112部:長嶋城主、伊藤掃部助長時
河口に待ち受ける織田方の瀧川船団。
その突破を試みた弥富服部船団。
大安宅船の壱番船を追うのは、蟹江城から出撃した瀧川忠征率いる瀧川船団だ。
弐番船と参番船は、上流から追跡する津島の船団と、小木江の船団にも包囲され、敵の倍以上の安宅船が服部船団の後続を包囲する形となる。
弐番船は瀧川船団の集中砲火により大破し船体は横向きに倒れている。水面から浮上している部分も炎上し黒煙をあげていた。服部政光率いる弐番船の乗員は小型の関船や小早船に乗り移り、弐番船からは退船していた。
参番船は佐治新介益氏配下の奮戦により織田方のものとなり、船長の服部政治は討たれた。
弥富服部衆の壱番船は、巨体に木曽川の流れの追い水を受けて、通常よりも早い速度で伊勢湾に向かってゆく。
「おい、長嶋の方向からも船団が来るぞ!」物見台の見張りが甲板の乗員に大声で知らせる。
「援軍か?」
「伊藤の軍船だ!」
「長嶋の伊藤氏が出張ってきたか!?」
杉江長島願証寺と長く抗争している長島城主・伊藤掃部助長時の船団が、船戦の黒煙を見て出陣してきた。
「ええい。逃れられぬか」側壁を叩く山路弾正。
悲壮な表情で決意を語る服部政友。
「山路殿、玉砕覚悟で矢玉尽きるまで、戦いましょう」
「嫌、生き延びる事が肝心だ、なんとか逃れて、杉江の願証寺にて会おう!」
「分かりました」
ここで二手に別れて逃れることを選んだ山路弾正と服部政友。
山路衆は小早船数隻に乗り移り、大安宅船から離れ、東西逆方向へと進み、伊藤氏の船団に向かってゆく。
長嶋湊から出向した伊藤長時は、長島七島を支配していた伊藤(長野)重晴の後裔だ。
文亀元年(1501年)、本願寺蓮如により杉江の地に願証寺が創建されてから、周辺には無数の寺院や道場が建立され、揖斐川、木曽川、長良川の河口付近一帯は、一大宗教地域となった。
領主の伊藤氏は、門徒衆の団結によりその支配を脅かされ、次第に対決する事となっていった。
天文元年(1532年)顕正寺証恵は伊勢長嶋城主・伊藤(長野)重晴に勝利し、その自治を勝ち取り、現在は伊藤縫殿助を籠絡して伊藤一族を分断している。
伊藤長時は織田方に属し、領主としての地位を保っていた。
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