第三章(2):異界への鍵、アクスタ
その時だった。私たちの宝珠が、優しい光を放ち始めた。
「あ、エリアス様から連絡だ!」
『準備ができ次第、神界に来てくれ。私特製のルシアン君のアクスタも忘れないように!』
広間に響くエリアス様の落ち着いた声に、私は即座に答える。
「もちろんです!ルシアン様のアクスタ…異界への鍵ですから!ちゃんと持っていきます!」
エリアス様との通信を終え、私は皆に少し待っていてもらうよう告げ、足早に神殿へと向かった。
神殿の奥、厳かな祭壇の中央には、ひときわ眩い光を放つルシアン様のアクリルスタンド(アクスタ)が鎮座していた。
私が前世の日本から持ち込んだもので、エリアス様曰く「神力が込められている」という、異世界渡航のための重要な鍵だ。
その周囲には、ありとあらゆるルシアン様グッズが所狭しと並べられている。
この“聖域”は、私とローゼリアちゃんが、情熱を込めて飾り付けたものだ。
ルシアン様のアクスタが置かれている場所には、ルシアン様しか開けられない特別な鍵がかかっているので、私自身ではこの結界を開けることはできない。
祭壇に近づくと、アクスタを包み込むように輝く、神々しいまでの結界が見える。
その光は、ルシアン様の魔力にしか反応しない特別なものだ。
「ルシアン様、アクスタを取っていただけますか?」
呼びかけようと振り返ったその時、すでにルシアン様は私のすぐ後ろに立っていた。
彼は祭壇の前に歩み出ると、静かに、しかし流れるような動作で手をかざした。
すると、結界はすっと音もなく霧散し、ルシアン様のアクスタは、まるで解放されたかのように、さらに強く輝きだす。
ルシアン様は、そのアクスタを手に取ると、私にいたずらっぽく微笑んだ。
「アクスタ、か」
彼の呟きは、初めて私の推し活を目にした時のような、面白がるような響きを含んでいた。
私が少し恥ずかしくなって、思わず「はい!」と力強く答えると、ルシアン様はフッと短く笑った。
彼がアクスタを私に差し出してくれたので、私はそれを丁重に受け取ると、例の黒いお手製のお守り袋に入れたあと、自分の鞄の一番安全な場所にしまい込んだ。
荷物の最終確認を終え、私たちは白亜の城の奥へと向かった。
「アルドロン、どうか気を付けて!」
リリアさんが、心配そうにアルドロンさんの名を呼んだ。
アルドロンさんは、そんなリリアさんの傍らに歩み寄り、優しくその体を抱きしめた。
リリアさんの赤茶色の柔らかな髪に、顔をそっと埋める。
(ああ、やっぱりだ…!)
その光景を目の当たりにして、私は確信する。
以前ルシアン様が言っていた言葉が、脳裏をよぎった。
『相手を抱きしめ、相手の髪に顔をうずめる行為が、最も深い愛情を示す表現だと思っていたが…それ以上のことがあるのか?』
勇者たちにとって、それが最上級の愛情表現なんだ。
アルドロンさんの行動を見たルシアン様が、ふっと私に視線を向けた。
その涼やかな瞳には、もはやあの時の困惑はなく、「ああ、これのことか」とでも言いたげな、すべてを理解し、さらにその先を行く穏やかな笑みが浮かんでいる。
私が魔界で教え、彼が皆の前で実践した頬へのキス。
彼はもう、勇者たちの愛情表現の限界を、とっくに超えているのだ。
(でも、まさか、異世界日本にはもっと多様な愛情表現があるなんて、きっとみんなビックリするだろうな…!ルシアン様も、また「これ以上のものが!?」って目を丸くするに違いない!)
「ああ、心配いらない。すぐに戻るさ」
彼の声は穏やかで、リリアさんは少し頬を染めながらも、彼の腕の中で安心したように息を吐いた。
アルドロンさんはリリアさんを解放すると、次に側にいたリルに視線を向けた。
アルドロンさんはリルを本当の自分の子のように大切に思っている。
アルドロンさんはその小さな体を、優しく、しかししっかりと抱きしめた。
「リル、留守番を頼むぞ。すぐに帰ってくる」
リルに向けられたアルドロンさんの声は、他の誰にも聞かせないような、一段と柔らかな響きを持っていた。
リルは、彼の胸に顔を埋め、小さく頷いた。
それから、リリアさんは私たちの方に向き直り、リルも一緒に見送りのために待ってくれている。
「お土産、期待してるわ、セラフィナさん!」
リリアさんが優雅に微笑み、リルも小さく手を振ってくれた。
全員が揃い、私たちが持つ宝珠が一斉に輝いている。
ルシアン様が、その輝く宝珠に手をかざし、静かに目を閉じた。
彼の魔力が宝珠に注ぎ込まれていくのが分かる。
ルシアン様が、静かに、しかし確かな響きをもって告げた。
「行くぞ」
彼の言葉に、私たちは力強く頷く。
アルドロンさんの緑、私の赤、ローゼリアちゃんの桃色、カスパール君の紫。
そして、ルシアン様の指輪に輝く、漆黒の宝珠。
私たち五人の宝珠の力が、光となって螺旋を描きながら空へと昇っていく。
次の瞬間、空間が大きく歪み、私たちは神界へと旅立った。




