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【新暦68年6月14日(火)】side:茂田俊丞



 火曜日の夜。今日は仕事の進みが芳しくなく、久しぶりに長めの残業をした。

 おかげ様でしっかり凝り固まった首・肩・腰を、丁寧に揉みほぐしながら校門の鍵をかけた。それを指差し確認して、校舎に背を向けて歩き出した。


 空気が湿っている。

 それはそうだ。今は梅雨だし、なんなら今日は一日中小雨が降っていた。パソコンに向かい合っているうちに、何とか止んでくれたようだが、空には今も灰色で重たい雲が広がっている。

 家に帰るまでは何とか耐えてほしいものである。

 

 折りたたみ傘をか天気予報を見てみた。

 今が20時過ぎで──げ、21時にはまた降り始めるようだ。

 普通に帰ればギリギリ間に合うかどうかという時間。こうなると一本早めの電車に乗りたいな。


 少し迷って、駅までの道を小走りすることにした。

 こんなのまだ生徒のいる時間帯にはとてもじゃないけど出来ない。と大人が走っているのってちょっと怖く見えるものだから。「大人」と「余裕」ってのは結びついていた方が見栄えが良いというか。

 とはいっても走るんだけどね。痩せてから物理的に軽くなったおかげか、体を動かすのが楽しい自分もいるのだ。


 人気がない夜道。規則正しく並んだ街灯の明かりを、順に飛び移るようなイメージ。

 影が伸びたり縮んだりするのが、どことなく子供心を刺激する。

 童心に帰るということが、いつの間にか自然にできるようになった。それに気付いて、くすりと小さく笑った。






 『────っ!』





 ────と。

 走っていたら、背後で息をのむような、誰かの気配を感じた。

 

 やばい。誰も残っていなかったはずなんだけど、誰かに見られていたりしたかな。

 速度を落として、さり気なく振り向いてみる。

 誰もいなかった。なんだろう。


 疑問に思ったが特に景色は変わらず。等間隔に並ぶ街灯の灯りと、その後ろには灰色の雲、黒い夜空がある。



 ……いやな感じだ。この前みすずと一緒にホラー映画を見たんだよな。それのワンシーンが頭を過ぎる。

 あーあ急ご急ご。ねだられたからって見るんじゃなかったなぁ。





 

 

 電車にのって、丁度最寄り駅に着いた頃。まるで狙いすましたかのように雨が降り出した。


 ぽつ、ぽつぽつ、ざあ、ざざあ。

 細く小さかった水滴は、あっという間にその物量を増す。

 咄嗟に折りたたみ傘を差したものの、降るか?降らないか?なんて様子をうかがっている間に服を濡らしてしまった。


 一本早い電車に乗ったんだけどな。間に合わなかったようだ。

 というか強い、強い。片手だと心許なくて、鞄を胸元に抱え、傘を両手で短く持つ。


 梅雨っぽくない、どちらかといえば夏に突然降り出すような、なんとも力強い雨だ。振り返ってみれば、今日はいつもより蒸し暑い日だった。夏が近づいているのかな。


 もしかしたらちょっと待てば、この雨は止むか、もしくは弱まるかもしれない。

 家までは歩いて15分ほどで、この雨の中を歩くには少ししんどい距離ということもある。


 少しだけどこかで天気の様子を見てみよう。不幸中の幸いとして、すぐそこにチェーンのコーヒーショップがある。

 うん。閉店は22時だし、ラストオーダーまでもまだ時間があるようだ。


 進路を目先のその店に切り替え、雨に向かってなるべく平行に傘を差しながら、一歩一歩進んでいく。

 そして入り口のドアに辿り着き、屋根がないそこで、どうやって濡れずにドアを開こうかと思案していたところ、後ろからぐい、と腕が伸びてきて、ドアノブを掴んだ。



「おっさん大丈夫? 開けるよ」

「うわっと、あ、ありがとうございます⋯⋯!」



 振り返ると、そこにはガラの悪い青年がいた。白い肌。そばかすが目立つが、どこか日本人離れした目鼻立ち。柄シャツの襟首からタトゥーのはじまりが見えている。

 俊丞は驚いて体を縮こまらせたが、しかし目の前の青年の体も、自分と同じように軽く湿っているのに気がついて、慌てて礼を一つ、店内に身を滑らせる。


 そのとき、少し耳障りな、黄色い声が一つ上がった。


「キャー。ジョイ君優しい〜」


 その声の主は、今し方ドアを開けてくれた青年───ジョイ君の後ろにいた女だった。

 焦げ茶の肌。目の前の彼とは異なり、焼けた焦げ茶の肌に、露出の多いミニワンピを身に纏っている。

 その女の毛先も、隣の彼と同じように水分を含んでまとまっている。

 ドアや青年の体でうまく見えていなかったが、彼女も同じように雨に振られてしまっていたようだ。


 見た目とはギャップのある優しさの青年とは違い、その女は、髪をまとめてぎゅうぅ、と絞りながら、折りたたみ傘をいそいそと傘袋に仕舞う俊丞を睨みつける。


「⋯⋯⋯チッ、もたもたしてんなよ⋯⋯⋯⋯いこっ? ジョイ君!」


 そのまま、青年の腕をぐい、と掴むと、俊丞のことを押しのけながら店の中へと進んでいった。

 そこにウェイトレスが近寄り、席へと案内していく。


 それをぼんやりと眺めつつ。

 悔しいような、惨めなような。とにかく久しぶりに感じた「青春の敗北者」とでも言うべきであろう感慨を抱え、俊丞はその場で大人しく案内されるのを待つことにした。


 そしてすぐに、燕尾服に似せた制服を身に纏い、腰にエプロンを巻いた男性がキッチンから出てくる。

 そのまま、心の片隅で先程の二人とは遠い席になるよう祈りつつついていくと、俊丞は窓際の一席に案内された。


 席について一息。まず周りをそれとなく観察してみる⋯⋯よかった。さっきのカップルは少なくとも、見える範囲にはいないようだった。


 そして。そんなふうに過剰にビクビクしている自分に気付き、外から不審がられない程度に、小さく溜息をついた。

 ヤンキーに弱いというか、なんというか。こういう性分って、大人になってから変えることはできないのかな。


「はぁ⋯⋯⋯」


 もう一度溜息をついて、席に備え付けられた注文用のタブレットに手を伸ばす。


 指で画面をなぞって。なぞって。ここはどうやらメニューが豊富なようで、ドリンクだけで沢山のページがある。


 コーヒー。カフェラテ。カフェモカ。カフェオレにアフォガート。

 紅茶。の中にはダージリン、アッサム、セイロン。



 ⋯⋯⋯何でもいいか。



 迷うこと自体が面倒くさくなり、結局のところ、一番シンプルなコーヒーを選んだ。

 注文して、なんとはなしに外を眺める。ガラス越しにも聞こえる雨音に意識を向けていると、さほど時間もかからずにコーヒーがやって来た。


 軽くお辞儀をして受け取り、ほんのり湯気の立つそれを口元に運ぶ。



「────っはぁ」



 温かい。雨で濡れて冷たい体には、それだけで有難く感じた。味も悪くない。特に詳しいわけでもないが、それでも飲みやすいコーヒーだな、と思う。

 みすずが淹れてくれるものの方が美味しいな、とも。



 窓に当たっては流れ落ちていく雨を眺めながら、なんだか無性に、早くみすずに会いたくなった。





☆☆☆




 それから程なくして、思った通りに雨は弱まっていった。

 時刻は21時47分。そろそろ外に出た方がいいだろう。みすずには自宅の電話を通して伝えてはいるが、きっと心配させてしまっているはずだ。


 席を立ち、伝票をもってレジに向かう。閉店10分前だし、もう雨が弱まって少し経ったというのもあるのだろう。入ってきたときよりも店内は閑散としている。

 少し見まわしたら、店の奥の方に、先程の二人がまだ座っているのが見えた。特に女の方は、座っている席の配置から、レジからちょうど顔が見える。


『────?』


 視線を感じたのだろうか。女の方が顔を上げてこちらに目を向けてきた。

 慌てて目線を逸らし、手早く釣銭を受け取って店を出る。

 ありがとうございましたー、という気の抜けた声と、ちりん、と耳心地のよいベルの音が鳴り、ドアが閉まるのと同時に聞こえなくなる。

 

 ふぅ。



「帰るか………」 

 

 折り畳み傘を開き、小雨の降る街に足を踏み出した。

 家に帰ったら、まずは風呂にはいってゆっくりと湯船に浸かろう。






【新暦68年6月14日(火)】side:ジョイ・ラッド




「───出てったわよ」


 入り口の方を見ていた相方が、そう言って視線を切った。


「どうする? 追うか?」

「いやいいでしょ、もう《《つけた》》し。もう雨に濡れんのはコリゴリよ」

「そうだなァ⋯⋯つっても、もう閉店だ。出なきゃいけないのには変わりないがな」

「分かってるっつーの。カッコつけて喋ってんじゃねぇ、ネズミヤロー」


 折角カップルのフリをしてるってのに、なんともツレない奴だ。

 しかしまぁ、ひとまず《《目的は達成》》ということで、胸元にいれた煙草に手を伸ばそうとした。

 とその瞬間に、その手を相方───あー。クソビッチ? に叩かれた。


「ッてーな。何すんだよ」

「いやこっちの台詞だけど? ここ禁煙だから。ここはテメーが住んでる安アパートでもスラム街の安居酒屋でもねーんだわ、郷に入っては郷に従うって諺知らないの?」


 睨みつけてみれば、クソビッチは真っ向から睨み返してきた。

 しかも長々と罵倒した上、知らねぇ諺で得意になってやがる。

 しかしまぁ、禁煙というなら確かに……と内心思いつつも、素直に引っ込むのも癪だから、今度は被害者ぶってやることにした。

 

 

「おいおい、勘弁してくれよ。流石にそういうのまでは勉強が追いつかねーって」

「だからあんたは何時までたってもこんなことばっかやってんのよ」

「てめぇっ、どんな仕事だってそこに金が発生していれば立派な仕事なんだぞッ」




 ────事の発端はこうだ。

 今からおよそ一ヶ月前、俺らの組織にある依頼が舞い込んだ。

 内容は死体探しと人殺し。依頼主は日本人の小金持ちの息子で、今時珍しい完全な一見さんってやつだったそうだ。態々都市伝説サイトみてーなとこからうちまで辿り着いたらしい。

 

 そいつとは二週間前に、オンラインで顔を映させながら打ち合わせをした。前金の受け取りと、下手に逃げたり裏切ったりできねぇよう、顔写真などの書類を抑えるためだ。



『なんでもいい。いくらでもやる。だから絶対に殺せ』



 依頼主は、顔も名前も体型も、どこまでも普通で、なんとも冴えない日本人だった。

 ただしその目だけはハッキリとイカれていた。

 オンラインだからか。カメラを一点に見つめたまま、瞬きもほとんどしてねぇ。

 死体──あー、みすず、だったか? を呼ぶときに必ず「僕の」という枕詞をつける。

 そして。えげつないほどの金払いの良さ。

 

 根本にあるのは執着心だ。そしてそういう奴はちょくちょくいる。

 あの依頼人の動機はなんだろうな。詳しくは聞かなかったが、標的の情報が写真と、《《匿名掲示板のインチキ占い》》くらいしかなかったあたり、ストーカーを拗らせたってとこだろうか?


 まあ、そんなのはどうでもいいか。


 とにかく俺はそういう経緯でここまで来て、ついさっき初めて対象に接触したのだ。

 相棒、いやクソビッチ……いや。アルマという、小五月蠅い同僚と一緒にな。


 疲れるぜ。



「……で。どうしようか?」

「こっからは観察でしょ。死体探し(サブクエ)もあんだから。まずは攫って吐かせる(お話する)。その後は依頼主の好きなようにやらせりゃいいんじゃない?」

「そうか。ならそれで行こう」

「相変わらずテキトーね……少しはテメーで考えろや」



 なんだってんだ。

 意見を取り入れてやったってのに、付け合わせのように罵倒されつつも、心の中でさっきの奴に向けて十字を切る。

 だが人を呪わば穴二つだ。因果ってのは結局巡る。

 アルマからGPSの親機をひったくり、赤い点が移動するのをぼーっと眺めていると、後ろから申し訳なさそうにウェイターが声をかけてきた。



「あのー……そろそろ閉店になりますので」

「ああ。ならチェックとしようか。ハニー、この後は何処かで一休みでもするかい?」

「えー。お家帰るー」



 チェックに乗じてアルマをホテルに誘ってみたが、彼女は連れない態度だった。

 視線も向けず、長い爪を弄っている。

 ちっ。どさくさに紛れて行けねーかなと思ったが、当たり前にそんなことはなかった。


 というか支払い俺持ちかよ。

 

 内心で悪態をつきつつ、コーヒー代を払って外にでた。



 雨はすっかり止んでいる。

 アルマは空をちらりと見やると、そのまま一瞥もせずに背を向けて立ち去ってしまった。次の予定の話もなし。こうなりゃ、あいつが誘拐の計画を立てるまでは暇になるだろうな。



「やれやれ……」



 厄介な奴が消えたので、俺は改めて胸ポケットから煙草を取り出し、火をつけた。

 湿った空気に、煙の白が濃く跡を残し、空へと消えていく。


 

 ……さっきの奴。フツーのおっさんだったなぁ。

 今までの身辺調査によれば、あいつはジュニアハイスクールの教師らしい。牧歌的というか、平和に慣れ切った顔をしていた。

 あんなのに人を殺せるもんかね。なーんか違和感あるぜ。



 だが、俺はジョイ・ラッド。裏社会を生きるもの。ボスに拾われ、組織に生かされた。優しさは弱さで、大人しさはすり潰される。そんなくそったれな世界を上手く、楽しく生き抜いてやるって決めたんだ。


 すまねえな、シュンスケ・モダ。俺の糧になってくれ。



 決意を新たに、しかし複雑な感情で煙草をふかしてみれば、気づけば隣にはアルマが戻ってきていた。



「だからァ───」

「ん? どうしたハニー、もう俺が恋しくなったのか──ブヘェ!?」


 

「───この国じゃぁっ、喫煙所以外でタバコ吸うなっつってんだろガァ!!! チンピラガァ!!」




 アルマの派手な右ストレートに、俺は煙を巻き散らしながら宙を舞った。

 


 くくく。この状況は学んだぜ。

 日本語でいうところの、痴情の縺れってやつなんだよ、な?





 

 


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