光秀と朝山日乗の密談は壱刻(2時間)程に及んだ。
光秀は朝山日乗を伴って、将軍からの使者として、織田家の伊勢攻めの総大将・瀧川一益の陣所を訪ねた。
一益は北伊勢の諸豪を攻略する際に、光秀の知り合いである勝恵和尚に説得工作を頼んでいたので、光秀とは旧知の仲だった。
「なるほど、草薙剣が・・」
「彼らが湊に上がり宿に入ったところを包囲して頂ければ、あとは我らが上手く説得しますゆえ」
一益が決断する。
「では、与力の川口宗勝殿に陸上を、佐治為興殿には海上にて動く事にいたしましょう」
こうして瀧川一益は、明智光秀に織田家の手勢を分け与えて、千秋輝季一団の捕縛に向かわせたのだった。
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<熱田羽城、本丸館>
松姫への手紙をしたためる奇妙丸。
津島や、熱田の事を書いて自分の様子を伝える。
熱田の地で神話を思う奇妙丸は、日本武尊を想い海に身を投じた弟橘姫に、日本武尊の帰りを待ち続けていた美夜受姫の事が気になった。
「松姫は、弟橘姫命と美夜受姫命の様な生き様の女性をどう思われますか」と、最後にしたためて木箱に収めた。
これを明日は川尻吉治に託すつもりだ。
翌日、熱田神宮の境内にて、冬姫と共に楠木の苗木を植樹した。
「太い幹に育つと良いですね」
奇妙丸の隣で、冬姫が手を合わせて願っている。
「これからの織田家を見守っていてほしい」
苗木に向かい手を合わせる二人と傍衆達、熱田神宮の宮司や町衆も、自然と手を合わせて祈る。
奇妙丸達を囲んで熱田の静謐と、草薙剣の帰還を願うのだった。
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・・・しばらく後、松姫からの返事が届いた。
松姫からは、黒松の苗木とともに、手紙には
「お二人の様に、人を愛せるようになれると良いですね」と記されていた。
松姫からの松は盆栽にして、奇妙丸が持ち運べるように準備されたものだった。
清州城の中庭で松を眺める奇妙丸と、於八に於勝。
「盆栽か・・」
「渋いですね・・・」
「である」
今は伊勢の木造城後詰に遠征している爺・塚本小大膳に、盆栽づくりを一から学ぼうと思う奇妙丸だった。
第19話 完
その後、草薙剣は信長の手元を経由して、熱田神宮に無事に戻る。
神剣は自ら戻ってくるのである。
と、熱田神宮神職の面々は草薙剣の霊力を信じていたので慌てはしなかったのだ。
朝山日乗は、信長から伊勢に千石の知行を得て、京都に凱旋する。
明智光秀は、将軍の足軽大将でありながらも、今までの勲功から美濃安八郡に四千石の知行を得た。
朝山日乗のつてで朝廷内の供御人や下司達とも付き合いが出来た明智光秀は、更に信長の信頼を勝ち得て、幕府と朝廷内で織田家の代弁者でもある地位を確立してゆくのである。




