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時代に翻弄され、時代を翻弄した男 − 幸福の尺度

7 (最終回)


人は誰も我が身の人生を振り返ってみて、幸福であったかどうかと判断するのは決して容易でない。そもそも幸福とは何かという哲学的な議論はさておき、幸福度なるものを自己評価し座標に描くことができるとすれば、多くの人は自らの変域を概ね幸福の系に描こうとするだろう。それはポジティブなようではあるが、消極的な現実逃避であるとも考えられる。直視すべき現実の問題があるにも関わらず、幸福であると自らに言い聞かせ、その現実から目を反らしているに過ぎないかも知れないからだ。さらには、幸福とは己の人生や社会に対する絶望感と諦観しての故にやむなく定義する欺瞞(ぎまん)でしかないとさえ言えるのである。

もし、眼前に繰り広げられる状況を直視し、そこに潜む問題に対し真摯に取り組むのであれば、多くの人生は、安易に幸福などと言っておれないのではないだろうか。その意味では、人は、幸福という言葉で自分を誤魔化し、無理矢理にでも納得させ、慰めているに過ぎない。それは単なる自己満足や自己陶酔というよりも、(いびつ)に形を変えたオプティミズムなのである。

とは言え、人がその本心を押し殺して、幸福だと言ってしまうことに意味がないわけではない。人はどんなものであれ見境なく楽観して受け入れるほどに悲観的な存在ではないし、意味もなく簡単に悲観して拒絶してしまえるほど楽観的な存在でもない。ただ、万人に通ずるような歴史的社会的な経験則すなわち常識や、自身の積み上げてきた経験的知識により、人はさまざまなものに対し、認容と拒絶を反射的に判別するだけであり、それによって、自らをいわゆる幸福に導こうとするだけなのである。それは、慣性の法則に従い宇宙を浮遊する物体の如く、単なる惰性に過ぎないのかも知れないが、決して悪いことではない。

溥儀の人生を辿ってみて、彼の生涯が果たして幸福であったか、それとも不幸であったか、評価する権利は誰にもない。が、清朝という既に消え去った亡霊に囚われ続け、それを利用しようとした者達にも逆らうことができず、公理と私利を同じ水平で錯覚し、それに呪縛されながら歩んだ溥儀の人生は、やはり惰性に過ぎないのである。ただ、一人の人間が扱うにはあまりにも大き過ぎる対象を前に、世界を巻き添えにし、犠牲にしていったことは、惰性と言ってしまうには余りにも罪が重い。

歴史が彼を翻弄したのか、それとも彼が歴史を翻弄したのか、いずれにせよ、波乱に満ちた人生であった。しかし、人生の甘美と辛酸を人の数倍以上も味わった溥儀は、ある意味で幸運であったと言える。

生と死の(みぎわ)において、溥儀の胸に去来したのは一体どのようなものであったのだろう。走馬燈のように浮かんでは消えるさまざまな場面と再会し、溥儀はどう思いを巡らしたのだろうか。記憶の奥に眠っていたような風景まで呼び覚まし、それらの間を自由に回遊した溥儀の魂は、遂に足を踏み入れることのなかった衣笠の地にほんの少しでも立ち寄ることがあっただろうか。

1967(昭和42)年、溥儀は61年の波乱に満ちた生涯を閉じる。

後年、弟の溥傑は公務のついでに京都を訪れた時、立命館に対して行った寄付の件を懐かしく思い出す。溥傑は、全人代常務委員会委員として日中国交の架け橋となるべく、何度か日本を訪れていた。若い頃、溥傑は日本の陸軍士官学校に留学しており、卒業して暫くは千葉県に居住していた。その縁があって千葉にはよく足を運んでいたが、この時は、長年連れ添ってきた亡き浩夫人を懐かしんで、夫人の実家である嵯峨侯爵家と縁のある京都へも立ち寄ったということらしい。清水(きよみず)の舞台から、京都の市街全景を眺めるうち、寄付の件で自ら仲介の便宜を図った立命館が位置する衣笠の地に思いを()せ、感慨深げに側近に一度、訪ねてみたい旨を打ち明けたという。この話が、大学関係者の耳に伝わり、立命館大学は戦前戦中の溥儀と溥傑の功績に報いるべく、正式に溥傑を招待し、名誉法学博士の称号を授与した。1991(平成3)年、溥傑84歳の時である。溥儀が没して、既に24年の歳月が流れていた。

その昔、宇多天皇が、真夏というのに雪景色を望み、(たわむ)れで山肌を白絹で覆い雪化粧に模したとする伝承があり、「きぬかけ山」の異名もある衣笠山は、晩秋の鮮やかな紅葉に彩られていた。中国人である溥傑がその故事を知る由もないが、赤や黄に染まりゆく衣笠山を仰ぎ見、秋の深まりを感じながら、溥傑は何を思ったであろうか。

(愛親覚羅溥儀・完)


次号より、「世界の食文化に革新をもたらしたラーメン王 安藤百福」

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