後日談 甘さは別々、席は隣
工程表は前の晩に作った。
土曜、十四時に駅の改札で待ち合わせ。歩いて十分の喫茶店に十四時十分。閉店は十九時なので、今度は時間がたっぷりある。備考の欄には「焼きプリン(数量限定)」と書いた。前と同じ字で、前と同じ場所に。
書き終えてから、つい欄を一つ足しかけた。喫茶店のあと、駅ビルの木工の展示。その下にもう一つ、駅の反対側の雑貨店。
そこで手が止まった。
雑貨店は前回、直人さんが墨壺に夢中になって、閉店まで出てこられなかった店だ。
私は一人で笑って、二つとも消した。
当日の朝、念のため店に電話をした。焼きプリンは今日もありますか、と聞くと、電話の向こうで店の人が少し笑って、ありますよ、と言った。
十四時より前に着いたのに、改札の前で直人さんはもう待っていた。紺のコートに、いつもより少しだけきちんとしたマフラーを巻いている。
「こんにちは」
「こんにちは。工程表、ありますか」
「あります」
スマホを見せると、直人さんは画面をのぞき込んだ。
「一行ですね」
「一行です。本当は三行あったんですけど」
「残りの二行は」
「消しました。まずはこのカフェです」
直人さんは少し考えてから、うなずいた。
「僕も、雑貨店の前は早足で通ります」
「お願いします」
駅の反対側に出ると、本当にその雑貨店があった。店先に古い鉋が並んでいる。直人さんの歩く速さが、ほんの少しだけ落ちた。
「直人さん」
「通ります」
宣言どおり、直人さんは鉋の前を通り過ぎた。二歩ぶんだけ振り返っていたけれど、それは数えないことにした。
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前に来たときは閉店の札が下がっていた扉に、今日は「営業中」の札がかかっていた。
扉を開けると、珈琲の匂いと、焼いた砂糖の匂いがした。テーブル席は埋まっていて、空いていたのはカウンターの端の二つだけだった。並んで座る。
メニューを開いて、私が迷っているうちに、直人さんが店員さんに言った。
「ウインナーコーヒーを、クリーム多めで。それと、ブレンドを深煎りでお願いします。焼きプリンを二つ」
私は直人さんを見た。
「まだ言ってないです」
「違いましたか」
「合ってます。クリーム多めまで合ってます」
「ホイップの多いほうが一号なので」
真面目な顔で言われて、私は笑ってしまった。一号の話は前にも聞いた。それでも、注文の言葉になって出てくると、また別の嬉しさがある。
飲み物が先に来た。私の前には、クリームが山になったカップ。直人さんの前には、底が見えないくらい黒いカップ。
並ぶと、やっぱり白と黒だった。
「一口、いりますか」
「今日はやめておきます。ひよりさんの分が減るので」
「減ってもいいですよ」
「僕はこっちが好きなので」
直人さんはブラックを一口飲んで、少しだけ目を細めた。おいしいときの顔だ。最近、それが分かるようになった。
焼きプリンは固めで、カラメルが本当に苦かった。
「苦いです」
「苦いですね」
「でも、甘いです」
「上が苦くて、下が甘い」
「直人さんはどっちが好きですか」
「上です」
「私は下です」
一つのプリンで、好きなところが別々だった。それが可笑しくて、二人で少し笑った。カウンターの向こうで、マスターがカップを拭きながら目を伏せている。
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プリンが半分になったころ、私はスプーンを置いた。
「直人さん。今日の分、言ってもいいですか」
「どうぞ」
「今日の直人さんの好きなところは、私の飲み物を先に頼んでくれたところです」
直人さんは一度瞬きをして、それからカップを置いた。
「今日のひよりさんの好きなところは、工程表を自分で一行にしたところです」
「それ、褒めてますか」
「褒めています。かなり」
「消した二行は、来月の工程表に入れておきます」
「そのときは、僕も鉋の前で止まります」
「止まるのは五分までです」
「五分、確保します」
言い合ってから、二人とも前を向いた。カウンター席でよかったと思う。向かい合っていたら、たぶん顔を見ていられなかった。
しばらくして、直人さんが言った。
「それと、昨日はこれも嬉しかったです」
コートのポケットから、四つ折りの小さな紙が出てきた。広げると黄色い付箋で、私の字で「おるすばんへ 明日は工房をよろしくね」と書いてある。
昨日の帰りに、工房の棚に貼っていったものだ。
「持ってきたんですか」
「昨日、ひよりさんが帰ったあとに見つけました」
「昨日のうちに言ってくれたらよかったのに」
「実物を見せたかったので」
ちょっとした落書きのつもりだった。それを一晩とっておいて、四つ折りにして持ってきてくれた。私はプリンの残りに目を落とした。
前なら、これは翌朝のメッセージで届いたと思う。昨日言いそびれましたが、と丁寧な文で。
今日は隣の席で、ポケットから出てきた。
「追加分は、翌日でも受け付けます」
私が言うと、直人さんは少しだけ笑った。
「助かります」
窓の外はもう夕方の色になりはじめていた。閉店までは、まだずっと時間がある。
並んだカップの中身は、片方が白くて片方が黒い。
甘さは別々で、席は隣だった。
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