おぞましくても愛される
今日のネイルは桜色。
お花見のシーズンも過ぎて、いつの間にか葉桜になってしまっていた。あたしはまだ、お花見をしていないのに。だからネイルだけは桜にしてみた。爪先が淡いピンクで、根元は透明。透明からピンクへとグラデーションになっている。キラキラと光るラメがほんのりと入っていて、光が当たると爪が色っぽく輝く。今回はかなりお気に入り。自分でやるとどうもうまくいかないけれど、サロンでやってもらうとかなりキレイ。女は爪先から美しく。それがあたしの持論。
「あれ?」
誰かがあたしの顔を後ろから覗き込んできた。気持ち悪い。誰だよ。そう思って、後ろを振り返りながら睨んでやると、友人の怜奈だった。
「あ、やっぱ可南子じゃん」
「なんだ、怜奈か。不審者かと思ったよ」
「失礼ね!」
会社からの帰り道。あたしは私鉄とJRを乗り継いで会社に行っているのだが、その乗り継ぎの駅で、怜奈と会った。
怜奈は大学生。カジュアルな彼女の服装と、もうすでに社会人になってしまったあたしの背伸びしたコンサバな服装は、それだけで彼女とあたしに隔たりを感じさせる。
別に気にはならないけれど。
「ちょっとお茶してこうよ」
この駅はけっこう大きい駅で、構内にいくつものレストランやカフェが入っている。あたしは二つ返事でオーケーした。
「最近ね、しみじみ実感してることがあるの」
怜奈は席に案内されるやいなや、そんなことを切り出した。
「なに? 彼氏がもう嫌とか?」
「んなわけないでしょ! めちゃくちゃラブラブよ」
暑い暑い。ここだけ無性に暑いぞ。
「それがね、私ね、思うのよ。人間って、どうして見た目とか印象だけで物事を判断してしまうんだろうって」
なんだか哲学的な話になりそう。彼女はそれなりに頭のいい大学に行っている。バカでアホなあたしとは脳みその出来からして違うのだ。
「あたしは見た目とかは気にしないわよ」
「そうじゃなきゃ、おっさんとは付き合えないね」
あたしのおっさん好きは周知の事実。でも、わかってないな。おっさんの魅力は退廃的なダンディズムと、豊富な財力にあるのだ。見た目なんかよりよっぽど重要なことだ。
「私、今ペットを飼ってるの」
話が急に方向転換した。いろは坂でドリフトするヤン車のごとき、方向転換。
「ペットって? チワワとか?」
最近とんと見なくなってしまった消費者金融のCMをふと思い出した。一代目だか二代目だかのチワワは、過労で死んだという噂を聞いた。過労はいけない。日本人は働きすぎだ。
「皆、すっごくあの子のこと嫌うのよ。そりゃ、私も最初は嫌いだった。黒くて、なんかヌメヌメしてそうで、かさかさしてるし。でもね、共に暮らしてみて、気付いたの。あの子はすっごくかわいいんだって!」
……黒くて、ヌメヌメしてそうで、かさかさしてる? なにそれ? ……それをペットにしてる?
「世の中の人間は物事を表面的でしか捉えなさ過ぎなのよ。皆が嫌いだから嫌ってるだけだわ。見た目と動きの気味悪さで嫌っているけど、一緒に暮らしてみれば、それが違うってことに気付くのよ。私はそれに気付いたの」
なんという慈愛に満ちた表情。聖母マリアのような彼女のきらきらと美しい瞳が、あたしを見つめる。あまりのキラキラっぷりにあたしはめまいを覚えた。
嫌な予感だ。黒くてヌメヌメしてそうでかさかさしてる、見た目と動きの気味悪い生き物。あたしの脳裏によぎったのは、昨日の夜にも遭遇した、アイツ。
「ねえ、そのペットって」
「うん。ゴキブリ」
人は予想していたとしても、信じられない事態に直面すると、動くことが出来なくなる。あたしは口をつけようとしたコーヒーを持ったまま、しばらく動くことが出来なかった。
「え、ゴキブリって。あれよね? あのよく台所とかにいる」
「そうだよ。名前はリンゴ」
「……女の子なの」
「うーん。よくわからないけど、かわいいからリンゴ」
その後、彼女はずっとリンゴちゃんを飼うことになった経緯を語っていた。
リンゴちゃんが発生し、パニックになった彼女は、食べ終わって置きっぱなしにしていたプッチンプリンの透明の容器で捕らえ、殺すことが怖くてしばらく放置していたらしい。
そして、そのまま一日がたち、さて本格的にどうしようか悩み、でも殺すことが出来ず、いつしか哀れに思えて、リンゴちゃんが命乞いするように見つめてくるものだから、ついついエサを与え、その時のリンゴちゃんの喜びように妙な愛着心が生まれたのだそうだ。
「リンゴね、私に懐いてるんだよ。私が家に帰ってくるとカサカサ動いて喜ぶの。やっぱりさ、見た目とか印象とかで判断しないで、その子のことをじっくり見てあげることって大事なんだなって思ったの」
彼女のいうことは間違っていない。間違っていないけれど、ちょっと待ってくれ!
相手はこの人類誕生から一度も誰にも愛されたことのない、世界最強の嫌われ者だ。それを愛する彼女はまさにもうこの世の者とは思えない、聖女のような存在なのではないか。
すごすぎて、理解できねえ!
「そろそろ帰ろっか。リンゴ、待ってるし」
そう言って、レジに向かう彼女は本当に幸せそうだった。
世の中というものはうまく出来ているのかもしれない。愛というものはいつどこで生まれるかわからないけれど、誰しもがいずれ与えてもらえるものなのだ。
後日、彼女からこんなメールが届いた。
『リンゴが死んでしまいました。今度お葬式をしようと思います。暇だったら来てね』
……死んでも行きません。
彼女達が今回話していることは、まじで実話です。
あれを好きになれそうな方、いますか?
私は絶対に無理です(^^;




