第二十章(1):大晦日の別れと、新たな始まり
ついに大晦日がやってきた。
佐倉家のリビングには、いつもより豪華な年越しそばと、ご馳走が所狭しと並べられていた。
食卓を囲むのは、お父さんとお母さん、そして私、ルシアン様、カスパール君、ローゼリアちゃん、アルドロンさん、健太郎、そして有紀の9人。
賑やかな会話と笑顔が弾む中にも、今日でこの世界との一時的な別れとなることを、誰もが心のどこかで感じていた。
豪華な料理から漂う香りが、いつもの年末とは違う、特別な夜を演出しているようだった。
「花、これを食べたら、もうそっちの世界に帰ってしまうのね…」
お母さんが、私の髪を優しく撫でながら、寂しげに呟いた。
その声には、深い愛情と、娘を送り出す親の切なさが滲んでいた。私はお母さんの手をぎゅっと握りしめ、力強く頷いた。
「うん。でも、寂しくないよ。アルドロンさんのおかげで、お母さんとお父さんはもちろん、有紀と健太郎にもまた会えるし、異世界通信できるスマホもあるから、いつでも話せるしね!」
私の言葉に、お母さんの表情が少しだけ和らいだ。
お父さんが、グラスを掲げた。透明なグラスの中で、琥珀色の飲み物が揺れる。
「みんな、本当にありがとう。最初は信じられなかったが、君たち勇者のおかげで、花がこんなにも生き生きとして、私たちも本当に幸せだった。感謝してもしきれない」
お母さんも、瞳を潤ませながらお父さんの言葉に続いた。
「そうよ、花!向こうでの結婚式も楽しみだけど、この世界での結婚式も楽しみにしてるからね!」
彼女の言葉には、未来への希望が込められていた。
ルシアン様も、グラスを手に立ち上がった。
「剛殿、陽子殿。短い間ではございましたが、私たちを温かく受け入れてくださり、誠にありがとうございました。この世界で得た経験と知識は、必ずや五光の勇者の世界と魔界の発展に役立てさせていただきます」
彼の声は、静かだが深い感謝の念が込められていた。
カスパール君とローゼリアちゃんも、それぞれ深々と頭を下げ、滞在中の感謝の言葉を述べた。
そしてアルドロンさんは、グラスを静かに掲げ、いつもの冷静な口調ながらも、深く一礼した。
「私も、皆様の温かさに感謝いたします。この世界での経験は、私自身の研究にとっても、新たな知見をもたらしてくれました。皆様との出会いに、心より感謝申し上げます」
彼の瞳には温かい光が宿っているように見え、ほんの少しだけ口角が上がっていた。
食事が終わり、テレビからカウントダウンの声が聞こえ始める。
10、9、8…私とお父さん、お母さん、健太郎、有紀、そして勇者のみんなは、固唾を飲んでその瞬間を待った。
リビングの時計の秒針の音が、いつもより大きく聞こえる気がした。
私は、お母さんとお父さん、そしてルシアン様の手をぎゅっと握りしめていた。
三つの温かい掌の感触が、私の心に深く刻み込まれていく。
「5、4、3、2、1…明けましておめでとう!」
年が明けた瞬間、リビングにエリアス様が光と共に現れた。
まばゆい金色の光が部屋全体を包み込み、一瞬にして空気が清らかになったように感じられた。
その姿は、いつもの飄々とした雰囲気ながらも、どこか厳粛さを帯びていた。彼女の背後から、神聖な香りが微かに漂ってきた。
「さて、セラフィナ君。時間だ」
エリアス様の言葉に、私は両親とルシアン様を交互に見つめた。
そして、覚悟を決めたように、深く息を吸い込んだ。胸の奥に、少しだけひんやりとした空気が入ってくる。
その時、エリアス様はふとアルドロンさんの方に視線を向けた。
「それにしても、アルドロン君。君が開発したその通信手段、実に興味深い。それに等身大パネルを分身とすることで、セラフィナ君以外の勇者たちのこの世界への行き来も、世界の歪みを起こしにくく、安定して可能にした。おかげで、世界の境界がより柔軟になった。我々が高次元の存在として、これを管理すれば、君たちがこの世界と元の世界を行き来することも可能になったよ。もちろん、全ては私の許可次第だがね」
エリアス様の言葉を聞いたアルドロンさんは、静かに頭を下げた。
その表情はいつもと変わらないが、彼の瞳には確かな達成感が宿っているように見えた。
その言葉を聞いて、私の胸には一筋の温かい希望の光が灯った。
そうだ、大丈夫。お父さんとお母さんにも、また会えるんだ……!
心の底から、安堵の息が漏れた。
「セラフィナ君、私特製のルシアン君のアクスタは持ったかい?この世界に来た時のように、今度は、君たち勇者の世界を想い強く念じるんだ」
エリアス様の言葉に、私は慌てて胸元のお守り袋を握りしめた。
そこには、ルシアン様のアクスタが入っている。ひんやりとしたアクリル板の感触が、手のひらに伝わる。
私は、そのアクスタをきゅっと握りしめ、目を閉じて白亜の城を思い浮かべた。
すると、私たち五光の勇者が持つ宝珠が、呼応するように淡く輝きだした。
その光が、全身に満ちていく。
「お父さん、お母さん、今まで本当にありがとう!大好きだよ!」
私は、お母さんとお父さんに駆け寄り、一人ずつ強く抱きしめた。
お母さんは涙を流しながら、私の背中を何度もさすった。その手が震えているのが分かった。
お父さんも、私の頭を優しく撫で、その瞳に涙を滲ませていた。
彼の頬に触れると、少しひんやりとしていた。
「花…達者でな…」
「お父さん、お母さんも元気でね!」
私は健太郎と有紀にも向き直った。
健太郎は目を赤くして、鼻をすすっている。
有紀はもうボロボロと大粒の涙を流していて、顔中がぐちゃぐちゃになっていた。
「健太郎、有紀、今まで本当にありがとうね。二人と出会えて、私、この世界で本当に楽しかったよ!」
「花…!また会いに来てね、絶対だよ!」 有紀が泣きじゃくりながら私に抱きついてきた。
温かい涙が私の肩に染み込んでくる。
「おう、花!またな!スマホで連絡するぞ!」
健太郎も鼻をすすりながら、力強く頷いた。
彼の握りしめた拳が、小刻みに震えているのが見えた。
別れの言葉を交わした後、私はルシアン様、カスパール君、ローゼリアちゃん、アルドロンさんと共に、エリアス様の元へと向かった。
エリアス様は、私たちを取り囲むように、再び眩い光を放ち始める。
その光は、まるで繭のように私たちを優しく包み込んだ。
私たちの宝珠の光もそれに伴い輝きを増していく。
「では、また会う日まで」
エリアス様の言葉を最後に、光は一瞬で弾け、私たちの姿は佐倉家のリビングから消え去った。
光が消え去ったリビングには、まるで時間が止まったかのような静寂が訪れた。新年の訪れを告げるはずの賑やかさは、まるで遠い夢のように消え去っていた。
剛と陽子は、娘の姿が消え去った空間を、未だ信じられないといった様子で呆然と見つめていた。
まるで夢の中にいるかのように、彼らの視線は空っぽの空間をさまよっていた。
健太郎と有紀も、その場に立ち尽くし、ただただ空っぽになった空間を見つめていた。鼻の奥がツンとするような、寂しさがリビングの空気を満たしていた。
「行ってしまったわね…」
陽子が、涙で濡れた頬に手を当て、震える声でそっと呟いた。
その声は、深いため息のようにリビングに吸い込まれていく。
冷え切った手に、頬の熱い涙がじんわりと広がっていく。
剛は、ゆっくりと陽子の方を振り返ると、何も言わず、ただ静かにその肩を抱き寄せた。
その温もりに、陽子はこらえきれずに嗚咽を漏らした。
剛の肩に顔をうずめ、声にならない声で娘の名前を呼んでいる。
健太郎は、ぐっと唇を噛みしめていたが、視線を落とし、握りしめた拳が小刻みに震えている。
有紀は、ひっそりとしゃがみ込み、小さな声で花の名前を呼んでいた。
その小さな背中は、とても寂しそうに見えた。
「花…」
剛は、抱きしめた陽子の頭を優しく撫でながら、力強く言った。
「ああ…だが、また会える。あいつがくれたスマートフォンがある」
彼の言葉には、悲しみの中に確かな希望が灯っていた。
彼らの心の中には、セラフィナとのたくさんの思い出と、異世界で活躍する娘への誇りが満ちていた。
そして、いつでも連絡が取れるスマートフォンが、二つの世界の架け橋として、温かい光を放ちながら彼らの手元に残されていた。
リビングの豪華なご馳走は、冷めたまま、誰にも手を付けられることなく、静かにそこにあった。




