1.
外で一度だけ鳴り響いたクラクション。俺は眠い目をこすりながら、布団から起き上がる。時計の時間は午前5時。二度寝したくとも、もう起きる時間だ。
さて、今日の昼食たる弁当を作る時間だ。
今日のおかずは冷凍食品のごぼうサラダに、冷凍食品のほうれんそう。便利なもので、冷凍室から出して凍ったまま弁当箱に入れておけば、時間になるころには解凍されているのだ。
あと、今日はちょっと一品挑戦してみた。
名付けて、バラ肉の塩焼き。
――どこからか、「ただ肉焼いただけじゃないか」と言うツッコミが聞こえる気がするが、そんなモン知らん。複雑な料理なんざできるか。
ご飯は――炊飯器の時間予約で炊いておいた。こちらは、しばらく冷ましておく必要がある。
おかずとご飯を、弁当箱へと丁寧に詰めていく。自分で調理したおかずを入れたためだろうか、ちょっぴり、達成感めいたモノを感じる。
アパートの一室である自宅の入り口の、鍵が開く音が聞こえる。
どん、どん、と。疲れ切った足音が、床を叩いて近づいてくる。
「…………」
台所に入ってきたのは派手な女。その血縁上は母親に当たる女は、酒の臭いを漂わせながら冷蔵庫から缶ビールを取り出すと、ちらりと一度こちらを見てからとっとと部屋を出て――、
行かせるつもりはない。
「おい、待てよ」
「――っ!?」
まるで予想していなかったのか、ものすごい勢いで振り返りやがった。面白い。
「どうせ酒のつまみにしかならねぇモンしか食ってねぇんだろ。ほら、多めに作ったから、これくらい食ってけ」
目を丸くするそいつは、俺の声に応えないまま固まっている。まったく、こっちだって暇じゃないというのに。
10秒だろうか。それとも20秒か? もしかしたら30秒かもしれない。それくらいの長い間をおいて、母親が口を開いた。
「――焼いたバラ肉だって、似たようなもんじゃないか」
「うるせーな!? ――とにかく、もう少しまともなモン食えよせめて」
「――どういう風の吹き回しだい」
「あ?」
「まともに口きいたのだって――えっと、あー……6年ぶりだったか、7年ぶりだったか?」
「逐一数えてねーよ」
「――と言うかアンタ、ここ一か月の間、ウチに居たっけ?」
「アルツハイマー患者の世話をする気にゃまだなれねぇぞ俺は」
弁当を作り終えた後、オーブントースターで食パンを焼き、インスタントコーヒーを作る。ラジオでニュースをチェックしつつ、出来上がりを待ち、完成した後はそれをいただく。
食事が終わったら、制服へと着替えを済ませて今日学校で必要な教材を確認。洗濯機の動作が終わり次第、それらをハンガーに通し、部屋の中に干しておくことにした。
「じゃあ、俺学校行ってくるからな」
「あっそ」
背中でその言葉を聞き、俺は家を出ようと――して、それを言い忘れていたことを思いだす。
「通帳、テレビの下の引き出しに入ってるからな」
「――あ?」
「酒じゃなく、せめて弁当でも買って来て食えよ、作るのが面倒だったら。勝手に死なれちゃ色々面倒だからな」
それだけ言って俺は戸締りをする。返事は聞かない。外に湿気は無く、空はカラッと晴れ模様。程々に日差しの温かい、過ごしやすい日になりそうだ。帰りに、果物でも買って帰ろうか。
普段通り、大通りに車が行きかう道を進む。――と、バス停へとすでにバスが来ていたことに気が付く。危うく、置いて行かれるところだった。
「――っ、はぁ~……」
それなりの混み具合の中、一番後ろの席にどかっと腰を下ろす。疲労感がそれだけ酷いのだ。
だが、自分でも意外なのが、それに対して不快感がないことだ。むしろ、あるのは達成感。なぜかは――異世界でのことを思えば考えるまでもない。
20分程してバスが目的地に止まる。さて、今日も学校へと通ってやることにしよう。
周囲には、なぜかは知らないが妙にうれしそうな表情をした小柄な女生徒。特に何も考えていなさそうな中肉中背の男子生徒。憂鬱そうな表情をしている猫背の女教師。友達や恋人同士で談笑しながら歩いている男女。疲れた顔をしている背の高い男子生徒。
そんな奴らの間を、俺は全くいつもの通りに歩きぬけていく。全く、どいつもコイツもご苦労なことだ。俺も、全く人のこと言えないけどな。
教室にたどり着くと、ちらほらと、俺の方へと視線が向いた。
皆一様に、驚いた顔をしている。口だけでなく、目の中にも虫が入りそうな、そんな表情。
「な、なんだ? なんだよ?」
流石の俺も、これには動揺を隠せない。ファラナルドで民衆に囲まれたほどの密度ではないが、普段が普段なだけに、突然これは――、
「ね、ねぇ、進藤、君?」
一瞬、自分が呼び掛けられたことに気がつかなかった。ファラナルド世界に居すぎたせいかもしれない。
「あ? ああ、なん、だ?」
そんな中、近くにいた女子が俺に声をかけてくる。名前までは覚えてないが、誰ともよくお喋りしてるヤツだったか?
そいつが、後ろの友人らしき控えめな雰囲気の女生徒から「やめときなよ」と、だいたい理由の予測できる視線を彼女に送っている。背中を向けているために、話しかけてきた女子は気が付いていないが。
「あたしら、昨日進藤君が突然穴に落ちるように消えるのを見たんだけど――」
「消え――え?」
昨日。昨日。大事そうなので二回思いだそうとしてみる。
――昨日、と言っていいのかわからないが。その時学校へと、今とは全く異なる暗い気持ちで来た際、再びファラナルドへと呼び戻されたことは知っている。そしてそのまま、エセ創造神と戦い、彩香と分かれて、気が付いたら自分の家で目が覚めて。
一つの仮説が、俺の中で浮かび上がった。浮かび上がってしまった。
俺、もしやエイリアンに攫われた並の神隠しにあったことになってる?
もしかすると、一か月間の旅の間も、学校は無断欠席扱いだったのかもしれない。
元々サイカ――彩香と以外は話をしない、とっつきにくいヤツだ。ある日突然休んでも、「そう言うヤツ」で済まされていたのかもしれない。母親があんなテキトーなヤツだしな。
「ねぇねぇねぇ! いったい何だったの!? UFOに攫われた!? それともドッペルゲンガー!? もしかして、異世界に召喚されたとか!?」
「うるせーなアニメの観すぎだ!?」
しかも最後に至っては当たってるし! いや、意図的に言ってるわけじゃねぇんだろうけど! こんなこと言ってたらフラグ立ててるとか、また彩香に言われそうだ。
彩香――……、
「そうだな、どう説明してやろうか――」
俺が体験してきたことは、荒唐無稽な出来事。突然人が消えるという事態こそ、それそのモノではあるが、一瞬の出来事と違い、俺の一か月の出来事。
俺少しだけ思い悩む。真実を話すのは構わないが、それを伝えても、場合によっては「嘘をつくな」と笑われるか怒られるかがオチである。
けど、もしそうなったとしても、俺はかまわないと結論付けた。
なぜなら、俺は既に自身の中にある窓のカーテンを開けはなっていたから。
俺は、自ら閉じこもっていた。他者に期待せず、むしろ敵視し、身を守るようにして心の部屋を閉め切っていた。
けれども、それは自ら光を遠ざける愚かな行為であると、ファラナルドと言う世界で俺は気が付かされた。
彩香のためにと様々なヤツと関わり、窓から見える大空は、決して曇り空ばかりではない。勿論、時には雨空と言うこともあるだろうが、優しい風の吹く晴れ空もある。
それを、俺は同じようにして遠ざけていたアイツと共に学べた。そして、学んだ先に歩きゆくのが、その大切な一人の幼馴染の願いでもある。
だから、俺はこれからカーテンを開き、窓を開放する。もしかしたら大空からはどしゃぶりの大雨が降っているかもしれない。けれども、それを恐れていては、優しくなでつける空気の流れも、やわらかな陽光も感じることができないのだ。
彩香。
俺は、果てなき大空を仰ぐことにするぜ。
◆ ◆ ◆ ◆
「そんなに気になるなら、君もカナトと一緒に帰ればよかったのに」
「だから、言ってるじゃないか。ボクとカナトは、離れていなくちゃならないんだ、って」
ファラナルドの青い大空で。こちら側からのみ通じる穴で。カナト――秦十がクラスメイト達と話す様子見ながら、ボクは答える。
まったく、アレックスだっけ? こんな空の高いところまで僕の意識に会いに来るなんて、ご苦労でお節介なインキュバスだよ。嫌な気分はしないけどね。
「ボクとカナトは、よく似すぎたんだよ、心理面で。キミは、劣性遺伝疾患やカニバリズムによる感染症ってわかるかい?」
「なんのこっちゃ!?」
「まあ、有体に言えば、同種同士が重なることによる弊害さ。よく、恋愛なんかでも全く趣味嗜好が違う者同士が意外とうまくいったりするモノじゃないか。勿論、一概には言えないけど」
「ふーむ、そういうものなのか、な?」
「キミ、自称恋愛の達人だろ――それでまあ、ぶっちゃけて言うとだね。ボクらは最高にして最悪の相性なのさ」
「――サイカちゃん、君……やっぱり、」
「今更、どうしようもないことさ。ボクが、超が300ほどつく天才じゃなかったら、将来的に心中していたことだって、あったかもしれないね。それだけ、価値観の強力な合致は身を亡ぼす危険性があった」
「…………」
勿論、これは一つの可能性。全てが全て、そうなるとは限らない。
けれども、いろんな空の下を冒険して歩くなら、一つへの完璧な属性耐性より、満遍なく耐性を持っていたほうが、ふとしたことでも対処しやすいじゃないか。
「ボクはカナトを殺したくなんかない。だから、これでよかったんだよ。ほら、ボク自身が監修した女神っぽい衣装、とても似合ってるだろう?」
ひらひらと、純白のローブをはためかせてやる。明るく笑ってやっても、アレックスの沈んだ表情は変わらない。まったく、悪魔にしておくのがもったいないヤツだ。
「――いや、その、さぁ」
「うん?」
「そういう衣装は、その、もうちょっとセクシーな体系のヒトがやるべきじゃ――」
「創造神の力、後悔と共にその身に刻むかい?」
「すみませんでしたァッ!?」
――ったく、力を振りかざす気はないけれども、もう少し敬ってくれてもいいんじゃなかろうか。カッとなって、消しちゃったらどうするつもりだか。
「…………」
「まだ何か不満かい?」
「――その、カナトはそれで今後も元気に生きられるかもしれないよ? けど、君は……サイカちゃん、君はひとりぼっちじゃないか!」
アレックスの苦々しい表情の理由はそれだったか。確かに、創造神に成り代わり、この広大な大空の上で地上を見下ろす今のボクは、一見孤独に見えるかもしれない。けれど――、
「キミが心配するようなことでもないよ」
「――?」
「保健室に入り浸る生徒のように、飽きもせずにやってくるインキュバスはいるし」
「そう言う事言ってるわけじゃ――」
「彼らもいるし」
「――え?」
ボクは、空の彼方へと目をやった。そろそろ、復活するころだと思っていたが、どうやら、丁度その時だったらしい。
つられて、アレックスもボクの視線の先に目をやる。
「げぇッ!? 獄魔王様!? 踊魔王様、それに界魔王様まで!?」
「ちゃんと、しっかりした友人は出来たのさ。カナトより、一歩も二歩も先を行く形でね」
口をあんぐり開けたままのアレックス。その中に虫を投げ入れたくなるが、まあ、彼の驚きも無理はない。
しかし、一度消えた自分がこうして復活したのに、三魔王が復活していないと、どうして思おうか。いや、思わないよね? こうして、反語を使うくらいには。
「だからボクは、こうしてカナトの姿をこの世界から見守らせてもらうよ」
ボクが手を振ると、ソルフェリーノが勢いを増してかっとんでくる。
ニコバルトカリは恥ずかしそうに眼をそらし。
そして、サイアノは小さく頷き返してくれた。
「さぁて、今日は何をしようかな。ホントに何でもできそうだよ」
ボクもまた、窓の外へと目を向けたよと、聞こえはしない秦十に伝えるようにつぶやく。
「広大な大空。まさしく、未来は果て無く、無限――だよ」




