127部:浜
<伊勢湾を横断する、師崎関船の船中>
「輝季殿、本当に将軍様からご褒美を頂けるのであろうな?」
近江甲賀黒川衆の首領・黒川玄蕃佐が、ひと際華美な直垂を身にまとった武将に詰め寄る。彼は黒川衆から受け取った御神宝の入った縦長の木箱を赤子を抱く様に大事に抱えている。
「はっはっは。この千秋! 刑部少輔輝季にお任せあれ!」
近江六角家の重臣でもあり、忍者の首領でもある黒川に凄まれても、軽く受け流し動じない千秋輝季は、かつて剣豪将軍・足利義輝の寵臣だった男だ。
現在は新将軍に就任した足利義昭に仕えている。
この関船の船長である千賀為親が黒川を横目に見ながら千秋に行き先を確認する。
「伊勢四日市湊に向かえば良いですか?」
「そこらへんが手薄じゃ、そこへ向かって下され」
「分かり申した」為親が不安げな表情を見せる。
それに気付いた黒川が為親に理由を問うた。
「実は、草薙剣の呪いがあるのではないかと?」海の男は迷信深いのだった。
輝季が千賀為親を馬鹿にしたようにニヤリとする。
「熱田千秋家の血を引く私がいれば大丈夫!」
自信をもって胸を叩く輝季。
「ふむ、そうゆうものかな?」
黒川は迷信など信じてはいない。それゆえ草薙剣を盗むという行為も実行出来た。
「そうです」輝季はあくまで自信家だ。
「剣豪将軍様も三好家に討たれる時代だからな・・」
千賀為親はまだ不安を感じている。寵臣だった輝季は将軍・義輝を守り切れていないからだった。
「だからこそ、この宝剣が必要なのですよ!」
ついには怒り出した輝季。
「まあよい。急ごう!」
黒川玄蕃佐が為親の背を叩いて気合を入れた。
汐風を受けて伊勢湾を関船が横断する。
*****
<熱田湊>
早朝、奇妙丸と冬姫は傍衆達と熱田の浜辺へ散歩に出かけた。今日は熱田神宮へ再度参拝に行く予定だ。
「尾張の海ですね!」
池田お仙とお久が溜まらずに波打ち際に駆け出してゆく。
「きれいな砂浜です」
お久が掌で海の水をすくい上げる。
「しょっぱい!」
お仙が海水のついた指先を舐めていた。
「ハハハッ、やはり海の水はしょっぱいな」
生駒三吉もすくった海水を口に含んでみた。
「神代から尾張の人々はこの海を見て来たのですね」
桜がつぶやく。
「日本武尊も、ここから東国の事を思ったかもしれないな」
奇妙丸は砂浜を歩きながら神話を思い出していた。
於勝はすでに服を脱ぎ去って海を泳いでいる。
砂浜で戯れている両者の傍衆達を見ながら、冬姫が呟く。
「戦いは怖ろしいものですね」
「冬姫、勇ましかったぞ」と奇妙丸は冬姫の勇姿を思い出していた。
「実は、脚が震えておりました」
「初陣はそのようなものだ」
「兄上様は怖くはなかったのですか?」
「私は父上の前ではいつも緊張しているので、戦いの時は不思議と平常心だな」
「わかる気もします」
「あはははっ」二人が笑う。
冬姫に笑顔が戻り、安心する奇妙丸。
砂浜に腰かけて、波打ち際の水と砂の動きを観察する。
冬姫は隣に座り、近くにあった桃色の貝殻片を拾いあげる。
「見て下さい、穴が開いています」
「紐を通せば飾りにできるな」
「そうですね」と言って、大切に懐にしまう。
「四道将軍に、日本武尊。かつて日本をひとつにした人達がいたのですね」
「あやかりたいものだ」
「さねしさね 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも」
海を眺めながら冬姫が唄を歌う。
穂積ノ弟橘姫が、海に身を投じる時に日本武尊を想い詠った詩だ。
(原詩は「さねさし」だから「さねしさね」に替えて詠ったのか)
冬姫をみながらぼんやりと思う。
日本武尊を思う弟橘姫もこのように美しかったのだろうか。
草薙剣はないが、奇妙丸の相州貞宗が冬姫の唄に共鳴しているように思えた。
「兄上様、熱田神宮に楠木を植えて帰りませんか」
冬姫が奇妙丸の方をむいて、笑顔で提案する。
「そうだな。何百年か先に私達の子孫が触れるかもしれない。私達がこの時代に生まれた証だ」
「ありがとうございます。嬉しいです」
久々にゆっくりと時間を過ごした奇妙丸達だった。
*****
「さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも」
*さねさしは相模の枕詞で、意味は不明とされる
(詩の意味)弟橘姫が相模の野で火攻めにあったときに、囲まれた炎の中で日本武尊が弟橘姫をかばって助けようと声をかけてくれた事に感謝している、自分もその時の武尊の気持ちに応えて、荒れる海を鎮めるためその身を海の神に捧げて日本武尊を助けたいという意味と解釈されている。
しかし、襲撃を受けた場所は遠江の焼津とされ、相模とは別のところともいう。
「さねさし」を「さねしさね」と変えることで、「添い寝した」の意味と置き換えて、弟橘姫の想いを戦いとは切り離して読むことはできないものだろうか、と考えてみました。




