パパ
それから時間の感覚がおかしくなって、沢山の管に繋がった奏子に縋って泣いている温人。次に棺に抱きついている温人。
愛結の姿を確認した温人が、泣きながら怒っている様子が、無声映画で立体的に映像が流れているみたいな変な感覚が続いていた。
伊久子に千珈と天晴の家族、周りの人達の口は動いているのに、音は耳には届いてはこなかった。
気付けば季節は春になっていて、愛結は六年生になっていた。半年近くの記憶はほとんど覚えていないのに、あの事故の映像は愛結の頭の中で垢みたいにこびり付いていた。
何を話す訳でもなくお互いの教室に戻って、全授業を受け終えた愛結は、真っ直ぐ家に帰った。
「お帰りー」伊久子の声が台所から聞こえてくる。愛結も「ただいまー」といつもと変わらない音量で返した。
部屋に入って、スエット生地のロングスカートに着替えて、スマホを手にしてベッドで横になった。
スマホの画面には、ダウンロードしたまま一度も開けていないアプリがある。愛結は人指し指でそのアイコンに触れた。
後は誘導されるがままに、簡単なプロフィール、ニックネームを入力していく。後は自己紹介だ。
愛結は、ダウンロードしてからシュミレーションしていた文章を入力していった。後は勢いのまま、内容を公開した。
開けるまで悩んでいたのが、嘘みたいに躊躇いがなかった。公開して直ぐに、メッセージが届いた。これには愛結も驚いた。
「初めまして。サンタです。厨ニって若くていいですね。娘がいたら、アドちゃんくらいかな。よかったらやり取りしませんか?」
アドは愛結のニックネームネームだ。中学二年と書くんじゃなくて、ネットの隠語で年齢を入れている。
夕食を挟んで、メッセージはその後バラバラの年齢層で沢山送られてきた。風呂に入った後、年齢を三〇歳後半で、あまり生活圏が被らない人間に絞っていった。
候補に残ったのは三人で、翌日から愛結は三人とメッセージのやり取りを始めた。
日中は、学校で携帯を出せないから、メッセージのやり取りは家に帰ってからだった。
仕事の合間なのか、さぼっているのか愛結には分からないけど、それぞれから「今、授業かな? 頑張れー」とか「ちょっと一息中」なと、呟きみたいな似た内容のメールが、三人から送られてきていて思わず笑っまう。
でも三人の中の一人が、文章の最後に「アドちゃんのパパより」と入れてくる人物がいた。
本当の名前なのか判断はできないが、ニックネームがキョウスケになっている三七歳の会社員からだった。
アプリ自体がパパ活専門だから、きっと書いているんだと頭では分かっているけど、勉強頑張れとか、今日は楽しかったとか聞かれると、何だか妙に気恥ずかしい嬉しさがあって、キョウスケとのメッセージのやり取りが自然と多くなった。
愛結もキョウスケさんから、キョウスケパパに変わっていた。愛結は、自然とキョウスケ一人に絞っていた。
だからやり取りを始めてから一週間後、会おうとなったのも自然で早かった。
キョウスケパパとの待ち合わせは、愛結の住む場所から電車で四〇分弱、離れた繁華街になった。待ち合わせは一二時で、そのままランチをする予定になっている。
待ち合わせは場所は、改札を出た駅員室の前。キョウスケパパは、ジーンズに白のプリントTシャツに、茶色のトートバッグを持っている。愛結は改札を出て直ぐに、その姿を見つけられた。
「キョウスケパパ?」
「アドちゃん?」
愛結のキョウスケパパの第一印象は、オジさんと言うよりは、学生みたいに見えた。身長一七〇以上はあって、クッキリとした目元と通った鼻筋に張りのある肌をしていた。
「凄く若い、ですね」
メールではタメ口だったけど、本人を目の前にするとどんな風に話せばいいのか、愛結は軽く混乱していた。
「よく言われるけど、れっきとした三七歳なんだよ」
キョウスケパパが「ほら」と免許証を迷いもなく見せてくれた。
名前は最上恭輔と記載されていて、キョウスケは本名だった。
生年月日も、愛結の誕生日と逆算すると、二三歳離れているから三七歳に間違いはない。
「じゃあ、お昼を食べに行くか。アドはイタリアンがいいんだよな」
キョウスケパパは笑うと、口元に皺ができてより人懐こい顔になった。
「美味しいイタリアンがいい!」
キョウスケパパのその顔の下にある、本当の目的を今は見ないふりをして、今を存分に楽しむことにした。
キョウスケパパが連れて来てくれた店は、学生の愛結が入った経験がない、静かで落ち着いた雰囲気の店だった。
店内の中央に小さい庭があって、愛結は珍しくて中を覗くみたいに前屈みになった体勢になっていた。
「緊張してる?」
「うん。こんな店に来たのは、初めてだから」
「そっか。よかったよ」
キョウスケパパが、愛結の頭に手を置いて軽く撫でてくれて、妙に嬉しかった。
案内された席は、庭の横だった。
「好きな物頼んでくれていいから」
メニューを広げて、愛結は驚いた。
「どうかした?」
「スパゲティって、こんなにたくさんの種類があるんだ」
「なら、全部頼む?」
キョウスケパパが、悪戯を企むみたいな顔をするから、愛結は釣られて笑った。
「アドちゃんは、笑っている顔がいいね」
キョウスケパパを男として意識しているわけじゃないけど、普段言われない言葉を投げかけられると、やはり恥ずかしい。
結局、好きなパスタが選べて、デサートが付いているランチセットにした。パスタは、生ハムと桃という組み合わせで、どんな物なのか楽しみだった。
「学校は、楽しい? 幼馴染とはうまくやってる?」
昔からの知り合いみたいに、キョウスケパパは話し掛けてくるけど、違和感は愛結にはなかった。寝るまでずっとメールでやり取りをしていたからかもしれない。
画面の中だけのやり取りが、リアルになっていた。
「相変わらず。どうして放っておいてくれないのかな? 構って欲しくないのに」
「でも心配してくれる人がいないより、いてくれるほうがいいよ。アドちゃんはまた若いから確かに鬱陶しいかもしれないけど、大人になると心配してくれる人がいるんだって思うだけで、安心できるんだよ」
「キョウスケパパを心配してくれる人は誰?」
「パパは、おばあちゃんかな」
横楕円形の白い皿の上には、生ハムに巻かれたテリーヌと、サーモン、茄子などで小さい塔ができた前菜が運ばれてきた。
「すごい! 器用だねよ」
キョウスケパパは、笑いを噛み殺しているつもりだろうが、声が漏れ出ている。
「ごめん。可愛い、新鮮な反応だったから。若いって、いいよね。さあ、食べよう」
どうやって食べていいか分からず、キョウスケパパの食べる姿を真似て、愛結はフォークを口に運んだ。




